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「短絡的犯人捜し」ではなく「フラット思考」を次世代へ伝える

参院選が近づくなか、円安と物価上昇、いまだ解決しない感染症の問題など、日本社会には多くの課題を抱えた状態で新しい選択をしなければならないようです。

バブル後の不況

私はバブル後の就職氷河期世代の一番最後でしたので、その煽りを受けて不安定な職に就かざるを得ない同世代の人も少なくありませんでした。
(学部卒と院卒で就職状況改善が著しかったのは印象的でした)

失われた〇十年(〇の数字はいつまで増え続けることやら…)に対して犯人捜しをする人は多いでしょう。

自民党が、民主党が、アベが、野党が、官僚が、悪の秘密結社がいくつあっても足りないぐらいです。

教員免許更新制度

私のnoteではたびたび話題に挙げていますが、この制度に関する教員からの批判は非常に多いようです。

もちろん、不適格教員をあぶりだすことも、排除することもでできず、制度としての欠陥を抱えていたことは否定しません。

ただ、大学の最新の教育学的知見を得る機会は貴重ですし、自身が生徒側になって学ぶ体験をできることは評価してもよいはずです。

この制度を第1次安倍政権の教員に対する悪意が根源にあり、戦犯であるという意識をもつ教員は多いようです。

日本の国際競争力の低下

一人当たりのGDPがOECD加盟国中28位にまで低下し、国際的な競争力の低下が著しいことが問題となっています。

産業構造の変化や、高齢化に対して有効な手立てを打てなかったことが原因ではあります。

いまや何千億円も海外メーカーに支払って、半導体工場を誘致する必要があることに憤りを感じている人は少なくありません。

こうしたときに、政治家や官僚、大企業などを犯人とする言説は常に存在します。

そのほかにも、出生率の低下や高齢化など多くの問題で私たちは常に犯人を捜しています。

人々は自分の代わりに責任を取るスケープゴートを求め、マスコミはその尻馬に乗って水に落ちた犬をこれでもかと打ち付ける問構図が出来上がっています。

合成の誤謬

合成の誤謬(ごびゅう)という経済学用語があります。

ミクロな集団が最適な行動をとっていても、マクロな全体としては望ましくない状況に陥る現象を意味します。

明確な犯人が存在しない

社会における政策や制度の失敗のうち、ある程度の数が悪意に基づいたものではなく、こうした合成の誤謬による誤算や行動予測と実際の行動のずれによるものではないかと考えられます。

もちろん、自身の所属する集団への利益誘導なども存在するでしょう。

しかし、それらが重なりあった結果、バタフライ効果的に想定外の効果を生んでいるだけで、特定の誰かが意図的な悪事を働くことが多いとは論理的に考えにくいのです。
(日本社会において違法な手段や方法に関しては法的に罰せられるという制度は存在し、ある程度はきちんと機能している)

つまり、大抵の事例において、明確に誰かが犯人ということはない、というのが実情ではないでしょうか。
(そもそも現在の日本は人口減少局面であり、経済成長や所得の増加は原則起こりえない時期であるとも言える)

フラットな視点を持つこと

私はそうしたどこかに偏らないフラットな視点を持つことが、時代の転換期を迎える現在において、教員に必要な資質ではないかと考えています。

そしてそのスタンスは権利や平等に関しても同様です。

それらを重んじる姿勢は、一見すると教員として正しいあり方のように見えます。

しかし、あたかも不変の真理のように見える権利や平等という概念も、人類の歴史上のある時期に広く普及した一思想に過ぎません。

誰かや何かが悪いと犯人捜しに拘泥し、時代の変化を受け入れたフラットな思考を持たない状態で、どうやって、未来を生きる生徒と将来の話をすることができるのでしょうか。

もちろん、自分自身ができているとは自信を持って言うことはできないのですが、そうありたいなと常に考えています。

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