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仕事も恋愛も生活全てが演技で構成されている

皆さんの中で、仕事も恋愛でも演技をしたことがない人はいるのだろうか。

もし、居るのだとすればそれは社会的には許されない。
許されないという表現が間違っているかもしれないが、それを許容してくれる他人が存在しない。ということが言いたい。

本記事はそんな話だ。

日本人は幼少期から演技を求められる

小学生時代に教師が良く言っていた。
「クラスメイト全員と友達」「学年全員と仲良くしなさい」

一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

それは、演技だろう?
本当に全員と仲良く出来る人物はいるのか?
損得感情無しで単純に性格が合わない人間と仲良くすることは不可能だろう。(私だけかもしれないが。)

小学生時代にも普通に嫌いなやつ、いけ好かないやつはいたはずだ。

では、どうしてそんな中にあっても、皆と仲良くさせようとするのであろうか。

教師が監督、生徒は役者

きっと教師も本当の意味で仲良くさせたいのではなく、色々な人間を知ってもらったり、他にも細かな理由があり、そういった発言をするのだと思う。

しかし、結局のところは仲の良いグループでまとまり、教師が見ていないところでは、いじめという言葉で括られた犯罪行為も行われていることが現実だ。

私たちは役者なのだ。出来なければ不良品の扱いを受け、監督からも迫害される。
そんな中、大根役者という役になり切ろうと頑張る者は結構な数居たと思う。正直、幼心だったが見下していた(本当にすいませんでした)

しかも、この役者は「仲良くしろ」という大義名分の下に演技指導は行われない。自然に養えというわけだ。

当然、私含め出来ない人はいる。
とても惨めだったと今思い返してもわかる。

監督が演技の上手い役者にあの役者と仲良くしてやってくれと口添えしているのだ。小学生でもある程度の知能はある。
完全に舐められていたのだろう。

そして、クラスでわざわざ孤立している人間に、○○をして遊ぼうというわけだ。
当然ながら、丁重にお断りした。

世の中は、良い演技をしていれば周りも良い演技に合わせると思うなよ。
そんな意地だったかもしれない。

当然ながら、教師から呼び出しをくらう。
○○さんがせっかく誘ってくれたのに、あなたは…と説教されてしまった。

その時だったか、いつだったか定かではないが、教師に聞いたことがある。
『どうして皆と仲良くしないといけないのですか?』と。

その問いに対して、私が満足する回答を頂いた経験はない。

きっと教師だって分かっているのだ。
皆が皆同じように仲良くすることなど出来ないことに。

恋愛では、役者同士の演技バトルが見れる

男性は女性を求め、面白い話をして場を盛り上げたり、食事をご馳走したり、ドライブに連れて行ったりと中々に努力するだろう。
女性も男性に嫌われないように、面白くもない話にわざと笑ったり、食事をご馳走してもらう際に出すよとラリーを続けたり、ドライブ中も会話を膨らませたりしているのだろう。

私は恋愛の演技バトルだと思っている。
自分がどれだけ優れた人間か相手に演技で伝えているのだ。
当然ながら、ある程度時間が経てば、演技というメッキが剥がれ落ちるのだが。

それもそうだ。
相手が望む相手にならなければ、そもそも土俵にも立てないのだから。

それが演技であれ、何であれ、自分が望む相手であれば、その異性と親しくしたいのは、人の性だろう。

その為に、相手を無意識に騙しているのだから、人の本質は恐ろしいものだ。

仕事は自分を騙す程の演技力を身につけなければならない

社会に出ると感じる。
自分の好き放題できる人間はほぼいないのだ。

例えば、会社で一番偉い社長や会長さえも、クライアント先に行けば、担当者に「弊社をよろしくお願いいたします。」と下手に出る。
会食があれば、盛り上げるために話を振ったりもしている。

そんなものだ。社会はそうやって回っているのだ。

今思うとその練習を学校や恋愛の場で行っていたのかもしれない。
(本気で恋愛をしている人には申し訳ない言い方ですが。)

最後に

いい加減認めなければいけない。
人は他人に好かれる為、自分を騙し続けなければいけないのだと。

それは誰であろうと例外なく、「演技力」が求められる社会なのだから。

と私は思った。という話だ。

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