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墾田永年共財帳|note米飯部

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墾田永年共財法は、令和2年11月1日に発布された法で、墾田(自分で新しくコメントした投稿)の永年共財化を促進する法令である。要するに、note米飯部がコメントした投稿まとめである。
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#エッセイ

墾田永年共財法の公布のお知らせ  note米飯部

note米飯部は、サークルメンバーの投稿にコメントをするだけのサークルです。 私は「noteを初めて良かった」と思う理由の一つが、投稿にコメントが貰えたことだと考えています。応援するクリエイターが心もお腹もいっぱいになるために、いま私にできることは、メンバーの投稿にコメントをするというサークル活動を発足することでした。 note米飯部では、お米とコメントをかけて、コメントすることを「コメントを炊く」なんて表現しています。美味しいお米の代わりに嬉しいコメントをお届けしていま

満身創痍

私は、気に入って使い続けているものに、名前をつけている。でも、全部につけるわけではない。特に、気に入ったものについて。 心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。 それだけでも、かなり、変わってはいると思うけれど、ね。 例えばテレビは、たかお、という。 なぜたかおか、は、恐らく、昔の記事には書いた、気がする。 たかおが我が家に来たのは、2007年の、春である。もう、17年も前になる。 そう、もう、17年だ。 だが、普通、家電製品の寿命は、10年を超えると

立ち上がれ!

音楽を聴きながら書いたので 流しながら読んで頂ければ雰囲気出ます 背中を押させてほしい瞬間がある だけどそれは可哀想だと 弱いものが哀愁を漂わせるようなものを 見ていて同情するものではない 昔、共同で入る現場があって そこで別の親方にどやされている子がいて 物凄い人格否定のような言われよう 別にどんくさくもないとおもったけど 親方さんは手際は確かに良い 散々どやされて泣いていた 親方さんと離れた時 俺と仲間は寄り添って言葉をかける 可愛そうだったからね 「気にすること

くらやみが歌ったとき

すべてを なげだしそうになる そんな闇(よる)に のみこまれるとき 生きることへの 情熱をなくすとき こころもからだも 迷子になる くるしみ かなしみ いたみ それは自分の頭が つくりだすもの? すべてはわたしたちがつくる まぼろし? そんな闇(よる)を かかえたまま 雨あがりの朝 森をあるく 静謐(せいひつ)な空気と 雨粒をまとう 葉っぱたち はりつめていた きもちも からだも  一歩一歩 ほぐれていく ひと息ごとに ゆるんでいく そしてふっと 森の空気と とけあったと

行動はペンより強し

音楽聴きながら痺れるテイストで書いてみました 流しながら読んでいただけたら、幸いです。 やらなきゃいけない事が多すぎて 逆に今日1日のんびりしようと思う 記事など書いて時間を有効に使おう うちの会社と俺の生活リズムは 来週末くらいから大きく変わる 今までは飲食店の大きなトラブルを 夜中に解決していた ただこの流行り病の時期、じり貧だった 不意に沸いた大手ファミレス その排水方式を100店舗くらい切り替える それを受注した管理会社 余りにも安く引き受けすぎていて 工事

スキを押す事

無駄な駄文なので音楽でも流しながら お読み頂ければ幸いです。 最近割と俺のフォロバは緩い 読むとか読めないとか そんなことはどーでもいい気がした 小さな交流を粗末にとは思わない けど、もっと知りたい人はいるし そこで立ち止まるとsns疲れが起こる だけども フォロバ100でひたすらビジネス文章を 書いていてもそれが何になるのか? 俺にはわからなかったりする きっと、ビルゲイツとはいわないけども ある程度成功した人じゃないかな? じゃないと圧倒的に 読まれないとは思うけ

1. King Gnu - 泡 (コロナ禍と生きる目的)

このエッセイを始めようと思ったきっかけが、King Gnuの「泡」(あぶく)という曲です。この曲のミュージックビデオを見て、いつのまにか私は涙を流していました。まるで人魚の歌声に魂を奪われかけたかのように、この曲のことが頭から離れられなくなり、何度も何度も繰り返し聴きました。 King Gnuの「泡」(あぶく)のミュージックビデオはこちら↓ 森山未來さんの演技とダンスは、主人公が抱える苦悩と愛を圧倒的な表現力で魅せています。そして、King Gnuの2人のボーカルの水の奥

きみのしっぽのことを、何で想いだしてるんだろう。

「わたしずっとほしいんだ、しっぽ」っていう 言葉をみつけた。 しっぽが何故欲しいのかその理由もわからないのに わたしもずっとほしいよ、しっぽって思った。 家族と犬の物語にでてくる主人公「ぼく」の妹の言葉。 しっぽって、つくろわなくていいからまんまの 気持ちがでてるからいいんだって彼女は思う。 じぶんの顔って人間ってどうしても <ついつくろってしまう>。 尻尾は誰かに気を遣うこともないし、ありのままの 心でいられるような気がするから。 尻尾があったらよかった

多動的な行動と、自閉的な思考の末に。※長いです。

このnoteに来てから半年くらいが経過したと思います。もうnote投稿はしなくていいやと思っていました。 人は半年もあれば、新しい何かに手を付けてから色んなことを知って、色んなことを経験して思考する事が出来るんだなと思いました。 振り返ればこのnoteは、苦痛の末に辿り着いた場所であり、溜まりに溜まった想いを開放する場所になり、新たな知見を得るきっかけとなる場所になりました。 何より気づきが沢山あったことが、私にとっては宝となったかも知れません。 ただ一言で言うなら、

結局何者にもなれなかった、と君は言うけれど

君が芸大を目指し予備校に通っていた頃、私は勉強への意欲を失って夜のバイトに溺れていた。 君が見事芸大に合格し、年月をかけてデザインを勉強し、卒業制作で最大三日の徹夜までしていた頃、私はネットワークビジネスの勧誘に引っかかり親戚に洗剤を売りつけていた。 君が名前の通った企業に就職し、ハードワークな下積み時代を送っていた頃、私は塾講師のバイト先で中学生を相手に本気の喧嘩をしていた。 君が大きいプロジェクトを任せて貰えるようになった頃、私は上司の愛人的ポジションに収まり、大し

風が運んでくるもの

いつもの道を歩いていると、ふいに前方から風がブワッと吹いてきた。 周りの樹々を揺らし、葉っぱも揺らしながらとても軽やかに舞い上がってゆく風。 その軽やかに舞い上がる風を見ながら、わたしもこの風のようになりたいと思った。 日常生活を過ごしているとあまりにも、 「こうあらねばならない」 「こうしなければならない」と決められたことが多すぎる。 組織に属するということは、ある意味それらの事を守ってゆくということかもしれないけれど 本当の意味でもっと自由に軽やかに、自分の想像し

大人になっても「素直な心」じゃだめなのか。

部屋のベッドの後ろ側に本棚を置いていたことが あった。 その前にに立つと、いつも忘れていたような本に 手を伸ばしたくなることがあった。 そういうときは、ちょっと心が弱っていたり するときで。 その本を読みたくなっているかどうかで じぶんの心の状態がわかったりする。 4列の本棚のちょうど3列目で指がとまる。 背文字を流し読みしながらわたしの指が とまるのは、アンデルセンの『絵のない絵本』 だった。 教室で雲ばかりみていた子供時代だったけど 授業を黙って

#それぞれの10年 それぞれという輪の中にじぶんが、入ってもいいのか不安だった。

この間、#それぞれの10年というハッシュタグを つけて投稿した。 でもちょっとだけ。 後ろめたいというか、じぶんが書いてもいいのか といったもやもやとしたそういう気持ちが ぬぐえないところもあった。 昔、阪神淡路大震災が起きた時、わたしは神戸では なくて大阪の北摂あたりに住んでいた。 家が壊滅したわけでも、電気が止まったわけ でもなく。 ただただ揺れに耐えていただけだった。 ニュース映像で真っ赤に燃える街並みが ただ怖くて。 ひとりひとり眠るのが嫌だ

自然 v.s. 文明

人間はこの地球上に好きなだけ足跡を残せると考えているかもしれないが、それは一時的なものにすぎません。時間が経つにつれて母なる自然は失われた領土を取り戻し、それについて私たちにできることはあまりありません。 力強い自然との戦いに負けて消えゆく廃墟、車、さらには町全体などの画像を集めてみました。ヘッダー画像は屋根からクリスマスツリーみたいのが突き出ているノルウェーの廃屋で、ホビットの村の小さな家を想起させます。このような廃屋の多くは近くを道路が走るようになり、騒音公害で見捨てら