「誰でも発信できる時代だからこそ、みんな発信した方がいい話」
何を書こうかと考えずにnoteを開いた。ここ最近、目の前のことに追われて生きているが生きている感覚が無い。いつからか追うよりも追われている毎日を過ごしている。
追われている時は感覚的にしんどくなる。やっているよりもやらされている。何事もネガティブに捉えてしまう。
人は弱くて、儚い生き物。
弱いようで強い。強いようで弱い。人は感情というものでアップダウンが激しく、感情というものが自分の生活に大きな影響を与えてしまう。今日の記事は本当に書くことを決めていない。脳内に上がってきた言葉をただ淡々と書いているだけ。
だから、話はずれるし何が言いたいとか特にない。
けど、それでいい。いつも100%の記事が書けるわけではないし、すべての記事が誰かのためになるとは思っていない。刺さる記事もあれば刺さらない記事もある。そんなものだ。
文章に正解なんてないし、正解を決められる筋合いもない。自分の書きたいように思ったことを書くだけで誰かに届くこともある。そもそも、自分の考えを発信しているだけなのだから、自己満でいい。
文句があるなら、発信すればいい。書きたいことを書けばいい。
これだけだれでも自由に発信できるのだから。ただ、自分の発信には責任を持つ必要がある。何気ない発言が誰かを傷つけることもあるのだから。
ただ何となく書いていることが、誰かの人生を変えることもある。そんなことが有れば、書いていてよかったと思える。自分の考えを発信するだけで誰かのためになることがあるなんてすばらしいことではないだろうか。
誰でも発信することはできるけれど、自分のフィルターを通した考え方は自分にしか表現することができない。
だから一人一人が発信することに価値がある。自分の当たり前は誰かの当たり前ではないし、誰かの当たり前は自分の当たり前ではない。みんなそれぞれ違った環境で生まれ育ったからこそ、全く同じ考えというのは存在しないのだ。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました!!!
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