翌朝の十六夜の月なお明く
【季語】十六夜(いざよい、いざよひ) 仲秋
【子季語】
十六夜の月、十六夜月、いざよふ月、既望
【関連季語】
月、待宵、名月、十六夜、立待月、居待月、臥待月、更待月
【解説】
旧暦八月十六日の夜の月、またはその夜をいうので、この名がある。月は満月をすぎると少しずつ欠けはじめ、月の出も少しずつ遅くなる。十六夜は、その最初の月。動詞「いさよふ」はぐずぐずする、ためらふの意。【きごさい季語と歳時記】
昨夜、十六夜の散歩を楽しんだ後、床についた。今朝、目を覚ますと西の空に、なおくっきりと十六夜の月が浮かんでいた。
六時過ぎ、散歩に出かけるともう日は上っているけれど、ここからはまだその姿は見えない。
月の姿を探すと、早朝のそれよりは幾分白々としているがなおその存在を示している。
俺の好きな和歌に柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ
という歌があって、以前もつぶやいたことがあるが
雄大な一首だよな。
東の野に太陽が昇る直前の曙の光が立ち上がるとき、振り返って見ると月が西の空に沈もうとしている
まあ、だいたいこういう意味。本当は、見立ての歌で、草壁皇子と軽皇子を詠んでいるようだが、それを知らなくても、目に見える世界の全てを三十一文字に収めるその歌はなんとも雄大である。
参考までにこの方の記事が詳しかった。
今朝の月を見て、多分、柿本人麻呂の見た月は今日のような十六夜の月なのだろうと思いを馳せたのだった。
こんな研究紀要も見つけた。これによると
人麻呂が「東の......」を詠んだのは692年12月30日午前6時ころと推定される。この日は旧暦で朱鳥6年11月17日(朔である12月14日から数えて17日目)である。
【北海道立理科教育センター研究紀要第12号】
とあるから、俺の思いもあながち間違いではなかったようだ。
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