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思い出そうとして、記憶の輪郭をなぞってばかりいる。

 私の脳は正常に働いているのだろうか。


 何か月ぶりかのまともな休みを過ごしていた。今日という1日しかないのだけれど、それでも、何にも邪魔されない、自由な時間は、本当に貴重でありがたいと思う。何かって、9割がた仕事なんだけれど。

 ごみ溜めのような部屋を、少しだけましにしたくて、片付ける。片付けるというよりは、本当に、捨てるごみをまとめただけ。ただそれだけで、部屋のスペースが戻ってくる。おかしいな、私の部屋は、ごみ箱ではないはずなのだけど。

 1日分のまとまった時間が取れることは、そうそうない。この、不要不急の外出を控えようという時期になってからは、なおのこと。書店は不要不急なのだろうか。それとも、よりよい精神活動を行うために緊急に必要なのだろうか。私にとっては、食事のようなもので、なくてはならないのだけれど、一度読んだ本でも構わないから、緊急というわけではないのかもしれない。


 貴重な時間を、読むことに充てる。それから、書きたいと思った。

 だけれど、書きたいことが、上手く思いつかなかった。


 みんなのnoteを眺める。読み込む気力はなかった。いろんなタイトルが、書き出しが、テーマが、あふれ出して、懸命にすくう。昔あったことについて。経験してきたことについて。今起こってることについて。いくらでも、ある。

 ふと、昔に思いを馳せる。あの頃、何があったのか。あまりにも漠然としているせいか、思い出そうとしても、上手くいかないことが多い。〇〇歳の時の時のこと、みたいに、区切りをつけて探さないと、何も見つからない。形はわかる、だけど、中身がわからない。

 表層を探ると、強く記憶にたたきつけられたものが優先して思い浮かぶ。それは喜びや感動ではなくて、恥ずかしさと後悔に染め上げられたものが多くて。形を確かめるだけで、憂鬱な気分になっていく。

 楽しかったことを、選ぼう。そう意識しながら、潜る。だいたいが、いわゆる、オタクとして生きてきた中にあるものだった。みんなといる。ひとりでいる。いろんなことがあるけれど、どれも共通して、ここ最近では得られないほどの、まぶしさを放つ。すくいあげて、反芻する。幸せに殺されそうになりながら、同時に、今この時を淋しく思ってしまう。

 どの記憶にも言えることだけれど、私は、詳細をはっきりと覚えていない。あの時、自分はこうした。こう言った。こう思っていた。理由があった。根拠があった。だけど、思い出そうとすると、必ず何かが欠けている。過去を引っ張り出してきて書くことが、私には、難しかった。いまの私には、むかしの私を、想像することしかできなくて、当時思っていたことも、言っていたことも、果たして、本当にそうだったのか、自信がない。

 もちろん全く書けないわけではないのだけれど。自分の過去を思い出そうとしても、正確にはいかなくて、どうしても、いまの私を書こうとして、この、どうしようもなく、あきらめ癖のついた思考の端っこを、綴ることが多かった。

 考えることも、覚えることも、思い出すことさえも。これほどに困難だと感じてしまう。私の脳は、どうかしているのではあるまいか。

 最近は、日常生活でも、自分というものが疑わしく感じることが多い。会話がうまくできない。矛盾に気づいていない。そんなことがとても多い。働け脳みそ。それともこれは、単に心の持ちようの問題なのか。どちらにせよ、考えるのも、思い出すのも、感じることも、脳の仕事だ。やっぱり働け、脳みそ。だけれど働きたくない、私。

 怠惰を自覚して、それでもなお、怠惰で生き続けることは、諦めているからなのだろうか。それでも、生きてしまえているから、許容してしまうのだろうか。楽になればいいと、今日も私は私を甘やかしている。












 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫



いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。