……あ。 また来てくれたんだね。ありがとう。 大丈夫、調子はいいよ。っていうかいつも調子いいんだから、いい加減退院させてくれればいいのにね。お医者さんやお父さんお母さんはだめだって言うの。 私はどこもおかしくないのにね。 今日も持ってきてくれたの? りんご。 お見舞いといえばりんごでしょ、みたいなの安直だよね。ふふ。 いいよ、私りんご好きだから。 でもなんか不思議な感じ、病人みたい。 私、病人じゃないのに。 ……え? 何見てるのって、あれだよあれ
おい。 おい、お前だよガキんちょ。 聞こえてるかい。 お前、本当に馬鹿だよな。 結局、お前の人生、一体何だったんだ? 全部まとめて俺に食わす気か? ……はは。 まだ返事ができるみてえで安心したよ。 もうガキじゃなくてばばあだって? 言ったろ、俺にとっちゃあ人間全員ガキだよ。 俺にとっちゃあ、お前はあんとき押しかけて来た十八のお前のまんまさ。それとも、初めて出会った八つのお前がいいかい。見た目なんてどうだっていいことだ。俺だってたぶんそろそろ七百年くら
おい。 おい、お前だよガキんちょ。 なぁんでまた来ちまったかねえ。 言ったろ、次は今度こそこわーい狐さんになるって。 お前は覚えてねえかもしれねえがな。 今度こそ、お前のこと食ってやろうか? ……はぇ? え、は、え? いや、ちょっと待てちょっと待て! 一旦その口閉じやがれ! ……え、なんだお前、食われに来たわけじゃねえんか? 単純に考えなしに遊びに来ちまったわけでもねえんか? な、なんだよ、お、お嫁さんにしてくださいって。 食っちまうってそういう意
おい。 おい、お前だよガキんちょ。 おかーさんに聞かなかったのか? 夕日が沈む頃にここに来ちゃいけねえって。 こわーい狐さんに食われちゃうぞって。 ……は? いや、食わねえけど。 嫌だよ、お前なんか食うの。 はー。いるんだよなあたまに。お前みたいなの。 俺をなんだと思ってんのかね? これでも昔は村を守るお稲荷様だったんだぞ、一応。 ……じゃあ今はって、そりゃあ、お前、言わすなよ。ただのはぐれ化け狐だよ。 こわーいお兄さんに化けてやろうか? やっ
聞き覚えのあるメロディが遠くに聞こえる。 意識が浮上すると共にメロディは近づく。 今何時だ。 早すぎる。当然だ。私のアラームは二度寝や一度で気づかないことを前提として設定されている。 まだ動かなくていい。 意識を手放す。 同じメロディがまた聞こえる。 夢を見ていたところを邪魔される。 今何時だ。 ……ああ、動かなければ。 嫌だ。動きたくない。動きたくない。動きたくない。嫌だ。嫌だ。 朝はこうなるから嫌だ。私がまともな人間なら動けただろうに。 私
気づいたときにはそこにいた。 真っ黒なペンキで満たしたような闇の中。 どろりとした空間の中に浮かんでいる。 ここがどこなのか、私にはわからない。 ただ、確信はあった。 私はこの、私を取り巻くタールのような闇、そのものだということ。 「ヒト」のような形はしていたけれども、私は決定的に人とは違う。 「ヒト」というものが何なのかも、今一つよくわからなかったけれども。 何もない黒ペンキの海を泳ぐように彷徨う。 生暖かくて、どろどろしていて、動きづらくて息苦しい
ある休日の朝。 物が散乱した汚い自分の部屋の真ん中で、私は思った。 そうだ、断捨離をしよう。 なんとなくいつか使うかもと思って取っておいていたチラシやクーポンなんかをゴミ袋に詰める。明らかな空箱やレジ袋もゴミだね。 昔使っていたけど今は使っていないバッグはまとめて売りに出そう。 服も多すぎる。ひとつの季節につき一週間着回せる分があれば十分でしょ。 一日目はゴミを出してバッグや服を売りに出すので終わっちゃった。 まだ部屋は物で溢れかえってる。 また、次
最近なんだか妙な噂が流行っている。 「舐めると幸せになれる飴玉」というものがあるらしい。 幸せになるっていうのは、どう幸せになるのか、よくわからない。 宝くじが当たるとかいう人もいれば、運命の人に出会えるという人もいる。 願いが叶う飴玉、なのかもしれない。 その飴玉はどうやって手に入れるのかというと、それもよくわからない。 噂によると、その飴玉はなんてことない市販の飴玉たちにしれっと混ざっていて、その飴玉を見つけたら、「これがそうだ」と絶対わかるらしい。 それ
よう。 おまえさん新入りかい? まあまあ、そう睨まずに、仲良くやろうや。 おれたち付喪神は、人間が寝静まった夜の間しか喋れない。万が一にもおれたちの声が聞こえる連中に見つかっちまったら面倒だからな。お前さんが来た時に歓迎会ができなくてすまんね。 そうだ、この店の話をしてやろうか。 この店は相当変わってるんだぜ。 どう変わってるかというと、まず客がほとんどない。同じ日に客が三人以上入るってのは、まあそうないね。そのくせ、街の爺さんらが物心つく頃にはもうあって、
とく、とく、とく。 すっ。 こと。 ぱき。 ぽとり。 しゅわあ。 泡を立てながら、まるい錠剤が酒に溶けていく。 黄色いカクテルが緑色に染まっていく。 自分で作ったカクテルを、自分の目の前に置いて、自分で錠剤を入れた。 別に誰かに飲ませようというわけじゃない。 というかそもそも自分の他にはこの場に誰もいない。 かといって自分でこれが飲みたくて作ったというわけでもない。 この錠剤を口にしたら何が起きるかはわかっている。 まだ、少し泡立っているカク
ふわぁ~あ……よく寝た…… あ、僕を起こしたの君? どうしたの、そんな思い詰めた顔して。 まあ僕を起こす人は大体みんなそんな顔してるけど。 ……あは、今度はすっごいきょとんとしちゃって、君かわいいね。 それじゃあ改めて自己紹介しようか? 僕は全能の魔人、僕を起こした人の願いを何でも三つ叶えてあげるよ。 まあ、その代わりに死後君の魂は僕のものになるけどね。もちろん、それは承知の上で僕を呼び出したんだよね? じゃあ、新しいご主人様、君の願いを聞いてみようか?
海。 水。 つめたい水の底。 深い深い水の底に、沈んでいる。 肺に残っていた空気はとっくの疾うに使い切ってしまっていて、 手を伸ばした先にわずかにできる気泡などはなんの役にも立たない。 息苦しくて、生き苦しくて、仕方がない。 水の中に棲んでいるから、他の誰の声もよく聞こえない。 反応が一瞬遅れて、ああ、やってしまったと自戒する。 それでもこの、くらくて、しずかで、重たい水の中が心地よくて、僕は望んでこの苦しい水の中にいる。 それにしても息ができな
え? ……えぇ……。 いや、押しませんよ、そんなの。 「押したら百万円もらえるボタン」とか。 どうせあれでしょ、それいわゆる「五億年ボタン」なんでしょ。異空間で五億年過ごしたらその後で記憶を消して百万円もらえるっていう。嫌ですよ、なにもない空間で五億年過ごすなんて。後から記憶が消えるとしても、そのときの僕にはとんでもない話ですよ。間違いなく発狂しますね。そんな苦行の果てに得られるのが百万円ぽっちなんて、コストパフォーマンス終わってますよ。 ……え? 違う? 五