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数学の授業スタイル

教科の話にnoteで触れる機会はそれほどありませんが、私は私立高校で数学を教えています。

数学の授業スタイルや学習方法などは教員によって様々ですが、総じて皆、一家言ある人がほとんどです。

そして、そのどれもが正しく、また間違ってもいます。

本人にとってのベストが、他の誰かにとっても同じ価値を持つわけではないからです。

それを分かった上で、もしかしたら参考になる人がわずかでも存在すれば、と考えて、私のオススメする授業スタイルと学習方法を紹介します。

基本的には爆速復習重視型の授業スタイル

私の場合、一回の授業はかなり速いスピードで進みます。教科書にして10ページ以上進むこともあります。

さらに、基本的にそれを授業の6割程度の時間で説明します。

では、残りの4割は何をするかというと、基本的に課題を生徒に解いてもらう演習時間にあてています。

つまり、毎回異なる課題をオーダーメードで準備しています。

この授業中に課題を行う時間は相互に相談することも、私に質問することも、オンラインで調べることも自由です。また、解答解説は必ず添付しています。

そうやって、一回の授業でやったことをその場で自分で試す時間を設けています。

この結果、高校1年生の4月から数学Ⅰをスタートして、高2の最後までには数学Ⅲを終了するスピードで授業を展開します。

この間、模擬試験を適宜挟み、その度に既習範囲を復習する時間を作ります。

また、定期試験も現在の学習範囲よりも少し前の範囲を設定することで、必ず復習となるように意図的に設定しています。

要は、爆速で授業を進めつつ、授業中には問題演習、定期試験や模擬試験では復習を意識した学習をスポット的に行う、ということになります。

つまり、日々授業を受け、最低でも授業中の演習時間を使って問題を触ってさえいれば、あまり意識せずとも復習や演習が自然にできている状況を意図的に作るスタイルです。

逆に言えば、予習に関して全く要求しないスタイルとも言えます。

授業前予習型と演習

これと間逆なスタイルが、授業前予習型の授業スタイルです。

私はこれが苦手で、現在のスタイルで授業をしています。

高校時代、私はこの形で授業を受けていました。読んで分からない教科書を30分、睨んで諦める毎日。現在のように動画配信などもなく、打つ手なしの日々。

授業は予習前提、演習は生徒が教科書傍用問題集を解いてきて、休み時間に板書する。それを授業中に教員が添削する、というスタイルです。

数名の教員に習っていても、皆このスタイルだったので、おそらくは一般的なスタイルなのでしょう。

これが苦手なのです。

なぜならば、解答解説がない状況で予習を強いられるため無駄に時間がかかる上に、間違いを板書させられ、その板書を散々貶すという屈辱的な扱いを受けることが度々あったからです。

解答解説が無い不毛な時間

一般に、学校で配布される(実際には生徒が購入している)教科書傍用問題集は解説を渡すことがほぼありません。

自宅でこれを予習する場合、不十分な略解から解答の再現を試みて、諦めるという不毛な時間の繰り返しになります。

最近は調べれば似たような問題の解法はすぐに検索できます。にもかかわらず解答だけわたされていないため、無駄な時間だけを費やすことになります。

解説を見ることで考えなくなる

解説を渡すことに対し、批判的な意見は多いです。

特に、まず多いのは「授業を受けなくなる」という意見です。

これに関しては議論にもなりませんが、解答を渡しただけで聞く必要がなくなるような授業をする教員が悪い、という一言に尽きるでしょう。

またそれに次いで多いのが「解答を見て写すので、考えなくなる」というものです。

これに対しては、基本的に教科書や+αレベルの場合、そもそもじっくり考えるべき内容ではありません。

漢字の書き取りや英単語の暗記のようなものであり、考えるベースのものでしかないのです。

では、もう少し上のレベルに関してはどうでしょうか。

正直そのレベルの問題を自分で解くときに、解答を見て誤魔化すような学習をする人間は、その問題を学習する資格はありません。

それでは絶対に解けないですし、本人も自覚できているでしょう。

提出の可否で評価をするために解答を渡せない

要は、課題や宿題を提出した、ということで評価を行おうとするために、解答を渡すことができなくなり、学習効率を下げるという無駄な負のスパイラルに陥っているのです。

試験の結果などを軸に評価を工夫すれば、解答を渡して自学できる環境を整えるという形の学習支援型に移行できる上に、教員側の負担も減らすことが可能になります。

解答を写させない注意は必要

ただ、解答を写させない注意は必ずしています。

提出する行為そのものに意味はないため、解答を写しても実力は上がらないこと、解答を読む時間は答案に書く作業を行わないこと、答案を書くことは頭の中にある解答のイメージを再現する工程であること、などの注意を再三しています。

これらの学習法のベースは基本的に和田秀樹氏の「暗記数学」にしています。

この本や和田氏の主張は、数学が得意な界隈の人達は批判的なことが多いようです。

しかし、「暗記」を謳っているものの、実際には暗記ではないこと、受験生の多くは数学が得意でも好きでもないことを考慮すると、この内容は未だに通用する主張であると思います。

「生徒が学習しやすい環境を構築する仕事」

私は進学校の教員の仕事を「生徒が学習しやすい環境を構築する仕事」だと、捉えています。

生徒の学習支援をベースに考えると、現在のスタイルは満点とは言えなくとも、正解に近いところにいると思います。

ただ、学習環境やシステム、情報機器の発展は日進月歩です。気づくとあっという間に時代遅れになる可能性はあります。

それらを上手く取り入れて時代に取り残されない支援の仕組みを日々構築していきたいところです。


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