イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇①
「07年9月8日深夜~9日」
(成田→ジア国際空港と近くの宿→ダッカ)
イミグレーションで並んでいると、後ろから声を掛けられた。振り向いた先にいたのは、二十歳くらいの日本人女性だ。バングラデシュでは日本人にほとんど会わないと思っていたのに、いきなりの遭遇である。時間はAM1時。真夜中の空港で不安になり、前に並んでいた私が日本のパスポートを持っていることに気づいて声を掛けたそうだ。名前はチエコさん。2年ぶりの海外一人旅だったが、いきなり二人連れになってしまった。
■持参金は450ドル、成り行きでドミトリーへ
2007年9月8日に成田空港を出発し、香港経由でバングラデシュの「ジア国際空港」(当時)に着いたのが9日のAM1時だった。声を掛けてきたチエコさんは、イスラム系の民族衣装っぽい服を着た24歳の大学生。今は夏休みだが10月に卒論の締め切りがあり、来年3月に獣医の国試を受けるという。バングラで青年海外協力隊の活動をしている先輩を頼って観光に来たそうだ。
私はというと、2年前のパキスタン旅行でイスラム世界の魅力にはまり、会社の夏休みを使って、実質9日間の日程でバングラへやって来た。帰りは16日深夜の飛行機だ。パキスタンの旅以上に行き当たりばったりで、宿の予約などを前回同様していないどころか、深夜に入国したこの時点でも、空港で夜明かしするか、すぐにどこかのホテルを目指すか決めていなかった。
イミグレーションを通過して、まずは通貨を両替する。バングラの通貨は「タカ」だ。空港内でも街中でも交換レートはあまり変わらないと事前に聞いていたので、一気に200米ドルを両替した。1万3600タカになった。1ドル=68タカである(実際には街中のレートは1ドル=70タカだった)。
私はこの旅に450ドルの現金を持参していた。旅日記に当時のレートが詳細に残っている。それによると「1ドル116.10円で450ドルをゲット。450ドルは日本円で5万2245円。1ドルが70タカとして、1タカの値打ちは1.6~1.7円」だ。
両替を終えて、この後どうしたものかとのんびり構えて空港を出ると、チエコさんから再び声を掛けられた。彼女はドコモからレンタルした海外用の携帯電話(私と同じ物だった)を所持していたのだが、予約していた宿に電話をしても話が通じない、電話を代わってもらえないかと言う。
「ああ、いいですよ」
英語など、ろくにできないくせに引き受けた。すると、よくわからないまま話がまとまり、宿の人が空港まで車で迎えに来てくれることになった。よくわからないまま感謝され、「同じ宿に来ませんか」と誘われる。宿は空港から近く、オーナーは日本人だそうだ。
疲れもあったし、ほぼ無人の空港で一夜を明かすのも退屈に思えた。ご一緒することに決め、迎えに来たバングラ人男性の車に乗り込む。着いた宿の名前は「Travel Homes」。ドミトリーで15ドルと聞き「バカ高い!」と思ったが、もう来てしまったし、一眠りしたかったこともあり、宿泊を決めた。
■リュウ君は“外こもり”?
ドミトリーには先客がふたりいて、どちらも日本人だった。オーナーが日本人と聞いたときからひょっとしてと思っていたが、ここは「日本人宿」なのかもしれない。本来、好きではないが、情報が少ないバングラでは、初日については「あり」なのかなとも思う。
先客のうちひとりは眠っていたため、起きていた若い男性とチエコさんとしばらく会話をした。男性はリュウ君という二十歳の理系の学生で、人当たりはとても柔らかいが、口から出てくるのは主に愚痴だ。ダッカの中央部まで遠すぎる、ダッカは人も車も多すぎるしうるさいし怖い、この宿から出たくない…などなど。人なつこいタイプで、私が「泊まるのは今夜だけ」と話すと「ダッカの街になんて行かない方が良いですよ。一緒にここにいましょうよ」と割と真剣に求められた。20カ国以上訪れているというが、観光よりは、海外の安宿でじっとしている“外こもり”が好きなのかもしれない。
ひとしきり話をした後、二段ベッドの上を使わせてもらい眠った。敷き布団がほんのり湿っていたが、体を伸ばせるだけで満足だった。
■ピックアップ代金は?
朝食は、ドミトリーに泊まった四人の日本人で一緒に取った。何を食べたのか覚えていないが、パンやジュースくらいの簡素な食事がついていたのだろう。昨夜、宿に到着したとき眠っていた男性は29歳で、当時の私と同い年だ。本名は記憶にないが、リュウ君は彼を「キリスト」と呼んでいた。細面でひげを生やし、達観しているような雰囲気を持つ彼には、確かに「キリスト」の雰囲気があった。英語に加え、多少のベンガル語もいけるという。リュウ君とは同じ飛行機に乗り合わせて知り合い、一緒にここに来たそうだ。
リュウ君とキリストは、私がダッカ中心部へ向かうのを止めた。「うるさいだけだよ」「危ないよ」「一度行ったけどうんざり。ここにいようよ」。
このふたりは何をしに来たのだろうかと思ったが、とにかく両者とも人当たりは柔らかい。私はヘラヘラ笑って頷きながらも「じゃあここで」と別れを告げた。チエコさんは、青年海外協力隊の先輩が宿まで迎えに来るらしい。
こうしてひとりで先にチェックアウトしたのだが、宿を出る前に一悶着あった。宿で働いている日本語ペラペラのバングラ人に呼ばれ、「金払って」と言われたのだ。
宿代は昨夜、先払いしている。話を聞くと「空港から車でピックアップしただろう? 女性の方はピックアップ代で25ドルを前払いしてるんだ。君はまだ払ってないよね。15ドルで良いよ。10ドルも安くしてあげるんだから、彼女には言っちゃダメだよ」。
あからさまに怪しい。ただ、ピックアップが無料ということはない気もする。いくらだろう。困ったことに相場観がない。
どの程度の金額が適切だろう…。考えてもすぐに答えが出るはずもなく、素直に15ドルを払った。正直言えば「高すぎる」と思ったし、チエコさんよりサービスするから黙っておけというのは不健全なやり方で、だからこそ疑わしい。相手にルールを教えないで自分で考えたゲームを進めるようなやり方は気に入らなかった。
■人とリキシャの海へ
金を回収して安心したのか、ダッカに行く市バスの乗り場まで、宿で働いている若者を案内人につけてくれた。ありがたかったが、だからこそ「高めの送迎料を取るのに成功したことで生じた罪悪感を緩和するために親切にしているのでは…。いやいや、悪い噂を日本で流されたくないから親切にしているのかも…」という疑惑が芽生える。もちろん、私の性格が悪いだけという可能性も捨てがたい。
庶民の足である市バスのチケットは、ダッカまで20タカ(約33円)だ。渋滞したため時間がかかったが、見える景色が飽きさせない。街を見た最初の感想は、この6年前に訪ねた「インドによく似ている」だ。人が多い、リキシャが多い、クラクションがうるさい、エネルギッシュ。
バスを降りると、客引きたちに、わっと囲まれる。ああ、また旅が始まったなと思う。見たことがないほどの狭い車間距離ですれ違う車が、切れ目なく走っていた。蒸し暑いが雨期の終わりの時機で、時折パラパラと降る雨が気持ち良い。ガイドブックで当たりを付けていた宿は2つとも満室で、第三候補だった「ホテルパシフィック」にチェックインした。
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