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【保育のスキルアップ】保育のまなざし

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どうもしろやぎ保育書房です。

今回の動画解説はこちら

今日は、保育で子どもたちと関わる時に、最初にする行為。
子どもたちを「見る」という行為について話していきたいと思います。

前回は、子どもたちとの関わり方についてお話しいたしました。
子どもたちとポジティブに関わろう。
主体性を尊重し、自己決定を促す関わり方をしよう。
それが専門職の関わり方だ。
そういった内容でした。

でもちょっとまってください。
保育者として、子どもとどう関わるのか、これももちろん大切だけど、
目の前の子ども達のことを「よく見る」ということも大切なんじゃないか。
こんなことを思った先生もいるかも知れません。
たしかに、子どものことをよく見ないうちに、こちらから必死で関わろうとするのは子ども主体とは言えませんよね。

じゃあ、子どもたちのことを、よく見てみよう。
子どもたちをよく見て、どうすれば良いのか、考えよう。
と、こういうふうに考え始めた時、
「あれ?」
 意外と「見る」って難しいな。そう感じることがあります。
みなさんはどうでしょう。

 私の場合は、
「どんな遊びをしてるかな」「誰と遊んでいるかな」「トラブルになってないかな」
 こんな目線で見る事が大半だった様に思います。
 でも、この見方って、非常に薄っぺらいし、保育記録を書くときに、連絡ノートを書くときに、今日は何々をしてました。とした書けず、自分の保育のまなざしの薄っぺらさに衝撃を受けたりもしました。
 もっと、ちゃんと見ないといけないな。そう思いながらも、その「ちゃんと」がわからない。

「子どもを見る」といっても、「どう」見るといいのか「何を」見れば良いのか
そして、「見たこと」と保育者の「関わり方」とどのように結びつけるのといいのか。

こういった「見る」という行為のガイドラインは、あまり明確になっていないようにも思います。
案外、見るポイントは、人それぞれ。それぞれの保育経験に委ねられているところが多いのではないでしょうか。

「この先生はよく子どものことが見れている」「この先生は見れていない」
こういった評価があった時、何がその評価を分けているのでしょうか。
それが「経験」だけではない、「何かのポイント」があるのだとすれば、それを知ってみたい、探ってみたいなと思います。

今日の参考文献はこちら

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『0,1,2歳児のココロを読み解く保育のまなざし』井桁容子著

になります。
それでは今日もよろしくおねがいしまーす!

①文献と著者の紹介

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 著者の井桁容子さんですが、この方は、2018年3月まで、0〜2歳の乳児を預かる、東京家政大学ナースリールームにて、主任保育士として勤務されていました。
 今はフリーとなって、NHKのEテレ「すくすく子育て」等のメディアに出演されたり、保育コンサルティングやワークショップ等を開催したり、幅広く活躍をされている方です。
 保育情報誌「保育ナビ」や「新 幼児と保育」等に連載もされているので、良く知っているという方も多いかもしれません。

 この井桁さんの話を聞いていると、本当に子どものことが大好きで、保育が大好きなんだな、という人柄が伝わってきます。
 もちろん、保育は楽しい事ばかりじゃない。子ども達と関わることで感動したり、嬉しかったりすることもある。
 一方で、関わり合うことの困難さを感じたり、上手くいかないときに悩んだりもする。でも、そんなすべてをひっくるめて、井桁さんは「子どもっておもしろい!保育って面白い!」と言います。

今まで出会った子どもの数 × その子たちと一緒に過ごした日々が 保育者としての宝物だ(『子どもにかかわる仕事』汐見稔幸編)

 このように、毎日の子どもたちとの関わりの中で、見つけてきた「発見」や「学び」が、本書にもたくさん描かれています。
 
 本書では最初に、1枚の1歳児の子どもの写真から始まります。
 園庭の真ん中に座り込み、上の方をじっと見つめている。
 「さて、この写真から、どんなことがわかりますか?」
 と、いきなり私たちに問いかけます。

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写真を見た私は、「ピンクの洋服を着てるから、女の子かな?」
「空を見上げているから、鳥とか飛行機が飛んでいるのかな?」なんて考えました。
 しかし、この問いかけの真意は、こうです。
あなたは、決めつけや思い込みをしていませんか?」ということなんです。
 
例えば、ピンクの服を着ていても必ずしも女の子とは限らない。
想像を働かせて「鳥や飛行機が飛んでいる」と考えたけど、実際の写真には鳥も飛行機も映っていないじゃないか。とこういうことなんです。

 私たちが、保育で子どもと関わるとき、また保護者に子どもたちの様子を話すとき、「事実」と「思い込んだこと」を分けて考える必要があります。と井桁さんは言います。

 保育者が想像を働かせて子どもを理解しようとする行為は必要なことです。
 しかし、それが「思い込み」や「決めつけ」になっているとしたら、子ども達の育ちに影響を与えかねません。
 特に言葉で表現できない乳幼児にとって、自分と大人との思いにズレを感じると、思いを伝えるのを諦めたり、表現すること、感じることをやめてしまったり、不満をため込んでいくという事につながってしまいます。
 保育者は常に「思い込みになっていないか」「決めつけていないか」という問いかけを意識して、子どもと関わって行くことが求められます。
  
 この本を通して、私たちはこういった自分達の中にある思い込みに気づいたり、その思い込みから脱却する為の考え方を知ることができるのです。
 興味がある方は、ぜひ一度、手に取って読んでみていただければと思います。


②保育のまなざし

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 さて、では本書における「保育のまなざし」とは何か。を見ていきたいと思います。
 私は、井桁さんのおっしゃる「保育のまなざし」というものが「子どものことを尊重するまなざし」のことである。と理解いたしました。
 そして、そんな子どもを尊重する見方には大きな2つの柱があるようです。
 1つ目が、子どもの「行為」を尊重する見方
 2つ目が、子どもの「気持ち」を尊重する見方、です。

 順番に見ていきましょう。
 1つ目の、子どもの「行為を尊重」する見方。
 保育の世界では、昔から子どもたちの行為を尊重する姿勢が大事だと説かれてきました。
 例えば、倉橋惣三は、
「教育の前に先ず、子どもに惹きつけられてこそ、子どもへ即く(つく)」といい、子どもたちの一生懸命な行為に惹きつけられる教育者を良しとしました。(『育ての心』倉橋惣三)
 それがたとえ「いたずら」であっても、止める前に「おもしろいな」と感じて、その行為に惹きつけられている先生が、子どもにとってはいい先生なんだ、と言ったんです。

 津守真さんは、子ども理解の観点から
「際立った行動にだけ表現を見るのではなく、子どもと一緒に歩き同じ行動をすることで、その子独自の考え方を知ることができる」と言い、子どもを理解するために同じ行動をすることを提案しました。(『保育者の地平』津守真)
 子どもの「行為」の意味を知るために、子どもの生活の内側に入り、その子と同じ生活をする。ある意味、究極の「行為の尊重」に当たる考え方です。

 井桁さんは、乳児保育の観点から、こどもの行為を尊重する見方をこのように説明しています。
「”だめなこと”に見える行為を、すぐに止めてしまうのではなく、「この子は何をしようとしているのかな?」と立ち止まって観察してみる」

 乳幼児期には、カップのお茶をわざとこぼす。おもちゃ箱をひっくり返す。しまってあるものを全部引っ張り出す。という行為がよく見られます。
 しかし、こういった一見「だめなこと」に見える行為を、あえて止めずに見てみると、「単に面白いから」、「やってみたいと思ったから」、「モヤモヤする気持ちを発散させたいからやった」などなど、色んな気持ちが見えてきます。

 例えば、1歳の子どもが絵本を次々と引っ張り出している。
 床には引っ張り出した絵本が散らばっている。
 ここで「何が面白いのかな?」と思って観察をしていると、その子は、お気に入りの本が見つかって、それをめくり始めたのです。
「なるほど。この子は、この絵本を探していたのか」
そうわかると、単に「保育室を散らかした」のではなく、
「素晴らしい実行力で自分の読みたい絵本を探しだしたんだ」と気づけます。
この実行力こそが、この子の素晴らしいところだ、と、こういう目線を持つことができる、というわけです。

 このような「子どもの行為を尊重」する見方は、私達にとって、子ども達の素晴らしさに気づく機会につながります。
 そしてさらに、子どもの行為が尊重されることは、子どもたちにとっても、様々な力の育ちに繋がります。

 ここで、一つ事例を紹介させてください。
 ある朝、Kちゃんという、1歳8か月の子が登園してきました。
 見ると晴れているのに長靴を履いている。
 するとお母さんがニコニコしながら「先生、うちの子、今日靴下3枚履いてますけど、よろしくお願いします」といいました。
 井桁さんは「なるほど。Kちゃんは、靴下を3枚重ね履きして、普通の靴が入らなかったから長靴を履いてきたのか」と気づきます。
 そして「それは素敵ね!」と井桁さんがにっこり笑うと、お母さんは「先生、私、成長しましたよね!?」と返します。井桁さんは「確かに!」といって、笑い合ったのでした。

 長靴を脱いだKちゃんは、ぎこちなく歩きます。靴下の中で足が圧迫されて、うまく指が広がらず床の上で滑りそうになっているようです。
 しばらくするとKちゃんは、自分で靴下を脱ぎ始めました。

 ここですごいと思うのは、大人が、子どもの一見おかしな行為を、全面的に受け入れていることです。お母さんも井桁さんも、Kちゃんの行為を全く否定せず関わっていますよね。
 そこには、正しいか、間違っているかというまなざしではなく、「なぜそれをしているのか?」というまなざしがあります。
 実はこのお母さん、第1子の時はこういった行為を「間違った行為」として、辞めさせていたんですね。
 しかし、このナースリールームに通い、井桁さんからも色々と学んできたのでしょう。

 第2子のKちゃんの時には、こういった行為を「学びや発想の豊かさ」と捉えることが出来るようになったんです。そしてこのお母さんは、「子どもの学びや発想」を尊重することが出来るようになった、ということです。

 ええ、でも、ちょっと待ってください。
 靴下3枚履くことが、一体子どものどんな学びに、どんな育ちにつながっているのでしょう。ここを考える事が、結構大事だと思います。
 よければ、みなさんも一度考えてみて下さい。
 靴下3枚履くことで、Kちゃんのどんな育ちが見られましたか?
 どんな学びがありましたか?

 一つは「重ねて履ける」という可能性への気づきが見られます。
 誰しもが靴下を1枚しか履かないところ、「えーっ? 靴下って重ねて履けちゃう!」これに気づいたこと。そして、それを自分で見つけたこと。さらにそれを実行に移す力。この「主体性の基盤」がKちゃんには育っている、と見ることができます。
 そして、経験して得るものがある。
 靴下を3枚履くと「暖かい」です。 確かに「あったかい」
 でも反対に「足が蒸れる」し「指が窮屈」だし「歩くときに滑る」
 それから「足が大きくなって靴が履けない」し「脱ぐのもちょっと面倒」です。
 こういった自分の感覚を通して気づいたことが、学びになります。
 多くの大人が、ただ単にかわいらしい行為として捉え、反対に未熟な行為として考えてしまいそうな行為の中にも、実は、科学的な視点の芽生えがあり、学ぶ面白さに気づく意欲や土台の育ちがあります。

 子どもの行為を尊重する。そこには、子どもにとっての育ちや学びがある
 これを理解して、受け止めること。これこそが、子どもの行為を尊重するまなざしです。
 何か、一見間違っているような行為を見た時、ダメと思っておもわず止めそうになった時、そこに潜む、子どもの育ちや学びにフォーカスして、一旦立ち止まって関わり方を考える。このような余裕が保育者に求められているのかもしれません。

 それでは子どもを尊重する見方の2つ目に参ります。
 子どもの「気持ち」を尊重する見方です。
 
 先ほどは、子どもの「行為」の尊重でしたが、次は「気持ち」の尊重です。
 とはいっても、行為と気持ち、本来切り離せるものではありません。
 これがしたい、という気持ちがあるから、行為に及ぶ。
 なんとなくやり始めたら、いつのまにか楽しい気持ちになってきた。
 このように、行為と気持ち、どちらが先か、という違いはあるものの、本質的には一体のものです。
 なので、子どもの行為を尊重すると、子どもの気持ちを尊重することにつながるし、反対に子どもの気持ちを大切にすると、その後の行為も尊重できる、ということになります。
 「行為と気持ち」本来は一体的にあるものだ、と理解したうえで、
 「子どもの気持ちを尊重する」見方について、考えていきたいとおもいます。
 
 子どもたちは本当に色々な気持ちを持っています。それは多種多様で、カラフルです。
 うれしい気持ち、楽しい気持ち、悲しい気持ちにさみしい気持ち。
 そして知りたがる気持ち、試してみたい気持ち。驚く気持ち。
 私たちは、どれくらいの子どもの気持ちを尊重出来ているでしょう。
 また、どの気持ちを尊重して、どの気持ちを尊重しなくていいのでしょうか。

 保育園や幼稚園、そして認定こども園では、多くの子どもたちが一緒に生活しています。
 そんな多くの子たちが一緒に生活する場では、どうしても子どもたちが自分の気持ちを出し切れなかったり、我慢したりする場面も多くなります。
 例えば、おもちゃに関しても、おもちゃを共有することが社会性を身につける上でのポイントと捉えられがちです。
 しかし、見方を変えると、子どもが自分の使いたいだけの道具を全部使って、何か大きな作品を作りたい!と願っても、「みんなで仲良く使おうね」と言われてしまいます。そういった子にとって保育環境というものは、辛くて不満な環境になっているという側面もあるのです。

 もしかしたら、多くの子どもたちが集団で生活する場で、個人の気持ちの尊重なんて、そもそも無理難題なんじゃないか?
 そういう気持ちも、非常に良くわかります。

 しかし、ルソーが「社会人よりも自然人としての育ち」といったように、現在では「集団よりも個の育ちを重視するべき」という考えが主流になっています。
 私たちは、忙しい毎日の中ではあるけれど、「どうすれば子どもたちの気持ちを尊重できるか」を考え、工夫していくしかありません。
 それにはきっと、環境構成や担当制保育などがポイントになってくるのではないか、と思います。
 しかし、普段の保育の中ででも、ちょっと立ち止まって、子どもの気持ちを尊重してみることは可能です。
 では、どのように気持ちを尊重するのか、井桁さんの事例を見てみましょう。
 
 1歳2か月のMちゃんが、着替えを嫌がりました。
 イヤイヤ期の子どもらしい、気持ちの表現です。
 担任が「お着替えしようか?」と声をかけトレーナーを着せようとすると、顔を担任とは反対のほうへ、プイっと向けてしまいます。
「いやなの?それじゃあ、洋服をここに置いておくから、着たくなったら教えてね」
 そういって担任はトレーナーをMちゃんの横に置くことにしました。
 今まで、一度もそんなふうに意思表示をしたことがなかったMちゃんだったので、担任はMちゃんのその気持ちを尊重してみようと考えたのです。

 すると、Mちゃんはすぐにトレーナーを手につかみました。
 それを顔の前で引っ張ったり、背中に当てたり、腕を通すようにしたり、自分が普段着せてもらっている時の感じを思い出しながら、色々と試行錯誤しだしたのです。
 担任が「すごいすごい!」と感心しながら見ていると、Mちゃんは最後に、トレーナを顎の下で挟んで、両手をトレーナーから離して、万歳してみせました。「はい!どうだ!」といわんばかりに満足げな表情です。
 この写真はぜひ本書で見てみてください。万歳をしたMちゃんの堂々とした表情に、思わず微笑んでしまいます。
 
 井桁さんは、このMちゃんの行為から、
「なるほど。衣服を着る時はそのような動きを組み合わせているんだな」と気づいたそうです。また、Mちゃんにはこういった動きを客観的に捉える力があるんだな、知れたと言います。
 結果的にMちゃんは、トレーナーを着る事が出来なかったけれど、今の自分にできる「着る」という行為に一番近い答えを、あごにはさむという形で導き出した。
 それは、驚くべき柔軟性にとんだ「発想力」と「行動力」の賜物である、と見ることができたというわけです。
 

③保育者の関わり方3選

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 さて、「保育者のまなざし」は、子どもの行為を尊重する見方と、気持ちを尊重する見方があるという話をしてまいりました。
 ここからは、そんな2つのまなざしをベースに、どんな行為を尊重するのか、どんな気持ちを尊重するのか。3つの事例とともに見ていきたいと思います。

(1)自由にスイカを食べる(うまくいかない経験を尊重する)
 井桁さんのナースリースクールでは、年に一度出来るだけ大きなスイカを買って、みんなで自由に食べる、という企画があります。
 好きなように食べる、ということを大切にするため、保育者が食べ方を説明したりしません。
 2歳児のK君は、なめて味を確かめてからかぶりつきます。スイカの果汁が身体を流れるような食べ方です。
 一方隣に座っていたSちゃんは、果汁が全くこぼれていません。見るとチューチューとスイカを吸っているようです。
 さらにその隣のR君は、少し食べてズボンに果汁がかかったのを嫌がって、前かがみで食べていました。

 お気に入りの服が汚れてしまった。果汁が飛んでべとべとになってしまった。身体についてかゆくなった。などなど、不快な経験をすることで、次からはできるだけ汚さないように食べるようにしようと考えるようになり、上手く食べる技術が身に付いていきます。
 しかし、多くの大人は、なかなかそこまで待てず、こぼさないように大人が食べさせたり、こぼしたら怒ったりしてしまいます。
 こういう時にこそ、保育者の専門性を発揮して、子どもの失敗する経験、上手くいかない経験を尊重したいものです。

 子ども一人ひとりの感覚を尊重してみると、2歳児でも、それぞれオリジナリティーのある問題解決能力があることが、この事例からもわかります。
 工夫の方法は一つじゃありません。自分が困ったことに遭遇した際、どうすれば解決できるのか、としっかり向き合い、自分なりの答えを出していきます。
 自分だけで解決できなければ、友達のやっていることを見て、思考の幅を広げます。こういった試行錯誤こそが、子どもにとっての何よりの学びにつながります。


(2)何とかして米を運ぶ(全力を出す体験を尊重する)
 給食用のお米がナースリースクールに届きます。
 本来なら給食室の裏口に届けてもらえばいいのですが、あえて玄関に届けてもらい、そこに置いてもらうそうです。
 2歳児に給食室まで運んでもらうためです。「お米が届きました。なんとかキッチンに誰か運んでください」と呼びかけて頼みますが、運び方を教えたりはしません。
 するとその気になった何人かがやってきて、押したり、紐を引っ張ってみたり、色々と格闘し始めます。でも重さ20㎏のお米はなかなか動きません。
 Mくんが紐を引っ張ると、少しづつ少しづつ動き始めます。それを見て大変そうだ、と思ったHちゃんがやってきて、一緒に引っ張るという姿が見れました。他にも3人組で持ち上げて運ぶ子達、コメ袋の後ろを力強く押す子。顔を真っ赤にして一人で持ち上げて運んでしまう子もいたようです。

 さて、私達の保育を振り返った時、子どもが全力を出せる機会というのはどれくらいあるでしょうか。全力を出せる素材、全力を出してもいい環境というのはどれくらいあるでしょうか。
 それよりも「大声をださない」「走らってはいけない」といった、セーブする力を伝えることのほうが多いのではないでしょうか。「これくらいにしてね」と、最初から力を押さえる事を、伝えてしまいがちです。
 しかし、こういった「加減する」ということを本当に理解するには、全力を出す機会が必要です。加減するというのは文字通り、加えたり、減らしたりすることで、つまり、状況によっては、めいいっぱい力を出すことです。
 そう考えると、まずは100%の自分の力を知らないといけません。そこから50%、30%、0%、今は我慢する。ということが、だんだんとわかってきます。
 もちろん、お米を運ぶだけじゃない。
 めいいっぱい走る。大きな声を出す。思い切り紙を破る。水しぶきを上げる。
 こういったダイナミックな行為を経験することで、加減する、という事をゆっくりと学んでいくのです。


(3)芝を触る(一人ひとりの違いを尊重する)
 0歳児のUちゃんYちゃんと、初夏に散歩にでかけました。
 芝生にゴザを敷き、二人をバギーから降ろして遊ぶことにします。
 二人はハイハイでゴザを移動し、芝生のところまでやってきました。
 Uちゃんはすぐに芝生を掴み、その感触を面白がっています。
 一方、Yちゃんは芝生に手を伸ばしてるけど触ることに躊躇しているように見えます。
 しかしその手の動きを見ていると、つんつんと尖った芝生が自分の手のひらにチクチクさせる感触を敏感に感じ取っているように見えます。
 「Yちゃん、チクチクするのがわかったんだ?すごいねぇ。ちょっと痛いものね」
 と保育者が声をかけると、Yちゃんは安心したように触るのをやめました。
 保育者はその日の連絡帳に二人の様子を、それぞれの良さが伝わる形で書いたそうです。

 最初に、保育者は自分の思い込みや決めつけで子どもの行為を評価してはいけないと話しました。
 この場合の保育者にも、2人の行動を比較するのではなく、それぞれの良さに着目し、それぞれの個性、ひとりひとりの違いを尊重する姿勢が見て取れます。
 もし保育士が、手を伸ばして楽しむUちゃんは積極的で良い子、なかなか触らないYちゃんは、臆病でだめ、という見方をしてしまったら、途端にその子の良さが見えなくなってしまいます。
 考える前に感じたままに行動したUちゃんと、対象をよく観察して、よく考えてから慎重に行動に移すYちゃんに、それぞれの良さがあります。
 そんな、違いを尊重すること、そして、それぞれの良さを見つけ出そうとする姿勢こそが、保育専門職の見方です。

 保護者の中でも、我が子と他の子を比べて不安になったり、自分の子育てに自信を失ってしまう方がいます。
 そんな中、保育者が子ども一人ひとりの特性、良さを発見し、違いを認め、その違いをその子の魅力として伝えていく。
 これは子育て支援を担う保育者にとっての、大きな役割の一つではないでしょうか。

④まとめ

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 今日は子どもの見方について考えてきました。
 どうやって「こども」を見ていったら良いか。
 子どもの「何を」見ていったら良いか。何か参考になることがあったら嬉しいです。
 今回紹介した本を通して考えられる「保育のまなざし」「保育者の子どもの見方」はまとめるとこのようになります。
①子どもを見る目が、思い込みや決めつけになっていないか、常に自分に問いかける。保育者が想像を働かせて子どもを理解しようとする行為は必要なことです。
 しかし、それが「思い込み」や「決めつけ」になっているとしたら、子ども達の育ちに良くない影響を与えてしまいます。

②子どもの行為を尊重する
「”だめなこと”に見える行為を、すぐに止めてしまうのではなく、「この子は何をしようとしているのかな?」と立ち止まって観察してみることです。正しいか、間違っているかというまなざしではなく、なぜそれをしているのか?というまなざしをもつこと。そこに、子どもにとっての育ちや学びがあります

③子どもの気持ちを尊重する
 忙しい毎日の中ではあるけれど「どうすれば子どもたちの気持ちを尊重できるか」を考え工夫していきます。環境構成や担当制保育などがポイントになってくるけれど、普段の保育でも立ち止まって子どもの気持ちを尊重することは可能です。

④うまく行かない経験を尊重する
 うまく行かないことに遭遇した時、子どもたちは試行錯誤します。どうすれば解決できるのかと自分に向きあい、自分なりの答えを出していきます。これが何よりの学びです
 
⑤全力を出す体験を尊重する
 重いお米を運ぶ。全力で走る。大きな声を出す。思い切り紙を破る。こんなダイナミックな行為を経験することで、加減する、という事をゆっくりと学んでいきます。

⑥一人ひとりの違いを尊重する
 子どもたちの行動を比較せず、それぞれの良さ、個性、ひとりひとりの違いを尊重する姿勢です。子育て支援の一環として、保護者にもそれぞれの良さを伝えていきましょう

 はい。今日はこのようになりました。
 
 わたしは、これらのポイントを振り返ってみて、
 大事になってくるのは、保育者が育て急がないことだと感じました。
 子どもの行為や気持ちを尊重するには、じっくり観察することが大事だし、
 多くの場合、保育者が子どもの気持ちや行為を認めて、見守ることが多くなります。
 そしてじっくりと見守る中で、ふと「あ、この子には今こんな力が育ってきている」「あ、この子は今こんなことを学んでいる」と気づくことができるのではないでしょうか。
 慌ただしい日々の中で、それでも子どもたちの育ちを慌てない余裕が求められているのでしょう。
 
 ただし、慌ただしい園生活の中で、どうやってゆとりを生み出すか。どう余裕を作り出すのか。もしかしたら、これが一番の課題かもしれません。
 この余裕、というのは、どう頑張っても自分だけで作り出すのには限界があります。みなさんも実感があるのではないでしょうか。
 
 わたしの場合、
 月曜日は元気に子どもたちの前に立って、よし子どもたちとじっくり関わろう!とおもっても、木曜、金曜日には疲れが溜まって、保育にも余裕がなくなってました。人員配置が厳しかったり、行事や催しがあったりすると普段よりも余計に疲れやすくなる。土曜日出勤がある週は、普段よりもちょっと体が重かったような気がします。
 こんな時に助けになるのは、周りの助けです。というより、周りの助けがなければ、バタンギューです。

 配置基準にプラス1人の余裕があったり、有給休暇を取りやすい制度設計があったり、隣のクラスの先生と何かあったら助け合える関係があったり、こんなことが保育をするときの余裕に繋がります。
 きっと子どもを見る保育者の目線にも、ゆとりが生まれ、保育に余裕が生まれ、子どもたちと良い関わりができるのではないでしょうか。

 うーん。これは、今回のテーマとはまた違う保育のテーマですね。
 とはいえ、そんなゆとりを生み出す園マネジメントを、管理職階級の方々には力をいれていっていただければな、と願います。

あと少しで夏季休暇の先生も多いのではないでしょうか。
夏はゆっくり休んで、いっぱいあそんで、また子どもたちと関わる「英気」をたっぷりと養ってください。
でも、夏バテしないよう、ビタミン、ミネラルもしっかりとってくださいね」
それでは、子どもたちと良い夏を!
 
 今日は以上になります
 どうも、ありがとうございましたー!!

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