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後悔の無い人生なんて送れない

シェイクスピアは人生を以下のように語った。
『人生は選択の連続である』と。

まったくもって、その通りだ。

日常の一幕でさえも、その行動を選択している。

「ゴミ出しは明日しよう」
「洗濯物は帰ってきたら、取り込もう」
「洗い物は今しよう」

こんな具合だろう。わざわざ声に出すことはないが、何となく考えて行動しているはずだ。

今日はこんな選択の話をしようと思う。

選択肢は選ぶことに視野が行きがち

皆さんは高校受験をしただろうか。
中学受験でも、大学受験でも構わない。

その時に、なぜその高校等を選んだのだろう。

そういった質問をすると、
「偏差値的に」「○○科で勉強したくて」「部活が強い」等
回答が返ってくると思う。

それは、その情報を基に選んでいるからだ。
自分が選んだものはしっかりと理由を述べることが出来るものだ。

しかし、選ばなかった選択肢の理由は以外に出来ない。
出来る人もいるだろうが、大半の人間は出来ない。

何となく、選択しになかったか偏差値や授業料の関係で選ばなかった。
理由としてはこんなところだろう。

だからこそ、私は選択をするときに大切なことは
「どうしてその選択を捨てたのか」になってくると思うのだ。

まずは切り捨てるという選択肢

先も記述したが、選択に必要な物は
「どうしてその選択を捨てたのか」である。

もしかしたら、捨てた選択肢が最良の選択だったかもしれない。
それは、断言出来ないが、可能性としてあるという話だ。

選ぶ際に、良い点で選択すると他の選択肢は候補にすら上がらない時がある。それは、選択する上では悪手であると考える。(ネテロにも怒られそう)

まずは、絶対に外せない条件のみを叩き台にし、多くの選択肢を切り捨てて行くことが最良の選択肢へ近づく一歩である。

そんなことは分かっている。
そう言わずに読んでほしい。

分かっていても出来ないのだから。

選択肢は光り輝いている

先ほどは受験での選択肢にしたが、今度は就職・転職での選択肢に置き換えようと思う。

就職する際、その会社に入社しようと思った理由があるはずだ。
それは、何だったのかそれを思い出してほしい。

きっと将来は輝いているように見えて入ってきているか、多くの第一志望に落ち仕方なく入ってきたのか。

それは、千差万別だ。

だが、全ての選択肢は必ず光り輝ているはずだ。
仕方なく選んだ企業も、自分に100%合っていると思って選んだ企業もどんな選択肢も、光を放っていたからこそ、あなたは見つけたのである。

選択肢を捨てたことを実感しているか

私は最近になって、今まで捨ててきた選択肢を振り返った。
あの時はああいう選択もあったな。ではどうしてそうしなかったのか。
シロクマパンダお得意の自問自答を行っている。

どうしても、悔やみきれない選択肢もある。
だが、そういった過去を受け入れるためにも、きっと切り捨てた選択肢を再認識することは大切なことなのだと思う。

「後悔しない大人なんていない。」
私はまだ大人ではないが、齢二十歳を超えて感じる。

後悔しない生き方なんて、しなくても良い。
ただ、後悔を受け入れて過去の自分を許してあげることが出来る大人にはなりたい。

そんな話。

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