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ガラパゴス化した「大学入試数学」

日本の大学入試は難しいという話をよく聞きます。

昨年の共通テストの難化が話題になりました。

しかし、それ以前の問題として記述試験の「大学入試数学」の問題自体が世界的に見て非常に難しいのです。

アメリカとの比較

アメリカの入試制度では個別の大学の筆記試験はありません。SATやACTと呼ばれる統一テストが学力試験となります。

そのスコアを前提として、志望理由や面接、エッセーなどの総合評価で合否が決定します。

ここではSATの数学を見てみます。

Q. A trip to Honolulu costs $100 less than three times the cost of a trip to New York. If the total trip costs $1,300, how much more does the trip to Honolulu cost than to New York?

A) $350 B) $600 C) $700 D) $950

Y-SAPIX Global Campus
https://ygc.y-sapix.com/articles/4493.html

もちろん、こうした問題ばかりではありませんが、現行の共通テストよりは簡単ですし、日本の難関大学の個別試験よりはよほど解きやすい問題です。

処理能力や現実に対する適応能力、基礎学力を測ることに徹底しており、微積分などは出題されないようです。

このあたりが高等数学の入り口あたりの関数の問題が頻出する日本とは大きく異なるところでしょう。

欧州の大学入試は制度は異なりますが、口述試験に重きを置く傾向があるのはアメリカと同じようです。

質問:ハシゴが壁に立てかけてある。ハシゴの段はそれぞれ違う色に塗り分けられていて、横から見ることができる。このハシゴが地面に倒れた時、それぞれの段はどういった軌跡を描くか?

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オックスフォード大学の入試問題5例、あなたは解ける? 日本の大学の比にならない難度に驚愕!

韓国との比較

韓国では共通テスト的な存在として、「大学修学能力試験(修能)」という試験が存在します。

毎年パトカーが先導したなどの話で話題になる試験です。

韓国の大学入試においては、学力試験はこの修能のみで、あとは面接や小論文などで合否が決まるようです。そしてあらゆる大学がこれを用いる試験となっているようです。

そのため、私立大学のように共通テストを使わない大学もある日本とは異なり、すべての大学が利用するため、年に一度の一発勝負という厳しい試験でもあります。

少し古い試験にはなりますが、2011年の修能の数学です。https://www.seoul.co.kr/SAT/2011/2/Math_odd_ga.pdf

簡単なものから、難しい問題までを厳しい時間制限で解く印象です。

難しい問題も日本の難関大学の個別試験と比べるとテクニカルな内容は少ないようです。

共通テストと海外の試験の類似性

海外の大学入試を見ると、基礎的な学力を身に着けているかということに関してはもちろん聞いていますが、その知識を用いて「あなたはどう考えるか?」という姿勢や態度を問う問題が多いようです。

オックスフォードの口述試験にしても、韓国の修能の難しい問題にしてもその傾向が見られます。

そして、日本の共通テストもその方向を見ているのは間違いないようです。(OECD-Education2030の方向性とも一致しています)

先ほどの例で出たオックスフォードのハシゴの口述問題などは明らかに共通テストを彷彿とさせる題材となっています。

これと比較すると、これまでの旧来のセンター試験や個別試験の数学は、積み上げ型の学習量を重視した学力測定に最適化された印象が強いです。

脱ガラパゴスの局面を迎えている

日本の中等教育の数学は、各国と比較してもかなり難しい内容を広く扱っており、高等教育で学ぶ数学の内容を簡略化して中等教育にスライドするような状況となっています。(国によっては微積分などは必須になっていないケースもあるようです)

また、入試で求められる学力と、大学以降で求められる学習への能力や適性、態度がうまくかみ合っていません。

テキストの読解やゼミ発表、討論など必ずしも受験秀才が得意とは言えないものが多いのです。
(東大など一部の優秀層はどちらもこなせる率が高いようですが)

こうして大学入試がガラパゴス化し、受験数学が特殊なジャンルとして確立しているのが現状です。

現代の高学歴層(ここでは学校歴)の多くはその環境下の生存者であり、そうした入試形式を好ましいと思う人が多いため、入試改革や高大連携の波があるたびに大きな批判とともに立ち消えになってきました。

一昨年の英語外部試験や記述式の導入の顛末を見れば明らかです。もっともあれは計画が逐次変更の連続で計画性を失っていたようですが。

とはいえ、激しい国際競争を迎える時代において、大学や産業界がこうした「数学遊び」に興じている余裕があるのかは疑問です。

「数学力」を伸ばすのは目的ではなく、人材育成の一部であり、一つの手段でしかないことを数学教員は忘れてはならないのではないでしょうか。

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