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~国宝天守を持つお城(前編)~

これまでの記事では、鹿児島、広島について私の視点や旅行記として紹介してきましたが、今回は国宝天守を持つお城について、記事にしたいと思います。
 
お城の検定として、「日本城郭検定」という資格があります。
城を愛するすべての人のための検定で、1級~3級までありますが、一番難易度の低い3級でもある程度の知識が問われます。
私はこの資格は持っておりませんが、総合旅行業務取扱管理者として、お城の知識は多少はあります。
また日本史も大好きです。

日本城郭検定の所持者ほど、お城の奥深い知識や歴史から各要素までお伝えすることはできませんが、勉強で知り得た知識、添乗と個人旅行で実際に行って感じた自分目線や角度で、皆さんに現存する国宝天守の魅力をお伝えできればと思っています。
 
では、ここで問題です!!
日本国内に国宝天守を持つお城はいくつあるでしょうか?
 
正解は、後ほど記載します。
内容がかなり濃い関係で、かなり長くなってしまう為、前編、後編に分けてアップしたいと思います。
まずは、前編をアップします。
あまり自分で撮った画像が残っていなかった為、公式サイト等から引用させて頂いております。


国宝天守とは・・・

そもそも日本には、かつて2万以上お城があったと言われています。
お城とは、もともとは敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物・設備です。
その中で、天守というお城のシンボルの始まりは織田信長公が築城した安土城で、それ以降近世から作られるようになりました。
 
織田信長公の築城以降、全国各地に約170城の天守が建てられたと言われています。

戦国時代の終わりが見えてくるとお城の天守は軍事施設政治の拠点・そして権力の象徴という役割を持つようになってきました。

その後、江戸幕府は「1つの国に1つの城しか認めず、あとは廃城せよ」という一国一城令を命じ、諸大名は居城以外のすべての城の破却を命じられ、天守が激減しました。

また明治政府の廃城令による取り壊し等でさらに多くの天守が無くなり、約60城の天守のみが残りました。
その後も減少を続け、第二次世界大戦前の時点で20城の天守が残っていましたが、戦時下での空襲や火災などで、現在残っている12城の天守のみとなり、今では大変貴重な文化財となっています。
 
これらの現在まで天守が残っている12城のことを「現存12天守」と総称されています。
江戸時代(1867年)以前に創建され、現在まで残っている天守が現存天守としての条件です。
 
現存12天守のうち、国宝に指定されているのはわずか5天守です。

ちなみに、国宝とは「国の宝。特に国家が指定して特別に保護・管理する建築物や美術品」などです。
重要文化財とは「文部科学大臣が重要として指定した有形文化財」などです。
国宝指定されていない現存天守7城は重要文化財に指定されています。
簡単に纏めると、重要文化財の一種(さらに価値が高いもの)が、国宝ということになります。
 
それでは、これから国宝が天守に指定されている5城について、大阪から行きやすい順番に紹介していきます。
前編ということで、まずは2城を紹介いたします。

国宝天守1つ目の紹介

姫路城①(ANAより)
姫路城②(J-TRIP Smart Magazineより)

兵庫県姫路市にある姫路城。別名「白鷺城」。
メインの天守の高さ・面積ともに日本一で、遠方からもその堂々たる佇まいを目にすることができます。 
初代は1346年の築城とされており、その後も城主に羽柴秀吉公池田輝政公を迎えるなど、西日本の覇権争いにおける重要拠点として機能していました。
現在の天守は池田輝政公が1601年から着工し、1609年完成。

中世から修復を何度も繰り返されているため、さまざまな時代の石垣を見ることができます。

平成の大修理の前後(Copyright © 2019 姫路城が見える風景写真 All rights reserved.より)

 2009年から2015年にかけて「平成の大修理」が行われ、白漆喰を基調とする上品な外観へと生まれ変わりました。
しかし、漆喰がカビなどの影響で黒ずんでしまい、少しずつ屋根も以前のような見え方に戻ってしまっています。
1993年に奈良の法隆寺と共に日本で初めて世界文化遺産にも指定されました。
完成から400年以上経過した今でも、その美しい姿を残しています。 

好古園(使い道のない風景より)

また、すぐ近くには好古園という約一万坪の広さを誇る本格的な日本庭園があり、食事処や茶室もあります。

大阪駅から姫路まではJR新快速で1時間程で、駅からはお城の一番近い桜門橋まで徒歩で20分位です。

灘菊酒造(公式サイトより)

姫路城は姫路駅の北側にあり、逆の南側になりますが、酒造メーカーで有名な灘菊酒造があり、酒造見学もできるので、合わせて行ってみるのはいかがでしょうか。



最後に姫路城の動画です。


国宝天守2つ目の紹介

彦根城
井伊の赤備え(井伊直政が関ヶ原の戦いで着けたと伝わる甲冑(彦根城博物館提供/読売オンラインより)

滋賀県彦根市にある彦根城。別名「金亀城」。
井伊の赤備え(全身赤い武具)」で、大将みずからが功を狙って先陣を切っていたことで有名な徳川四天王の一人である井伊直政公の子、直継公によって築かれた城です。
1604年着工し、1622年頃完成。
以降、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城として用いられました。
幕末に起きた「桜田門外の変」で暗殺された大老・井伊直弼公は藩主となるまでこの城下で過ごしていて、当時の屋敷は「埋木舎」として現存も残っています。
井伊直弼公は十四男という末の子だった為、出世の見込みも無く、32歳になるまでの15年間独立部屋住みという身分で過ごしました。
その下宿のような暮らしの中で直弼公は、風流に親しみ、茶道や和歌、音楽(鼓)に夢中になりました。
そのため当時の人からチャカポンというあだ名をつけられたそうです(茶、歌、ポンは鼓(つづみ)の音)。
井伊直弼公は異例の大出世でした。 

井伊直弼肖像画(世田谷デジタルミュージアムより)

玄宮園(公式サイトより)

また、お城のすぐ隣には、「玄宮園」呼ばれる庭園があり、お茶を楽しむこともできます。
冬の雪景色はとても美しいです。

楽々園(公式サイトより)

また「楽々園」と呼ばれる彦根藩の二の丸御殿も残っています。 

ひこにゃん(日テレNEWSより)

運が良ければ、人気キャラクターの「ひこにゃん」に会えるかもしれません。
1日に2〜3回程度、「ひこにゃん」登場のイベントが天守前や彦根城博物館前などであります。

下記のような公演予定スケジュールの発表もあるので、行かれる方はぜひ、イベントスケジュールを確認の上、訪れてみて下さい。 


夢京橋キャッスルロード(彦根観光ガイドより)

なお、彦根城旧中堀に架かる京橋から南西へ約350メートル延びる城下町・夢京橋キャッスルロードがあります。
お食事処や土産物屋などがあり、いずれも切妻屋根の町家風建物に統一され、観光スポットとして好評です。

その建物風景から、「小江戸」とも呼ばれています。
ちなみに、小江戸とは「江戸のように栄えた町」「江戸時代を感じさせる町」といった意味合いで使われています。
 
アクセスはJR彦根駅から徒歩20分程度の距離で、大阪からは訪問しやすい国宝天守のひとつです。


伽羅(公式ページより)

おススメのお店があり紹介したいと思います。
夢京橋キャッスルロード内にある近江牛の料理が食べられる建物の雰囲気も良く、おススメの店舗伽羅です。
少しお値段は張りますが、味も雰囲気もすごく良いので、奮発して行ってみてはいかがでしょうか。


まとめ

今回、前編として国宝5天守のうち2城を紹介しました。
いずれの天守も、魅力いっぱいであり、歴史的にも本当に貴重です。
私なりの知識や知見で紹介しましたが、歴史というものは説が多く、今回の記事で紹介した内容が全て正解とは限りませんので、ご了承ください。

現在、NHKで放送されている「どうする家康」では、徳川家康公目線で描かれているため、徳川家康公が英雄として描かれて、豊臣秀吉公は怪物のように描かれており、描かれる視点によって、映り方は変わるし、何事も表裏一体だなとつくづく思います。
 
次回は国宝5天守の後半として、3城を紹介したいと思います。
少し(かなり)長くなってしまいましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございました。

皆さん、秋も近づき朝夕は少しずつ涼しくなりますので、体調管理にはくれぐれもお気を付けください。

また、次回も宜しくお願いします(^^)/

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