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「分かったと仮定」して、先に進み、戻る学習法

少し前に私の授業スタイルの記事を書きました。

簡単にまとめると、「爆速で進度を確保し、授業中に演習を行う」といった内容です。

さて、当然ですがこの場合どうしてもそのスピードが速いと感じる生徒が出ます。

私の勤務校での最上位コースの生徒の中にもいますし、それ以外のコースの生徒はなおのことです。

しかし、基本的には速度を落として授業を行う形での対応はしません。

今回はその指導方針と理由について書いていきます。

1回の授業ですべてを「分かる」生徒はいない

そもそも、どんな内容であれ1回の授業ですべてを理解できる生徒はほとんどいません。

東京一工志望の生徒が仮に先取りで学習していたとしても、突っ込んだ内容に関して理由や原因を尋ねた場合に、スラスラと答えられることはほとんどありません。
(私の勤務校においては、ですが。もしかしたら筑駒や灘の生徒ならばわかりませんが、極めて稀な例外を上げても議論の意味がありません

つまり、1回の授業で「分かる」生徒はいない、というのは言い過ぎでは無いでしょう。

誰しもが「分かった振りをする」

したがって、学習の大半は「分かった振りをする」とも言えます。

ですから、現在学んでいる範囲の理解が完璧でなくとも、ある程度の時間をかけたら次の範囲に進む学習法自体は誰しもが意識、無意識を問わず行ってるのです。

ただ、今回は扱いたい内容はそうした受動的な、妥協案としての進め方ではありません。

むしろ、分かっていないことが自覚的であるにも関わらず、あえて次の単元に学習を進める、というやり方を考えることにあります。

分からないところが無くなるまで粘るべきか

この手の質問は、受験期などにも生徒から聞かれます。

まず、先程も書いたように、「分からないところが無くなる」という状況は存在しません。

全知全能の存在でもなければ不可能です。

また、見える範囲において、という前提条件をつけても「分からないところが無くなる」のは難しいでしょう。

数学はある単元の上位概念をその先で扱うことがほとんどです。

例えば、微分法という概念を数学Ⅱで扱います。しかし、実際に詳しい微分の理屈は数学Ⅲでしか取り扱わないのです。

さらに言えば、数学Ⅲの微分は特殊な例を集めたものに過ぎず、その例外を満たす考え方を探すのが大学以降の数学です。次々に上位概念が現れるために、その場での完璧性は意味をなさないのです。

つまるところ、現実的に粘ることは不可能なため、あえて「分かったと仮定」すること自体は数学という学問の構造上仕方ないと言えます。

「分かったと仮定」して進める学習法の優位性

では、妥協案としてではなく、推進する立場として考えます。

「分かったと仮定」して先に進む学習法に優位性や長所はどんなものなのでしょうか。

1.モチベーションの維持が容易

モチベーションの有無で学習を考える事自体は疑問符が付きます。

しかし、学習の継続を考慮するとあって損はしません。

そうした場合に、内容が次々に進んで常に新しい刺激を受けることはモチベーションを維持する上で効果的でしょう。

2.全体像をつかみやすい

単元が別れている数学などの学問においては、一つの単元や分野の学習で全てが完結するということはありません。

隣接領域や、一見すると無関係な分野にまで基本的な概念が影響を与えるケースもあります。

そうしたときに、一先ず他分野の知識を揃えやすいやり方は全体像を掴むのにとても有効です。

3.「分かったと仮定」する思考訓練

数学や論理学において、何かを仮定して証明を行う「背理法」という論証法が存在します。

中学を卒業した段階では、この何かを仮定するという思考訓練を行ったことはほとんどありません。また、大人であっても論理構造が複雑な場合は混乱する人が少なくありません。

したがって、こうした思考訓練を普段から行うことは脳へ負荷を掛けて成長を促すという意味でも有効性があります。

思考訓練に関しての補足

ちなみに、数学では「排中律」という考え方で成り立っています。「Aである」の否定は「Aでない」とする考え方です。

多くの数学の命題はこの手法を用いて証明がなされました。現代数学も基本的にはこの「排中律」をある程度認めることで成り立っています。

こうした思考の訓練は数学(他学問も)の習得に重要です。

意識的に「分かったと仮定」する

忘れてはいけないのが、無意識に「分かったと仮定」してはいけないということです。

それでは、理解が浅いまま表面をなぞるだけになるからです。

実際には分かっていない、しかし後の理解のために一旦「分かったと仮定」し保留しているのだ、という自覚が必要不可欠でしょう。

自分にあったスタイルを模索する

学習のスタイルは多種多様です。それこそ、納得行くまで考え、悩み、もがき続けるというやり方もあります。

自分にあったスタイル、分野や習熟度に合わせた選択が大事なのだと思います。

それこそが学ぶことの本当の意義なのかもしれません。

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