自律型音ゼンマイ式操り人形/志月ゆかり

 聞き覚えのあるメロディが遠くに聞こえる。
 意識が浮上すると共にメロディは近づく。
 今何時だ。
 早すぎる。当然だ。私のアラームは二度寝や一度で気づかないことを前提として設定されている。
 まだ動かなくていい。
 意識を手放す。 

 同じメロディがまた聞こえる。
 夢を見ていたところを邪魔される。
 今何時だ。
 ……ああ、動かなければ。
 嫌だ。動きたくない。動きたくない。動きたくない。嫌だ。嫌だ。
 朝はこうなるから嫌だ。私がまともな人間なら動けただろうに。

 私は未だアラームを鳴らし続けるスマホを手に取り、アラームを止める。そのまま音楽アプリを開いてプレイリストを選択する。
 ランダム再生。
 明るい前奏が聞こえてくる。
 陽気に歌いやがって、私はこんなにも苦しいのに、腹が立つ。
 そうか、今日は「こっち」の日か。
 プレイリスト変更。今度は曲を自分で選択する。
 落ち着いた曲調の、どこか悲哀の籠った歌声が流れる。 

 それを聞きながら、私の体は自動的に動き始める。布団から起き上がって、今日着る服を選んで、スマホを持ったまま風呂場へ行く。
 ジップロックの袋にスマホを入れて、曲の音量を上げて、シャワーを浴びる。
 終わったら音量をまた下げて、スマホを取り出して、部屋に戻り、用意していた服を着る。
 髪を乾かす間は曲が聞こえない。聞こえないが、「音を流している」という事実だけで十分なのだ。何が流れているかは最初以外どうだっていいのだ。
 私は音で動く操り人形。音がないと動けない。 

 メイクをして、この時間が一番嫌いだ、これで出かける準備はほぼ完了。
 あとは必要な荷物を軽くまとめて、最後に大事なこと、ずっと音楽を流し続けているスマホにイヤホンを挿して、耳に装着する。
 ……今はこの曲調の気分じゃない。
 最初に流した明るい曲を集めたプレイリストに変更する。
 ここまでくると、無理やりにでも元気を出さないと、動けない。 

 外に出て、自転車を漕ぐときも、ずっと耳には音楽が流れ込み続けている。
 自転車に乗るときにイヤホンを着けてはいけないことくらい知っている。そのせいで後ろを走る車に気づかなくて事故に遭いかけたことも何度もある。
 でもそんなことはどうだっていい。
 音がないと動けないのだ。外の世界の音など何も聞きたくないのだ。 

 奇妙な特技ができた。
 ランダム再生されているプレイリストの、次に流れてくる曲を当てられるという。
 本当にどうでもいい特技だ。しかも正答率は六十パーセントくらい。別に高くない。どこでも披露できない、しょうもない特技だ。でも当たるときは本当に当たるから、少し嬉しくなる。そんなことで嬉しくなったって仕方がないけど。 

 職場にたどり着く。
 職場にたどり着いたら、イヤホンを外して曲を止めざるを得ない。
 ああ、動きたくない。もう動きたくない。
 けれどもいいのだ、職場は職場で私を無理やり動かす「責任感」というゼンマイがある。
 それがあるうちは、とりあえず、職場にたどり着くことさえできれば、あとはどうとでもなる。
 仕事ができる、とは言ってない。ただ、生き抜くことができるだけ。 

 仕事が終われば、まあ大抵の場合はそのまま帰るわけだが、帰るときも同様だ。
 しかし困った。何を聴く気分でもない。音がないと動けないのに。
 とりあえずイヤホンを着ける。スマホを取り出して音楽アプリを起動する。
 しばらく止まったまま眺める。まあ適当にこれでいいか。
 ダークでアップテンポなボカロ曲が流れだす。
 うーん、微妙だ。でもまあ一番ましかもしれない。
 私は自転車を漕ぎ出す。 

 ……音がないと動けないというのは、一種の依存症とか、強迫観念に近いものなのだろう。
 だって職場や人と会うときなんかは音がなくたって動けるのだから。
 でもそれだって、「動きたくない」に「動かないといけない」が勝っているからそうしているだけで、別に動きたいわけではない。
 気力がないのだ。何もしたくないのだ。
 ひとりでいると、「動かないといけない」に「動きたくない」が勝ってしまって、というか、「動かないといけない」なんて、ほとんど思えなくて、仕方がないから「音を流せば動く」という条件付けをしたのだ。無意識のうちに、そうしていたのだ。
 その結果、ひとりでいるときは音楽がないと全く動けないポンコツ操り人形が誕生してしまった。 

 この弊害は大きい。
 まず家で基本的に何もできない。しないといけない作業や、勉強や、家事その他諸々を可能な限り後回しにしてしまう。それも音を流せば動けるのかもしれないが、そもそも音を流す気にならない。音楽を流し、動き始めるのは、やはり自分の意思なのだ。
 次に自己肯定感が著しく下がる。「自分は何もできない人間だ」というのを、音楽を聴くたびに突きつけられているような気分になる。音楽を聴かない間の私の体には、「動けない無責任な人間」というレッテルが重く重くのしかかっている。
 それでも仕方がない。もう音がないと動けないのだから。

  ほら、家に帰って、嫌々ながら、音楽を流しながら、どうにか食物を腹に詰め込んで、そのまま何もできずに布団に倒れ込んでしまう。
 眠るときですら、YouTubeで何かしらの音を聞いていないと眠れない。眠るときだけはYouTubeだ。勝手に動画が止まってくれるから。 

 聞き覚えのあるメロディが遠くに聞こえる。
 意識が浮上すると共にメロディは近づく。
 今何時だ。
 早すぎる。まだ動かなくていい。
 意識を手放す。 

 同じメロディがまた聞こえる。
 夢を見ていたところを邪魔される。
 今何時だ。
 ……ああ、動かなければ。
 嫌だ。動きたくない。動きたくない。動きたくない。嫌だ。嫌だ。
 朝はこうなるから嫌だ。私がまともな人間なら動けただろうに。 

 私は未だアラームを鳴らし続けるスマホを手に取り、アラームを止める。そのまま音楽アプリを開いてプレイリストを選択する。
 ランダム再生。
 音楽が流れる。流れる。流れる。
 ……動けない。動きたくない。動きたくない。
 音楽が流れているのに。動かないといけないのに。
 ただただ、部屋の中に陽気な歌声が、悲哀の籠った歌声が、ダークな機械音声が、ゆったりとしたバラードが、忙しなく流れる。流れる。

  あーあ、壊れちゃった。

FIN.

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