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いつも、過ぎてからわかる、大切なこと、大切にしたいこと。

 あけましておめでとうございます。本年も、どうぞ、よろしくお願い致します。


 一昨日から、実家ですごしている。家族と、今まで話さなかった分まで、話し込む。仲のいい友人と、年一回、焼肉を食べて酒を飲む。恒例の行事を済ませてた後は、酔いの頭痛と眠気に負けて、年越しを待たずに眠ってしまった。

 気がつけば2020年だった。早く寝たせいか、いつになく、目覚めも早く、母親に珍しいと揶揄される。年始の挨拶とともに、お年玉を渡すと、目を丸くして驚いていた。そうだろうなと思う、本当に、今まで何も返せてこれていなかったから。自慢の両親だから、軽口は叩いても、やっぱり、大切にしたいと思った。


 仏間でお鈴を鳴らして、手を合わせる。父方の祖父母と、母方の祖母。たまにしかない分、鳴らす時は真剣で。

 昔から、霊魂や心霊を信じていなかったし、亡くなった人に対しても、それまでのことだと。冷たいようだけど、現実と現象を見ることが正しいのだと、そう思っていた。

 今も心霊や魂を信じてはいない、だけれど、亡くなった人の心や意思を感じようとすることは、生きている人にとっての、救いなのだと、今では思っている。

 手を合わせたまま、遺影を見て思う。今、元気だった頃の祖父母に会えれば、いいのにな、と。


 特に母方の祖母には、たまにしか会えない分、いつもよくしてもらっていたし、わがままもたくさんきいてもらった。教えてもらうことも、叱ってもらうことも。子供の頃のことだから、はっきりとは覚えていないけれど、今でもやっぱり、大好きな祖母で、尊敬する人だった。

 旅行に行くのが好きな人だった。定年で退職して、体の具合が悪くなるまでの間、国内外問わずに、飛び回っていたように、思う。

 癌を患って訃報を聞いたのは、大学生の頃だった。友人たちと遊んでいた時に父から連絡があり、取るものとって飛び出した覚えがある。もう動かない、眠ったような顔を見て、ああ、もう話もできないんだと、思った時、涙がこぼれた。そして、思い出を語れば、奥から、涙が溢れて止まらなかった。


 母方の祖母とよく会ったのは、子供の頃ばかりで、中学高校では、あまり機会もなくて、その大切さもわかってなくて。大学生になっても、それは大きく変わらなかった。

 だけれど、今この歳になって、両親ともよく話すようになった。そして、今この時に、祖母と、話をしてみたかったと、思った。祖母と孫としてではなく、一人の大人として、いろんな経験や、考え方を、知りたいと。

 優しく柔らかい人だった。そして、強くたくましい人だった。そんな大好きな祖母が、私をみて、私と話して、どう感じるのか聞いてみたかった。旅先で見たものを、感じたものを、全部教えてほしかった。それから、もっと、沢山の気持ちを、返したいと、思った。

 そうして少し、感情の波を揺らしながら、顔を上げる。異国で笑顔を見せる祖母の遺影が目に入る。かわいい人だなと、思った。


これからも、別離は必ず訪れるものだから。それは突然かもしれないし、まだまだ先のことかもしれない。そうなる前に、たくさん話をしておこう。沢山のものを、返しながら。



 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫



いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。