逢魔が時の邂逅/志月ゆかり
おい。
おい、お前だよガキんちょ。
おかーさんに聞かなかったのか?
夕日が沈む頃にここに来ちゃいけねえって。
こわーい狐さんに食われちゃうぞって。
……は?
いや、食わねえけど。
嫌だよ、お前なんか食うの。
はー。いるんだよなあたまに。お前みたいなの。
俺をなんだと思ってんのかね?
これでも昔は村を守るお稲荷様だったんだぞ、一応。
……じゃあ今はって、そりゃあ、お前、言わすなよ。ただのはぐれ化け狐だよ。
こわーいお兄さんに化けてやろうか?
やってやってって、そんな目ぇ輝かすなよ。調子狂うだろ。
ほらよっと。
これで満足か?
じゃあさっさと帰んな。こわーい狐さんはお前を食ったりしねえけど、代わりに夜はこわーい大人がいっぱいいるもんだぜ。
……なんだよ、そんなに帰りたくねえのか?
何があったかなんて聞かねえぞ。俺ぁ人間の事情になんか首突っ込みたくねえんだ。突っ込んで良かったことなんか一度もねえからな。
……はー。じゃあ好きなだけここにいろよ。別になんも面白いもんねえけど。
はあ? 俺ぁ優しかねえよ。面倒なだけだよ。
…………
……饅頭食う?
食うんかよ。よくそんなためらいなくいけるな。子どもって恐れ知らずだな。
あぁ? 恐れ知らずってのは、怖ぇもんを知らねえってことだよ。だから俺みたいなこわーい狐さんのうちにやってきたり居座ったりできんだろ。
……ふーん? 俺より怖ぇもんがあんだ。そりゃお前、騙されてんだよ。誰にって、そりゃみんなにさ。その俺より怖ぇもんってのが何なのかは知らねえけど、そいつは自分を怖ぇってお前に思い込ませてるだけだし、俺が怖くねえってのは、俺がまるで怖くねえやつみたいに振る舞ってやってるってだけさ。お前みたいなガキんちょはまだ世界を知らねえんだ。大人を知らねえんだ。だから恐れ知らずなのさ。
おう、俺ぁすげえ物知りだぜ。何百年も生きてるとな、色々知りたくねえことまで知っちまうもんなんだよ。
俺が何歳かって? もう数えてねえよ。六百年くらいじゃねえ? 適当だけど。お前は? はー、まだ八歳かよ。八年なんつったら、俺がまだお稲荷様のお仕え化け狐として修業を始めたばっかの頃だぜ。なんてお前にはわかんねえか。
……あぁ? いねえよ。そんときのお稲荷様はもうさらに上の神さまに格上げされちまって、俺がお稲荷様になったこともあったけど、もうこの村に「お稲荷様」なんてのはいねえさ。いるのはこわーい化け狐だけ。
なんでって、みんな忘れちまったからさ。信じる心を忘れちまったからさ。だぁれも、ここに俺がいるってことを本当には信じちゃいねえ。お稲荷様が本当にいるなんて、もっと信じてねえのさ。
……あのなあガキんちょ、お前に俺が見えてるのは、俺がお前に姿を見せたからだ。お前をちょいと脅かして追い払ってやろうと思ってな。まあお前は帰らなかったわけだが、人間に姿を見せるなんて、普通そんなことはしねえのよ。見えねえものは信じなくなる、今じゃ当たり前のこった。昔はそんなことなかったけどよ。
そりゃあ、時が移ろえば人が変わる。人が変われば考え方も変わる。考え方が変われば信じるものも変わっていくわな。当たり前なこった。俺ぁ誰からも忘れられちまった。別にそれは構やしねえ。これまでの時間がなくなったわけじゃねえし、たまにお前みたいな暇つぶしが現れるしな。
暇つぶしだよ。
全部暇つぶしさ。
誰からも忘れられ信じられなくなった俺ぁもう神さまにもなれねえ。一度お稲荷様になった俺ぁ死ぬことすらできねえ。この国がぜぇんぶ海に沈んじまうか、焼け野原になっちまうまでな。
だからそれまでの暇つぶしさ。お前と今こうして話してんのもな。
まあまあそう可哀想がるなよ。余計惨めにならぁ。
……お前可哀想がってるわりに饅頭めちゃくちゃ食うじゃん。何、そんなに腹減ってたんか? まあお前がりがりだしなぁ。ただの狐だったときの俺みてぇ。
うちでちゃんと食ってねえのか。そりゃあよくねえなぁ。腹が減るのはよくねぇ。ばかみたいなこと考えちまう。こわーい狐さんに食ってもらおうとかなぁ。お前のことだよ。
でもお前には確かにどうしようもねぇことだわな。お前はまだ子どもで、親がなんとかしてやらなきゃ自分で生きていけねぇもんな。お前は人より大変な子どもみてぇだが、まあ頑張ってみな。世界はお前が思ってるよりずっと広いもんだぜ。親だけが大人じゃねぇ。お前を助けてくれる大人だってきっとどこかにいるさ。……まあ、優しそうに見せかけて本当はこわーい大人に騙されることもあるかもしれねぇがな。俺みてぇな。饅頭に毒とか入ってなくてよかったな。……入ってねえよ。いくらでも食えよ。腹減ってんのだけはだめだ。それがどんだけ惨めなことか、俺ぁ嫌ってほどよく知ってんだ。
……そろそろ暗くなるな。
お前、こっから帰れんのか?
ずっと置いてくれないのって、そりゃあ無理だ。俺ぁ人間じゃねえ。人間の育て方なんて知らねえよ。それに俺はこわーい狐さんだからな。今はお前のこと、化かしてやってるだけなんだぜ。……わかんねえか。わかんなくていいよ。
もっと、ちゃあんとお前を助けてくれるやつが、お前の近くにいるよ。俺にはわかる。わかるさ。だって俺ぁ元々神さまだからな。なんだって見えんのさ。
だから帰んな。お前が頑張れば、そう遠くねえ内に、俺に食ってもらおうなんて思わなくてよくなる日がくるからさ。
……ったくしょうがねえなあ。じゃあ山の麓まで送ってってやるよ。
ほら、おいで。
……良い子だ。
じゃあ、しっかり頑張るんだぞ。もうここに来るんじゃねえぞ。
次逢う時には、俺ぁ今度こそこわーい狐さんになるからなぁ。
……ちゃあんと忘れろよ、俺のこと。
FIN.
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