本城 雫

書きたいものを書くように。 書きたいと思った気持ちを大事にしたいです。 あわよくば、誰…

本城 雫

書きたいものを書くように。 書きたいと思った気持ちを大事にしたいです。 あわよくば、誰かの心に響きたい。 主に雑記と詩を書いていきます。写真もたまに。 140字内はtwitterで。詩がメインです。

マガジン

  • 愛してやまないnote

    私が、何度も何度も読み直して、それでも止められない、愛してやまない皆様のnoteをまとめたものです。

最近の記事

趣味の原点。

 思い起こせば、昔から本が好きな子どもだったと思う。  小学生のころから、読書好きの親に連れられて、町立の図書館へ通っては絵本や紙芝居を借りていたのを思い出す。けれど、そのあたりの話はまた今度することにして。  私の人生を変えた一冊は、とある漫画、コミックスだった。  「TWIN SIGNAL」という漫画をご存じだろうか。1992年から2001年まで、『少年ガンガン』や『Gファンタジー』というコミック雑誌で、大清水さち先生が連載をしていたロボット漫画である。  ガンダ

    • 生涯付き合っていくであろう頭痛という名の伴侶についての話。

       ここ数日、頭痛が続いている。元々頭痛持ちではあるものの、ひところに比べるとずいぶん頻度は減ったように思っていたけれど、こうして忘れたころに、集中して痛みそうな日が固まってくる。  頭痛との付き合いは、覚えている限りだけれど、大体20年ちょっとくらいになる。高校生くらいの時、頭痛が止まらなくなり、痛みで吐きそうになったこともあった。特に冬場、制服の下に着こんだまま、ストーブの熱のこもった教室の中にいるときは何度か死にそうな目にあったのを覚えている。  そういえば一度、私が

      • 世界も、自分も、ごまかし続けて。

         そうしてまた、眠りたくない夜が続くのだ。  noteを離れてから随分と時間が経った。意図して離れたわけではない、ただ自分にって、書くことよりも気持ちを落ち着かせたり、浮き上がらせたりするようなことがあっただけだ。ただその間にも、何度か書きかけては、うまくいかずに、下書きにしまい込んでしまったものもある。  書きたくなる時は、決まって気分が下降している時。いくら気分が浮き上がろうとも、その中で嫌なことや、落ち込むこと、嫉妬したり、寂しかったり、そういう日にはやっぱり書きた

        • 本の坩堝

           特別な一冊が、そうでなくなったのは、いつの日からだろう。  とにかく本を買います。ちょっと引くくらい買ってしまいます。およそ我慢という言葉からほど遠いくらいに買います。自由奔放です。それを得るたびに通帳がマイナス桁に突入していきます。たぶんこの生き方はだめだと思います。  私の読書についての、熱いかどうかは今一つ伝わりにくい、思いは過去のnoteで触れたとおりです。  日付みてびっくらこ来ましたけど、長い間noteに来られてなかったなぁと、全然関係ない感想を抱きつつ進

        趣味の原点。

        マガジン

        • 愛してやまないnote
          28本

        記事

          思い出そうとして、記憶の輪郭をなぞってばかりいる。

           私の脳は正常に働いているのだろうか。  何か月ぶりかのまともな休みを過ごしていた。今日という1日しかないのだけれど、それでも、何にも邪魔されない、自由な時間は、本当に貴重でありがたいと思う。何かって、9割がた仕事なんだけれど。  ごみ溜めのような部屋を、少しだけましにしたくて、片付ける。片付けるというよりは、本当に、捨てるごみをまとめただけ。ただそれだけで、部屋のスペースが戻ってくる。おかしいな、私の部屋は、ごみ箱ではないはずなのだけど。  1日分のまとまった時間が取

          思い出そうとして、記憶の輪郭をなぞってばかりいる。

          読むことだけが人生だ #わたしの読むスタンス

           あきらとさんの、こんな記事を読みました。  あきらとさんの、感想noteを読むといつも、感心しっぱなしでいる、その理由がここにありました。このnoteを見た後で、いくつか読み直してみましたけれど、なるほどまさに、「人」を読み、「気づき」を得て、広がっていく、これがあきらとさんなのだなと。やっぱり尊敬のまなざしを向けるのでした。  そして、今回書かせていただくのはこちら。  そうだとして、私にとって、読むとは何だろうかと。  正直、微塵も考えたことがありませんでした。

          読むことだけが人生だ #わたしの読むスタンス

          迷った挙句の本の虫。

           そう、なにか、素敵なことを書こう。  というのも、久しぶりの休みを、よくわからない不安に包まれて過ごして、迎えた今日の仕事。あのウィルスと思しき報告がアルバイトくんから入ってきた。とうとう来たのかと思うと同時に、猛烈な不安が襲ってきた。  昨日の不安は種だったんだなと、気づく。コロナウィルスという脅威が近づけば、日常など吹き飛んでしまう。いつも通りなどあり得ない、何もかもが劇的に変わってしまう。変化に弱い私では、追いつけないどころか、立ちすくんで何もできなくなってしまう

          迷った挙句の本の虫。

          何もないはずの午後に

           言い訳ばかりして、積極的に、世界から、取り残されるようにして。  取り巻く環境が激変していく。世界が姿を変えていく。それは遠くから訪れて、近くなる。忍び寄ってきたわけではなくて、足音は大きく、あわただしく、だけれど、それに気づかないふりをして、同じような毎日を繰り返していく。気づけば、すぐそこの日常に、影が差していた。  とうとう職場にも僅かばかりではあるものの、短縮営業が訪れた。いつもと違う日々がくる。考えなければならないことは、きっと多い。だけど、もう私は、考えるこ

          何もないはずの午後に

          「余裕を持つ」ということ。

           ご無沙汰しております。本城雫です。  なんだか全然いつも通りに書ける気がしないので、ちょっと書けるように書くことにします。ノリがかなり違うと思うのでご注意ください。  このところ、忙しすぎてどうにかなりそうです。といっても怒られてへこんでなのはいつも通りなんですけど。ただただ拘束時間が長い、そして日長業務が終わらない。ほとんど毎日午前様、休みの日は職場に遊びに行くという体でお仕事三昧。今月まともに休んだのはたぶん二日ぐらいでしょうか。そういうわりには、効率のいい仕事の仕

          「余裕を持つ」ということ。

          限界は遠く、足取りは重く。

           それはまだ遠く、はるか遠く。  もう限界だなと思った。  一向に楽にならない仕事、できることが増えない自分、叱責されすぎたせいか、何をするにも臆病になる、何もしなくても心が怯えている、いつも委縮している。心が休まる時間は唯一この時間だけ、それでも、明日を思えば苦しくなる。何も考えないでいたい、だけれど考えなければ前に進めない、といって考えたところで見当違いで、間違ってばかりいる。また、何度でも何度でも。  休みらしい休みがなかった中、昨日は13時から18時までと短い時

          限界は遠く、足取りは重く。

          書きたい気持ちはあるのだけど、なかなか時間が取れないでいるので今は書く時じゃないのかもしれないなぁ、なんて思いながら、みんなのnoteを見てる深夜の駐車場。これからかえります。明日も朝から…起きられるかが心配。

          書きたい気持ちはあるのだけど、なかなか時間が取れないでいるので今は書く時じゃないのかもしれないなぁ、なんて思いながら、みんなのnoteを見てる深夜の駐車場。これからかえります。明日も朝から…起きられるかが心配。

          「聞いてよ20歳」が教えてくれたこと。

           先日、「聞いてよ20歳!」という企画に参加させていただいた。  こちらがその記事。実に、私らしいような、私らしくないような、結局のところどっちなのか、よくわからないままに、ただ、自分には必要だったんだろうなと、思ったことを、書き連ねたもの。  いつもよりもとてもスキをいただいたり、反響をいただいたりして、驚きつつもニヤリとしてしまう。素直に嬉しい。  もちろんその反響は、きゆかさんの企画の広がりからなるもので、私の記事が特別良かったわけでもなければ、唐突に腕が上がった

          「聞いてよ20歳」が教えてくれたこと。

          休みがね、ええ、休みが、欲しいんですよね。こう、休みだけど、自発的に店に遊びにきました、みたいな体裁を取らなくていい、家で一日中過ごしたいられて、電話も鳴らないような穏やかな休みがね、週に1回くらいはあってもいいと思うんですよ。時間欲しいね。ほんとにね。

          休みがね、ええ、休みが、欲しいんですよね。こう、休みだけど、自発的に店に遊びにきました、みたいな体裁を取らなくていい、家で一日中過ごしたいられて、電話も鳴らないような穏やかな休みがね、週に1回くらいはあってもいいと思うんですよ。時間欲しいね。ほんとにね。

          あの頃に見た希望は、振り返った今もまだ

           郷愁に締め付けられて死んでしまいたかった。  好きな曲がある。たぶん、このnoteを読んでいる人は、誰も知らないであろう曲。とあるゲームの挿入歌だった。大学時代、病んでいるかのように、大学にもいかず、外にでもないで、ゲームばかりしている時期があった。たぶん病んでいたのだと思う。そのころに聞いた中のひとつだった。  一般の曲ではなくて、ゲームという遊びに付随した曲であることが、少し恥ずかしくて、公開し辛い。歌に貴賤はないけれど、そういいながら、貴賤を決めている自分が疎まし

          あの頃に見た希望は、振り返った今もまだ

          ただの子どもじみた愚痴、ほかに吐き出す場所は、持っていないから

           脆弱な精神だと思った。  連日の長時間勤務とさらなる残業に疲れ果てたころ、ようやく夕方までの休みをとることができた。予定よりも、少し寝すぎた昼頃から、このところこなせなかった用事を済ませていく。  15時に差し掛かるころにはため込んでいたしようも終わり、さてなにをしようか、少し書きたいな、何を書こうかな、とぼんやりしながら煙草を吸う。誰にも文句を言われない、この時間が好きだった。  だけれど、中断するように、電話が鳴る。  昨日私が対応したお客様の、追加対応だった。

          ただの子どもじみた愚痴、ほかに吐き出す場所は、持っていないから

          「どうしようもない私」になってしまう前の私へ #聞いてよ20歳

           あの頃の私にかけたい言葉を、探してみた。  20歳のころ、私は、本当にろくでもなかったと思う。せっかく入った大学にもたいして行かず、バイトに打ち込むわけでもなく、親のすねをかじり怠惰に日々を過ごす、ダメな方向でステレオタイプな大学生だった。人には言えないようなこともあったし、斜に構えて、カッコばかりつけていたように思う。3年くらいからは研究にも楽しみを見出していたけれど、しょせんは学生のお遊び程度でしかなかった。  世の20歳がどんな風なのか、あまりよく知らない。職場の

          「どうしようもない私」になってしまう前の私へ #聞いてよ20歳