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私たちは知ってることしか知らない

突然だが私は大学時代英文学科に所属していた。

英文学科をあまりよく知らない人は「英語を勉強するんでしょ?」と思っているのではないだろうか。

半分正解。

私も英文学科に入る前はそう思っていた。

元々英語を話せるようになりたくて志望した学科だった。英語を話せるようになって英語を使う仕事がしたかった。

もちろん英文学科は英語を使いこなせるよう話す、聞く、書く、読むの4skillsが必修になっている。TOEICのための勉強もある。

しかし私の行っていた大学では1、2年生で4skillsは必修だったものの、3年生からは細かく4つの技能に分けるのではなく包括的に行える授業が必修で1つあるだけだった。

じゃあ英文学科はほかに何をしているのか。

大きく分けると、教育学、言語学、文化学、文学、とある。

教育学は主に英語の先生を目指す人たちが取る。ほかの科目の先生となる人たちと同じように、指導法であったり教室活動についてだったり。
そしてそれに付随してくるのが言語学。他の外国語や日本語を学んでいる人たちも同じような事をやっているかもしれない。私はこの言語学がかなり興味深かった。比較的新しい分野の学問なので、まだ研究段階であることも多いのだが、言語学の領域は例えば音声学。発音について学ぶ。対照言語学では日本語と英語の構造の違いについて。そして応用言語学は人間がどのようにして言語を習得するのか、科学的な面からの研究もある。個人的には応用言語学が好きだった。特にまだまだ研究の余地がある領域だ。こういった言語学知識は英語の先生になろうとしている人には必須の知識となる。また、コミュニケーション学もこの一部だ。
そして文化学。特に英文科は英米文化について学ぶ。ここにイギリスやアメリカの歴史なども入ってくる。これも旅行をしているような気分になれて楽しかった。
最後に文学。これは説明せずともわかるだろうがイギリス、アメリカの文学を学ぶ。私は結果的にこれをメインとして学んだ。

と、私も英文学科に入ってこの学問の分野の広さに驚いたものだ。

リベラルアーツ大学だったので英文学科以外の様々な勉強もしたが、やはり中心になるのは私は英米文学の勉強だった。

というのも、実は元々志したきっかけは「英語を話せるようになりたい」だったのだが、高校2年のとき、出席番号が前のバレエを習っていた友人がシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を貸してくれたことをきっかけに、英語よりも英文学を勉強したいと思って英文学科を志望するようになった。申し訳ないのだが私が未だにあまり英語を話せないのも文学を(しかも近代初期英語)勉強したいというモチベーションだった(というのは言い分けにすぎないが)。

本を読むのは好きだったが読んでいたのは主に日本の現代小説。ハリーポッターすら読まなかった。
その時初めてイギリスの文学を読んだ。しかも戯曲も初めてだった。

衝撃だった。こんなに面白いものがあるのかと。

このとき友人が貸してくれなかったら、私は人生で真剣にシェイクスピアを読んだだろうか。

高校までの生活でシェイクスピアに出会う人はどれほどいるだろうか。

しかしこれはシェイクスピアに限った事ではない。
私はここから他の国の戯曲も読もうと、ロシアのチェーホフの作品も読んだ。ロシア文学なんて読む機会ないだろう。

私はお恥ずかしながらサマセット・モーム「月と六ペンス」を先日初めてきちんと読んだ。私の中の聖書と認定するレベルで心に残る作品だった。
そしてふと、どうしてこんな良い作品、高校までで教えてくれなかったのだろうと思った。
幸い私は友人がきっかけで外国文学に触れることができたが、みんながみんなそうとは限らない。なぜ日本の文学ばかり教えられるのだろう…と。もちろん日本文学もいいし、それで手一杯なのかもしれないが、外国文学、特に西洋文学に少しでも触れてくれる先生がいたらなぁと思ったのだ。

シェイクスピアに出会わなければ私の人生は結構変わっていたと思う。

言語学についても。私は大学に入るまで言語学なんて学問があることすら知らなかった。人間がどう言語を習得するかなんて高校の先生は教えてくれなかった。もちろん知識としては先生の中にあるのだろうけど。

こんなこと言ったらキリがないだろうが、高校まではもう少し、色んな事に出会える幅広いことを教えてくれても良いのではないかと思うのだ。

しかし、そういうわけにもいかないから結局自分で歩いて人と話して、見つけていくしかないのかな。

その歩みを止めない人生でありたいところ。



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