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212. 生きるとは。

あなたにとって生きるとは何か。

【2020年2月2日】

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今からちょうど1年前。


私は日本を飛び立った。
人生の中で一番と言っていいほどの決断をし、日本を離れ、長期留学のスタートした日である。不安とワクワクを胸に一人で関西空港からフィリピンのセブへと向かった。

1年前は、日本で少しずつコロナが流行りだしている時期でもあり、私はコロナから逃げるような思いで出発したことを覚えている。語学学校には夜23時に到着し、次の日は8時から学校が始まるハードスケジュールであった。

【大切な人を失った】

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ワクワクしながら過ごしていた自分は次の日になれば、悲しみに包まれていた。自分が飛行機に乗っている時に私の祖父は息をひきとったのだ。家族からは私に気を使い、次の日にその事実を知ることになった。日本を飛び立つ前から祖父は入退院を繰り返している状態が続き、いつ何が起こるかわからない状態であった。

自分の留学する日程を変えようかと思ったくらいだ。何とか自分の予定を変えないようにと祖父は最後まで自分に弱いところを見せずに頑張ってくれていた。人生で初めて、身近な人が居なくなった。父親から亡くなったという電話を聞いたとき、涙が止まらなかった。こんなに人って涙が止まらないんだと。

最後の姿を自分だけが看取ってあげられなかったことは今でも後悔している。大切な人が居なくなるのはこんなに寂しいものなのかと。今でもどこかで生きているのではないかとたまに思うことがある。祖父の家に行けば、ソファーに座りながらテレビを見ているのじゃないかと。

私の祖父は、自分のことは自分でやる人であった。どれだけ体が不自由になっても自分のご飯は自分で作っていたし、洗濯もしていた。本当に強い人であった。生きている間にもっといろんな話を聞いておきたいと後悔した。

【祖父から気付かせてもらった事】

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そんな祖父から学んだことがたくさんある。元気なうちにやれることはやったほうが良いということ。そして、自分の生きたいように生きることの大切さを学んだ。私の頑固な性格は祖父譲りかもしれない。退院できたら、一人で車を運転して、大好きなお肉を買って食べているような人であった。周りから危ないとか、体に良くないと言われても、自分の信念を貫いていた。

あれだけ自分のことを自分でやる祖父でも体が動かなくなれば、できないことも増えてきた。その姿を見て、元気な自分はなにもしていないことに恥ずかしさを感じた。できるのにやらないことがどれくらいダサいのか。できるポテンシャルを持っているのにやらないなんて言い訳でしかない。


やらず後悔よりやって後悔。まだまだ年齢を言い訳にしていいわけがない。年齢なんて、ただの記号でしかない。数字は絶対的に評価できるが、そんなもので自分の人生を評価されたくない。ランキングやお金・年齢と言ったように数字で判断される人生なんて御免だ。


いつまでも自分の人生に後悔の無いようにやりたいことをやり続ける。


【おわりに】

おじいちゃんへ

元気にしていますか?違う世界に行ってからもう1年経ちました。まだどこかにいるのではないかなと形見である靴下を履いたら思い出しています。自分が日本を飛び立った日にいなくなり、コロナによって帰国した日がおじいちゃんが居なくなってから49日というタイミング何か縁を感じました。

自分の留学をどこかで見守ってくれた居たのかと。旅立つ1週間前に帰国するまで待っていてといった約束を果たしてもらうことはできませんでした。人生何が起こるかわからないということをこの1年間で実感しました。おじいちゃんのように優しく、そして強く生きていける人生を送っていきます。まだそっちにはいけないけどあと100年くらいゆっくりして待っていてください。


本日も最後まで読んでくださりありがとうございました!


【今日の格言】

昨日から学び、今日を生き、明日に期待する。





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