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新しいデザインを身に着けることと、新しい時代の空気を吸うこと

先日、Tシャツを買いました。

それほど必要と感じてはいませんでしたが、妻に買うように勧められて数着購入したのですが、今回も含めて、最近はユニクロか無印良品ばかりで服を買っています。

服のために働いていた時期

思い返せば、大学時代は服にお金を使っていました。

アルバイトで得た収入を握りしめて百貨店やPARCO、セレクトショップを梯子してじっくり吟味していたように思います。

本当の服好きの方には笑われるかもしれませんが、タケオキクチやメンズビギが好きで、ジャケットやスーツ、シャツなどをいくつも買いました。

3年ほど前にその当時の服を大量に処分し、定期的に買い足しをしてはいますが、かつてほどは服に興味を持たなくなってしまいました。

そのときに気づいたのが、服のディテールが非常に古臭くなっているということです。

デザインが徐々に変化している

3年ほど前までは、パンツのシルエットも細見が流行っていたので、私が大学時代に買った服をたまに引っ張り出して着ていました。

しかし、よくよく見ると肩のつくりや襟元、胴回りのシルエットなど上着だけでもかなり現代のものと違う形をしていたのです。

野暮ったく、古臭い印象で、わざとクラシックに作ったトラッドスタイルとも異なる明らかに「懐かしい」雰囲気なのです。

思えば当然で、20年前に買った洋服ですからデザインが古くて当たり前なのですが、流行は徐々に変化するため気づいていませんでした。

その結果、ここ10年位前からは無意識に着用を避け、出番のない箪笥の肥やしになっていました。

最近のデザイン

最近は太めでオーバーサイズのシャツやパンツが流行っています。

かつてのB系とはまた異なる、上品な印象で太いスタイルなので私のような中年でも身に着けやすいデザインになっています。

今回買ったTシャツもそうしたデザインのものです。

それほど奇抜でもなく、地味な色味のものでしたが、いわゆる定番商品で着る年齢を選ばないものですが、着てみるとそれなりに最近の流行に乗っている雰囲気が出ています。

時代の流れを意識した生き方

同世代の人と音楽について話すと、昭和歌謡賛美や平成JPOP礼賛の言葉が多く、最近の音楽を聞いていない人が多いように思います。

私は新しもの好きという性格もあり、またYouTube Premiumやサブスクリプションの音楽サービスを利用しており、何となく最近の音楽も一通り流して聞いているため、同世代の人たちより音楽事情には詳しいように感じます。

最近の音楽、例えばYOASOBIやAdoなどを聞いた後に、私が20年ぐらい前に聞いた曲、B’Zやミスターチルドレンなどを聞き返すと何とも古臭く、曲調が単調で盛り上がりに欠ける印象を受けます。(もちろん素晴らしい名曲なのですが)

この印象は先述の箪笥の肥やしの服と同じ感覚であり、その定番やスタンダードが変化していることに気づきます。

そして、服や音楽だけでなく、多くのものが時代とともにそのスタンダードな形を変えていくのではないでしょうか。

特に若者文化との親和性が高いものはその傾向が強いでしょう。

対象が刻々と移り変わる業界はなおさら変化に敏感である必要がある

教育の対象の多くは若者です。

そう考えた時、若者文化と教育の親和性は極めて高く、どうして教育だけが変化と無縁でいられるでしょうか。

とはいえ、教員は常に若者ではいられませんし、かつて若者であった私も今では立派な中年です。教員が若者だけで構成することは難しいですし、組織としても不健全です。

だからこそ、私のような中年であっても現在の服(若者向けの服ではありません)を着て、現在の音楽を聞いて、時代と変化をとらえる感覚を身に着けておく必要があると思います。

もちろん若者に迎合するわけでもありませんし、古いものに優れたものもあります。

しかし、若者と価値観を共有する必要のある仕事である教員にとって、新しいものを否定しかできなくなったとき、その時こそが第一線を去る潮時なのだと私は考えています。

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