深海乙女。
「湿気の街」には、女を売ることを生業にした者が沢山いる。
憂鬱で圧し潰されそうになりながら生きる女を捕まえるのは、他の街の女よりも容易だ。更にこの街ではあまり警察組織が機能していない。犯罪組織と裏でがっつりと繋がっているという黒い噂まである。
違法薬物の横行、殺人請負、売春、人身売買、カルト宗教の拡大化……。この街から黒い商売がなくならないわけだ。
だったら、どうする?
この問いかけが、今の私を作っていると言っても過言ではない。
「で? また1人で、悪党を倒そうって話?」
「犯罪を減らそうって話です。そんな、私が格好付けてるみたいな言い方止めてください」
「ふふ、どっちも同じでしょう」
硝子製のカウンターに両肘をつき、開いた両手に顎を置いて、女は私を楽しそうに見ていた。
私は女を見ずに、ガラスケースの中に並べられた商品を1つ1つ丁寧に確認する。
全面木製のこの店には、青い照明で照らされたガラスケースが設置されている。女の背中が向いている壁以外の3面に2つずつと、店内を縦に3分割するように1列に2つずつ。ガラスケースの中には、物騒な物が綺麗に並べられている。
ここは、武器屋、「兇」。拳銃や日本刀、チェーンソーのような身体に当てられたら即死レベルの物から、メリケンサックや棍棒、スタンガンのような痛め付ける道具まで、様々な種類の武器が揃っている。
私はその中で隠し刃付き指輪のコーナーを物色している。
「この前買ったやつは壊れちゃったの?」
このやけにおっぱいの大きい女が店主の兇さんだ。黒色のタンクトップに、太腿の5分の1ぐらいまでしか丈のないジーパン。身に着けている衣類がぴちぴちになるぐらいの巨乳とむちむちな太腿。浅黒い肌、とろんとした目、つやつやした分厚い唇が彼女の色気を更に増幅している。9割の男の妄想を具現化したような見た目。ロリコンや、貧乳フェチだって、思わず自分の嗜好を疑ってしまいそうになるだろう。男にとっての味方で、私にとっての敵視対象だった。
「まぁ……はい」
特に、彼女に何かをされたわけではない。ただ、どうしても彼女の豊かな身体付きを見ていると、その、自分の制服の下の2つの小さな膨らみが恥ずかしくなると言うか、何と言うか……。理由はどうであれ、彼女にいい感情を抱いていない。だから、どうしてもぶっきら棒になってしまう。
「安いの買いましたから」
「そう? じゃあ、しょうがないわね」
無視して、商品を見ていく。
どれも青色の照明に照らされて、美しい輝きを放っていた。美しきものには棘がある。まさに、その通りだった。
「……ん」
その中に、一際目を惹く隠し刃付き指輪を見付けた。
深い深い青色。自分が想像する深海の色。こうであって欲しいと、深く願った色。深海に落ちて、消えてしまいたいと思える程の危うい美しさを持った色。
そこには、藍色の隠し刃付き指輪がった。
青色の照明ですら受け止めてしまう程の、ブラックホールのような藍色。
「高いよー、それ」
兇さんが少し挑発気味に言った。
「これください」
勿論、当然、当たり前にいらっとしたので、顔を一切見ずに顎を少し上げて言い返した。
何の為にいっぱいバーで働いたと思ってるんだ。
「あら、毎度ありぃ」
兇さんは楽しそうに立ち上がって、こちらまで来た。
私は少し後ろに下がる。
兇さんはガラスケースのスライド式ドアを開けると、お目当ての隠し刃付き指輪を取り出した。
「……『深海刃』」
兇さんが呟くように言った。
「え?」
思わず、聞き返す。
「この子の名前。この子を見てるとさ、どんどん深い沼のようなところに飲み込まれていくような感覚になって、なかなか目を離せなくなるのよね。闇に堕ちるっていうのかな。抜け出せなくなる。でもね、不思議と嫌な感じはしないの。むしろ落ち着くって言うか……。そして、気が付くの。これが見惚れる、ってことなんだって。堕ちると、夢中になる。似てると思わない?」
「……」
私は何も言わなかった。いや、言えなかった。表面の自分ではなく、奥の方にいる真の自分に話しかけられているようで。
「4万円ね」
予想以上に高かった。完全に予算オーバーだ。
悟られまいと無表情でスカートのポケットから財布を出したところで、兇さんが「ふふふっ」と微笑んだ。
「……なんだけど、今日は乙女の特別プライス、半額でいいわよ」
思わず、顔を上げてしまった。
兇さんが意地悪く微笑む。
今回は負けた。悔しいけど、素直に甘えてしまおう。
お会計を済ませると、深海刃を受け取った。
私の手の中で、深い闇の色を放っていた。まるで、深海そのものを手にしたような気分だった。
「今日は『深海X』での活動じゃないのよね?」
また、いらっと来るようなことを兇さんは尋ねた。
深海Xとは、私が所属している湿気の街の自警団的な存在だ。常に7人で行動し、街にとって害になるものを排除している。
はぁ……もう、何度も言わせないで。
「そうですよ」
「ちなみに、今日倒す悪党は決まってるの?」
兇さんがカウンターから身を乗り出した。大きな胸が更に強調される。
「別に、何でもいいじゃないですか」
「いいじゃない、いいじゃない。ガールズトーク、ガールズトーク」
ガールって年齢じゃないと思うんですけど、そこのあなた。
まぁ、でも、武器を半額にしてくれたし、答えるぐらいなら別にいいか。
「女を商品にしている売人と、女を崇拝しているカルト宗教」
「あらまぁ、またマニアックなものを」
もう、ここにいる意味はない。さっさと出よう。
「では」
「……堕ちると、それしか見えなくなるからね」
兇さんがまた呟くように言った。ぞっとするような低い声だった。氷の刃で背中を削られるような感覚になった。
「え?」
私は耐えられずに振り返った。
そこにはいつもの艶やかな兇さんがいた。ぷるぷるの唇で緩やかな谷を作り、色気のある笑みを浮かべていた。
「じゃ、『メリケンサックの悪魔』君にも宜しく言っておいてね」
メリケンサックの悪魔とは、私が働いている路地裏バー、「深海魚」の店主であり、自警団、深海Xのリーダー的存在兼私の教育係である。
何でこの女にいらいらしてしまうのか分かった。
色気もそうだが、それだけじゃない。
その時1番心配していることを、づかづか聞いてくるからだ。
無視して彼女に背中を向け、仄暗い青色の光を放つ店を後にした。
*
ラブホとラブホに挟まれた路地裏。
電飾看板と建物に付いた照明によって、紫色とピンク色の妖しい光に包まれている。
自動販売機を背にスマホを弄る。弄った振りをする。
人通りは殆どない。あったとしても、俯いて歩く人々ばかり。
正気な状態でこの路地裏を歩くとすれば、何か明確な理由がある人だ。その証拠に、ここは……。
「暇な感じ?」
ほら、やっぱり。
声のした方を向くと、お目当ての人物が立っていた。
身長175センチぐらい、前髪をセンター分けにした、一重の死んだような目の男。
初対面でも分かる。彼に惹かれる女達の気持ちが。
「俺も暇」
目を見張るようなイケメンというわけではないのに、気怠そうな雰囲気が格好いい。こういうタイプの男にハマってしまう女は一定数いる。何を考えているのか分からないオーラ。醸し出される謎の魅力と色気。
「別に」
自分がめちゃくちゃ可愛いわけではないのは自覚している。ここで大事なのはプレミア感だ。簡単に落ちる女ではないぞ、というスタンスが相手を自分に夢中にさせるテクニック。考案者、自分。
「ふーん、そっか」
男は私の隣に来ると、同じように自動販売機に寄りかかった。
かかったな、屑男。
男はポケットから黒色のアイコスを取り出すと、ヒートスティックを装着した。
間違いない。「女売りのケンジ」だ。黒色のしゃかしゃかしたハイネックジャージを着たこいつは、この街で人身売買を行っている。彼の独特なオーラの虜になってしまった女を売り捌き大金を稼いでいるらしい。何とも悪質なのは、彼は女を捕まえるまでの行為を「ゲーム」と呼んでおり、楽しんでいることだ。人の命を金に換えることを遊びとしても捉えているのだ。
「『夜と羊。』、好きなの?」
女売りのケンジが煙を吐き出しながら尋ねた。
「え、何で」
私が首を傾けると、女売りのケンジは私のスマホを顎で指した。
「スマホケース。そのバンド好きな人なかなか周りにいないからさ……驚いた」
リサーチ通りだ。女売りのケンジは、夜と羊。というマイナーなバンドが大好きで、よく下北沢へライブに行っている。夜原というボーカルのストーカーでもある。たまに彼女の住むアパートの前で、2階にある部屋を見上げているという。
「私もびっくり」
そう言うと、女売りのケンジの左口角がぴくりと痙攣した。きっと心の中で「かかった!」なんて思っているのだろう。残念ながら、その逆だ。あなたが餌に食い付いた。
右手の中指に嵌めた深海刃を撫でる。表面に付いた水滴が左手の親指を湿らす。
「ねぇ」
女売りのケンジに呼ばれ、顔を上げる。
「どっか、行く? これから」
「行かない」
行くわけない。
「いいじゃん。そんな固くならなくてさ」
お前はここで殺す。この街の住人を利用する人間に教えてあげるんだ。湿気の街で人を玩具にしたら、どうなってしまうのか。路地裏に転がる死体を見て、恐れ戦け。
「バンドの話、もっとしようよ」
女売りのケンジがアイコスの煙を吐き出す。
私は右手の親指で隠し刃を素早く出した。
「おい、お前」
女売りのケンジの背後から荒々しい声が聞こえた。自分が呼ばれていると思っていないのか、彼は私を口説き続けた。
「お前だよ、女売りのケンジ」
女売りのケンジがゆっくりと振り返ったと同時に、私もそちらを見た。
そこには真っ赤なワンピースを着た、目付きの悪い女がいた。
「ふぅー」
女売りのケンジは、煙をわざとらしく吐き出した。
「人違いじゃ、ないっすか?」
ぶぉんっ!
何かが風を切る音と共に、女売りのケンジが視界から消えた。
金棒を右手に持った赤色のワンピースの女は、まるで鬼のようだった。
「いってぇなぁ……いてぇって」
女売りのケンジが右腕を抑えながら、よろよろと立ち上がる。
「俺じゃねぇって」
「そんなわけないだろ。センター分け一重!」
再び赤色のワンピースの女が金棒を振るったと同時に、頭の中で兇さんの言葉が再生された。
『どんどん深い沼のようなところに飲み込まれているような感覚になって、なかなか目を離せなくなるのよね』
周りの全てがスローモーションに感じる。
『闇に堕ちるっていうのかな。抜け出せなくなる』
ゆっくりと、金棒が女売りのケンジの右足へ……。
『堕ちると、夢中になる。似てると思わない?』
世界の速度が元に戻った。
鈍い音。叫び声。
女売りのケンジはその場で膝立ちになった。
彼の無様な姿を見下ろす、鬼女。
女売りのケンジ、あなたはあまりにも夢中になり過ぎた。自分の魅力で女を捕まえて売ることに快感を覚え、いつしか周りからの感情や視線に鈍感になった。
取り返しの付かないところまで、堕ちてしまったんだ。
赤色のワンピースの女はきっと殺し屋か、その類だろう。周りが見えなくなって、敵の多さに気が付けなかったんだ。
あーあ、私が始末したかったのに。女売りのケンジが女を捕まえる路地裏まで調べたのに。新しく手に入れた武器を試すいい機会だったのに。
「……私にもやれたのに」
まぁ、いいや。私は彼を街から排除するのが目的だったんだ。鬼のようなこの女によって果たされるだろう。
それに私にはまだ……。
女売りのケンジの絶叫を聞きながら、妖しい光で照らされた路地裏を後にした。
*
球体を半分にし、円の部分を地面に付けたような建物を見上げる。
縦に半分が白色、半分が黒色という異様な建物だ。
辺りに立つラブホは殆どが廃墟で、人気なんて一切ない。
この白黒の建物はラブホなんかじゃない、ましてや廃墟でもない。この街を穢す、害悪の1つ。
右手中指の深海刃を撫でる。
証明するんだ。私は深海Xのメンバーとしてじゃなく、私個人、「深海乙女」だけで湿気の街を救うことが出来る。メンバーの誰にも助けてもらわずに。
そう、私が、この手で……。
『……堕ちると、それしか見えなくなるからね』
兇さんの氷のように冷たい言葉が、脳裏を過った。
とんとん。
左肩を誰かに叩かれた。
【登場した湿気の街の住人】
・深海乙女(正気な女子高生)
・武器屋、「兇」の店主
・女売りのケンジ
・金棒乙女
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