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メキシコ滞在期②

私は15歳の時、10日間ニュージーランドに留学をしたことがある。
全校生徒から1人だけ選ばれる、名誉ある「無料」のチケットだった。
初めての留学ということもあり、極度の興奮と緊張と、なぜか湧き上がってくる「万能感」に胸を躍らせて、いざ旅発った。

8月の猛暑の中、冬を迎えていた南半球のニュージーランド、
Auckland空港に到着し、親善校へ移動。
私はそこで、「向日葵のような笑顔」、
その表現がぴったりと似合うホストシスターに迎えられた。
”Hiii, Nice to meet you!"
私は、これくらいは朝飯前と、元気にそう伝えた。
"Hi, OXOXOXOXXO…!"
ホストシスターは、私に何かを伝えた。

英語が、聞き取れなかった。

ホストファミリーの車内でも、バックミラー越しに私の顔を見ながら、笑顔でホストマザーやブラザーが私に何か聞いてくる。


やっぱり、聞き取れなかった。

到着した日から10日の間、聞き取れない、伝えられない、に、心が苦しく、顔の表情筋が一気に固くなった。足元がぞわっとした。
最終日、忙しいホストファミリーを集めて、写真が撮りたかった。
だけど、「みんなで写真を撮ろうよ!」
が言えなかった。その時の焦りと絶望は、今でも鮮明に覚えている。
その時は、The Beatlesの"All together Now"からフレーズを盗み、なんとか伝えた。
本当に良くしてくれたファミリーに、日本のこと、もっと説明できるはずだった。だけど、ただ単純に、能力不足だった。
15歳の私は、燃え滾る何かを、心に抱いた。

もどかしい。伝わらない。まだ伝えたい。
「悔しい」
「まだ出来る」
「私もあの子みたいに」
「認めてもらいたい」

その気持ちが私を強く動かし、それから私は休学して米国へ留学し、英検1級を取るまでになっていた。


月日は流れ、私は今年25歳になった。
前の記事にも書いた通り、私は現在メキシコに滞在している。
英語が堪能な友人宅に滞在させてもらってはいるが、メキシコは英語話者が少ないこともあり、もちろんスペイン語を勉強するつもりできていた。
なにせ、私はスペイン語は曲がりなりにも「米国で4か月間スペイン語のレッスン」「日本で3か月間スペイン語教室」「独学で1か月」勉強してきたからである。
旅発つ前にPeppa Pigのスペイン語バージョンを聞き漁り、Hombre Perro("Dog man"という米国で大人気の子供向けComic Book)を読み、いくつかフレーズを覚えた。

よし、話せる。
少なくとも、相手の言っていることは聞き取れる。

はずだった。

空港に到着して迎え入れてくれた車内の道中で、
友人とその彼氏が、お互いにスペイン語で話し合う。
「何も」、分からない。
滞在5日目の朝、友人の家族が友人宅に泊まりに、大勢でやってきた。
友人と家族が、抱擁したりちょっとした質問でお互いの様子を確かめ合う。
「何一つ」、聞き取れない。
マジか。なんだ、これ。

メキシコに着陸したとき。友人と会ったとき。
「言語を純粋に学ぶ」
「スペイン語を習得する」「もっと伝えられるようになるぞ」
上記の、強い感情が、私にはあった。10年前と同じである。

だが、10年が経過し、私は大学を卒業し、社会人となっていた。
ノイズが、聞こえ始めた。私の道を塞ぎ始めた。
「スペイン語が伝わらないなら、達者な英語で伝えればいい」「体験をブログに記すために言語学習や文化体験に意味を持たせたい」「夜と早朝には仕事のメールをチェックしないといけない」「帰国後スムーズに生活に戻れるように準備をしないといけない」
上記のノイズたちが、言語を純粋に習得する、ことを出来なくした。

言語マスターまでは、2000時間を要する。
言語習得に、本気になれないなら、もうやめれば?
情けない自分。私は諦めかけていた。
英語がある程度伝わるなら、友人には通訳をしてもらうのは申し訳ないけど、もうスペイン語なんて無理に学ばなくていいんじゃないか?と。

就寝前に、何度もその日の出来事を振り返る。
友人の母親が、頑張って英語で私に話そうとしていた時の表情。
友人の9歳の姪に、スペイン語をゆっくりと教えてもらったこと。
少しスペイン語が話せたときの、友人の驚いた表情。

ああ、悔しいナア…

悔しい。やっぱり、悔しいわ。
スペイン語、マスターしたいわ。私が、英語をマスターしたみたいに。
私は、なぜか悔しさに燃えていた、15歳の私を、何度も思い出していた。

私には、まだ「悔しい」という気持ちが残っていた。
思えば、何かをマスターしたいと思ったとき、そこには必ず目標とする人の背中があった。受験、英語、就活。
陳腐な言い方を許してほしい、だが私に強い感情を抱かせるものは、
「絶対にこの人みたいになる」だった。
女子高の東大合格者との交流会。同じ15歳、同じ純ジャパですでに英語が堪能な他校の女子生徒。大学のOBで、外資就活の成功者。
皆、目標だった。私は、本気でそうなりたかった。
そして、そうなってきた。

じゃあ、スペイン語習得で、その目標とする人は、だれか。
英語も日本語もスペイン語も話せる、私の友人、ではなかった。
数年前に出会った、スペイン語が堪能な大学院生、ではなかった。

それは、10年前の自分だった。

あの頃の自分。ちょっとカッコよすぎた。
責任は一切なかったかもしれない。遊びか部活か受験か、そこに「英語を勉強する」という強い何が加わった、そんな生活だったのかもしれない。
だけど、その「遊び」や「部活」や「受験」は今の「趣味」と「日常生活」と「仕事」と、何ら変わりはない、私はそう気づいた。
ただ、「英語を勉強する」が他の三つを凌駕するのが、怖かった。
「本気で言語に向き合う」こと、が、出来なくなっていた。

メキシコ滞在6日目の朝7時。
私は、徐にスペイン語の文法書を引っ張り出した。
部屋を出ると、友人の父親が座ってコーヒーを飲んでいた。
Buen dia,彼はそういった。
私は、Buenos Dias,そう返した。
それしか、まだ私には言えない。
だけど。
また、沸々と湧き上がってきた。
「悔しい」
「やってやる」
「10年前の自分が、まだここにいる」。

メキシコ滞在も残り後3日だ。
翌日は、スペイン語しか話せない友人の友人たちと会うことになっている。直ぐには、上達しない。そんなの当たり前だ。
だけど、過去に存在していた私のように、私は自分の気持ちに素直になり、吸収し続けるつもりだ。
帰国後も、本気で向き合うことを、スペイン語だけじゃない、小説を書くことだってそうだけど、自分の中にいる目標の人、目標とする存在を見つけて、学習を続けるつもりだ。


そう、私はスペイン語に強く「惹かれて」いるから。

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