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相手に合わせていれば満足な俺は、どういうセックスがしたいとも思っていないマグロな人たちと、ずっと正常位で優しくしているだけのつまらないセックスでいい感じにやってこれた

(こちらの記事の続きとなります)

きっと俺は、勢いに任せるようにしてはセックスするが苦手なのだと思う。

セックスの中で大げさなことするのも、遊びを楽しむようにしてセックスをするのも俺には難しかった。

相手が自分の中で盛り上がっている感じにセックスしているときには、俺も相手の出しているムードに合わせたふうにはするけれど、自分はなんとなくムードに酔えないままで、ただ気持ちよさそうにしている相手を眺めているだけになって、少し退屈してしまうことも多かった。

俺がもう少しムードに酔ったりできたとしたら、また違ったふうにセックスを楽しむこともできるのだろうなとは思う。

けれど、そうやってお互いが自分の頭の中で盛り上げた気持ちを向けるようにして見詰め合ったとしても、そこにあるのは酔っ払い同士のやりとりのようなものなんじゃないかと思ってしまう。

お互いに酔っていれば、お互いに大雑把にやりとりをしながら、細かいところは置いておいて、大げさなことを言い合って楽しんでいられる。

そういう噛み合い方はできるし、そうやってお互いに大げさに振る舞い合うことで得られる気分的な昂揚もあるのだろう。

けれど、セックスにしても、大げさに振る舞うことの楽しさというのがあるのだとしても、そういうときに感じているものは、相手そのものからは遠ざかったものにはなってはしまうのだろう。

自分の気持ちを盛り上げるために、自分の中のロマンチックだったり、ポルノ的だったりするセックスへのイメージをかぶせてお互いを見ている状態になるのだと思う。

もちろん、そういうポルノ的なイメージが、それぞれの人の頭の中にあるのだろうと思う。

恋人同士の甘ったるいムードに満ちたセックスというイメージだってポルノの一典型なのだろう。

変態行為に興奮する人だっているのだろうし、ポルノビデオに素直に憧れているような人もいるのだろう。

そういう頭の中で普段想像して楽しんでいるようなイメージに実際のセックスの中で浸れるとうれしいという気持ちは多くの人にあったりするのだろうと思う。

昔付き合っていた人で、乱暴にされてみたいという願望があると言っていた人がいた。

その人とは、聡美にしているよりは、多少乱暴に相手の身体を扱っていたところもあっただろうけれど、その人が頭の中のポルノとして思い描いていた欲望を満たせるほどのことはしてあげられなかったのだろうなと思う。

その願望に応えてレイプごっこでもしてあげられたら、それはそれで盛り上がって楽しかったのだろうと思わなくもない。

頭の中で自分が興奮できるイメージを膨らませて、それと身体の気持ちよさを同期させて自分を昂らせていけたのなら、また違った快感を体験できたのかもしれない。

けれど、俺はただ相手の感触に浸っているだけで充分なのだ。

俺の頭の中にだって、ポルノ的な妄想は詰まっているけれど、それはすべてノーマルなセックスでの相手が自分に対してどんな気持ちになってくれるかということについての妄想ばかりだった。

設定やシチュエーションの凝った妄想ではなく、ただ普通のセックスを気持ちよくしている妄想ばかりしていたし、そうでなければ昔自分がした中でよかったなと思えるセックスを思い出して満足していた。

けれど、そんなふうに、シチュエーションに盛り上がることを苦手に思っているというのは、俺の想像力が貧弱だからというのもあるのだろう。

注意散漫というか、自分の頭の中の考えにうまく集中できないから、セックスしていても、自分の頭の中のイメージよりも、目の前の相手の姿や声に気がいってしまうというのは大きいのだと思う。

どうせ相手に意識がいってしまうから、自分の頭の中でセックスの気持ちよさを増幅させようとするのではなく、むしろ頭を空っぽにして自分の中をその相手の感触で埋め尽くせたほうが、それ以上気が散りようもなくて安心するということでもあるのかもしれない。

昔は、大人数で雑魚寝している中でこそこそとセックスしたり、部室で鍵もかけないまま誰かが入ってくるかもしれない状況でしたりとか、そういうことはしたことがあった。

どきどきはしたし、楽しくはあったのだろうけれど、どうしても気は散っていたし、セックス自体の楽しさは薄くて、またそんなセックスをしたいとも思わなかった。

俺はシチュエーションの特殊さではそこまで盛り上がれないということなのだろう。

そもそも、シチュエーションで遊ぶという以前に、二人きりでセックスしているうえでも、ムードを作ろうと意識したことすらなかったのだ。

ムードのために何かを準備したりもしないし、相手がムードに浸れるような、普段使わない大げさだったり格好をつけた言葉を使ったりすることもなかった。

セックスの中で相手に向ける顔や言葉が普段と違うということが自分にとって気持ち悪かったりもしたのだろう。

どこかから借りてきたムードに自分を合わさなくても、自分の素の気分のままで相手に没頭して、気持ちが高まったぶんだけ相手に向ける顔や言葉に力がこもればそれで充分だろうと思っていた。

自分の気分が盛り上がるような刺激を持ってこなくても、お互いの感触に没頭できていれば気持ちは満ちてくるのだ。

何かしらの経緯を持った男女が裸で腰を合わせて向き合っているということをそのまま感じているだけで充分で、何かの想像を持ち込む必要があるのかなとずっと思ってきたのだと思う。

そんなふうだから、自分のセックスはつまらないのだろうなと思う。

面白みなんてちっとも欲しいと思っていないのだ。

変なことも、変わったことも、テクニカルなことも、刺激的なことも、暴力的なことも、何もいらないなと思ってしまう。

ただ普通にできればそれで充分だと、心底そんなふうに思っているのだと思う。

セックスをし始めた最初から、俺にはうまくやりたいとか、何か高度なことをやりたいというような気持ちがなかったように思う。

何で読んだかは覚えていないけれど、女の人からするとピストン運動はさほど気持ちよくないことも多くて、密着させて中でまわしていたりするほうが気持ちがいいらしいという情報が頭にあって、最初のセックスから素直にそうしていたような気がする。

密着していると肘をつきながらできて相手も重くないし、自分も疲れにくいし距離が近くて声もかけやすいし、すぐにキスもできるし、とりあえずこうやってしていればいいと思ったのだろう。

それでも、最初の彼女とセックスし始めたころは、体位はいろいろ変えていくものだとも思っていたし、間を埋めるようにして体位を変えたりしていたように思う。

けれど、それにしたってたいしていろいろ試したわけではなかった。

どんなことが自分にできるのか調べてみたりもしなかったから、いまだに本とかを読んでいて体位の名前が出てきても、どういう体位なのかわからないことも多かったりする。

そんなふうなまま、そのうちにセックスの中でリラックスできるようになって相手を感じる余裕ができてきて、そこからは、相手と噛み合っていればいいセックスになるとしか思っていなかったのだろう。

普通になんとなく流れでやりながら、噛み合うように相手を確かめて、お互いの気分が高まりそうなことを流れに沿った範囲で適当にしていればいいという感じで、そのままずっときてしまった。

聡美としているように、目が合って腰をくっつけているだけで心底気持ちよくなってしまえる状態だと、ちょっとした体位の入れ替えをしてみようかという考えも浮かんでこなくなる。

無理に体位を変えて流れを作っていくまでもなくて、充分に噛み合っているからと、視線が外れてしまわないように、正面で相手の視線をつかまえようとし続けてしまう。

ただ噛み合ってさえいればいいと思っているから、そんなふうに、特に何をしているわけでもない、面白みのないセックスをしてしまうのだろう。

セックスにはムードが大事だとか、ファンタジーや演劇性が大切だとか、セックスはスポーツだとか、探求心が重要だとか、そういうふうに思っている人からすれば、自分はつまらないセックスをしているんだろうなと思う。

俺がセックスの中でやっていることの中には、他人に話して面白がってもらえるようなことが何もないのだと思う。

指で何をしてくれた、口で何をしてくれた、どういう体位でしたか、どんなプレイをしたか、どんなことを言っていたとか、そういう話のネタになりそうなことは何もしてないのだ。

聡美にしても本当はもっといろんな体位で、いろんな言葉責めなんかをしてくれたらもっといいのになと思っているのかもしれない。

見られているから見返してくれているけれど、本当は後ろからしてもらって、きっちり目を閉じて、されている感覚に集中したかったりするのかもしれない。

まだ四回目のセックスとはいえ、ずっと同じ体勢でする人なのかなと不審がっているのかもしれない。

けれど、そう思っていたとしても、聡美にしたって何もしようとしていないのだ。

まだ俺がどんなふうにセックスするのか確かめている状態なのかもしれないけれど、俺が触って脱がして舐めて、そのうちに聡美が入れてほしいと言って、俺も言われるままに入れているし、放っておくと前戯の中で聡美は何もしないままだったりする。

そして、俺が入れて動き出してからも、聡美はぼんやり俺を見ながらされているままになっていて、どこかを触ってきたり脚をからめてきたりとか、盛り上がるように声の出し方を調整するだとか、そういう俺にとって何かの刺激になるようなことを何もしてこようとしなかった。

聡美の反応が鈍いというわけではないのだ。

むしろ、すごく感じてくれているのだと思う。

大きな声も出さないし、大げさにのけぞったりもしないけれど、俺からされていることはしっかり感じてくれている。

ずっと俺のことを見詰めてくれていて、他のことに気を逸したりしないし、ペニスの動きにも、キスや手のひらの動きにも、ひとつひとつをずっと感じて反応し続けてくれている。

セックスの中で自分が何かをしようと思っていないだけなのだろう。

もしかすると、俺を感じることに専念しているから、その邪魔にならないように、感じること以外には何もしないでいるのかもしれない。

俺にしても、何をするわけでもないセックスをしてしまっているのは、そういう聡美の間合いを感じて、それに合わせているからというのもあるのだと思う。

相手が何かしようとか、動いて流れをつくろうとしている感じがあれば、それをなんとなく感じ取って、自分もそれに合わせて動いたりするはずなのだ。

二十五歳くらいから付き合っていた彼女としているときは、よく身体の向きを変えたりしていた気がする。

その人とは、相手がいくたびに向きを変えて違う角度からしていたり、横にしたり後ろにしたり、何度も相手を転がしたり起き上がらせたりしていた。

体位だけではなく、入れながら指で刺激したり、いろいろお喋りをしたり、少しゆっくり痛いことをしたりだとか、はたから見たときにギャグっぽいものになってしまわない範囲で、相手が俺のしたことにリアクションしながら気持ちを盛り上げられるようにあれこれしていた。

つまらないセックスと思われているじゃないかと思ってしまうほど、何もしていないわけではなかった。

それが面倒くさかったから、今はもうそんなことはしなくなったというわけではないのだ。

そのときの彼女が何かされたがっている感じを出していたからとか、俺と彼女の関係性として、そういうことをするのが自然に感じられたからしていたのだろうと思う。

聡美の前に付き合っていた人とは、関係性がそういう乱暴なものを含んでいなかったりしたのだろうし、聡美とも今のところはそういうものがお互いのあいだにないということなのだろう。

だから、相手にただ大切に寄り添うようにして向い合って、ただ気持ちいいようにというだけでセックスしているのだと思う。

それに、いろいろしないで見詰め合っているだけだから、引き付け合う感じが出てくるというわけでもないのだ。

いろいろしていた彼女とも、いろいろしながらも、ほとんどはお互いの目が合う体位でしていたように思う。

そして、その彼女も俺が見ているのをまっすぐに見詰め返してくれていた。

その彼女と目を合わせながらセックスしているときに、視線が絡まり合っていつまでも見詰め合う感覚に初めてなって、それまでしていたのとは集中のでき方が違うセックスをしていると思ったのだ。

逆に、聡美とは、いろいろすることで気持ちを盛り上げなくても、引き付け合うものがでてきてしまうということでもあるのだろう。

ずっと正常位のまま見詰め合って、かわいいとか気持ちいいということしか言わないまま、お互いの気持ちを刺激するようなことを何もしないままでも、ずっと飽きもせずに見詰め合っていられるくらいに、お互いに気持ちを動かされているということなのだ。

けれど、そうだとしても、聡美はあまりにもずっとされているままだなとは思う。

見詰め合っていても、自分がまったく何もしていないことに何も後ろめたく思ったりせずに、ただひしひしと俺に向かってうれしそうにしてくれているように見える。

どうなんだろうなと思いながら、聡美の肩をつかんで、もう片方の腕を背中にまわして、聡美の身体を起こそうとする。

聡美は身体をだらんとさせたままで、俺を見て目をぱちぱちさせた。

聡美はそのままじっとしていて、俺は腕に力を入れて、つながったまま自分の脚を聡美の尻の下に通した。


(終わり)

「つまらないセックス」からの抜粋を加筆修正したものとなります。

(この三つから抜粋)


三十代中頃の同じ歳での社内恋愛の、付き合うことになった一日目の話となります。
職場ではめちゃくちゃ騒がしくて面白い女の人だったけれど、ベッドのうえではじっとして見上げているだけで、そういう相手に合わせていい感じにしてあげようとしていたら、ずっと正常位で優しくしているだけの、つまらないセックスになってしまっていたけれど、彼女はとても満足したらしく、セックスが終わったあとは、もう二人は付き合っていることになっていてびっくりした、という感じの話になっています。


(全話リンク)


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