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イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇⑦

「07年9月13日夜~14日」
(クアカタ→ダッカ行きバスの中→ダッカ)

 この「⑦」は腹痛で苦しみ何度も野ぐそをしたことしか書いていません。

■腹痛地獄

 乗車した深夜バスは19時にクアカタ発、翌朝9時に首都ダッカ着の予定だった。昨日、街を歩いているときに服屋のオヤジに勧められた「SAKURA」という会社のバスだ。名前からもわかるように日本と関係のあるらしい会社のバスで、車体に両国の国旗が描かれていた。日本人の乗客は私だけで、欧米人の顔も見ず、バングラ人ばかりのようだった。

国旗が縦に並ぶ

 しばらくは順調な旅が続く。バス停で気づいたのだが、バングラで初めて星空を見た。天気は快晴。走行中も低い位置で輝く星を車窓から見ていて、良い気分だった。バスの中で隣のバングラ人に半ば無理やりiPodを使われるのも、悪い気分ではない。自分の聞いている音楽を「グッドグッド」と言われるのは気持ちが良いものだ。

 それもここまでだった。腹痛、襲来である。

 最初は違和感。やがて痛みが腹の中で爆発した。我慢をしていたら収まったのでほっとしたのもつかの間、繰り返し痛みの波が来る。バスにはトイレがない。バングラデシュは川だらけの国で、バスで長距離移動をすれば何度も川を渡ることになる。その多くは橋ではなく、フェリーのような船にバスを乗せて渡るので、もよおした人はその際にフェリーに設置してあるトイレを使うようだ。

 川にぶつかりフェリーに乗るたび、トイレで大便をした。トイレといっても電気はない。真っ暗で穴が開いているだけの簡易的な物で、携帯電話の明かりを頼りにくそをした。しかも、バスの中に荷物を置きっぱなしにするのが不安で、バックパックを背負ったままだったから、この大便には非常に困難が伴った。

 持参していた正露丸を飲み、しばらくは痛みと折り合いを付けていたが、それも短い時間だ。どんどんどんどん痛くなる。激痛。過去に腸炎にかかったとき以上の、味わったことのない腹痛だった。

 フェリーに乗ったときには必ずトイレを借りた。長時間使うものだから、並んでいるバングラ人たちの視線が痛かった。ごめんなさい。しかしフェリータイムだけでは間に合わず、陸上で定期的にバスが止まる際(運転手の休憩?)、必ず野ぐそをするようになった。バングラデシュのよくわからない田舎道で、野ぐそ初体験。人目につかないところを探すが、基本的に物陰なんてものはない。そっとバスから離れ、できるだけ距離を取ってしゃがみ込むしかなかった。きっと多くの乗客に見られていただろう。てやんでえ。しゃらくせえ。何度もした。

 激痛のピークは、午前3時を過ぎた頃にやって来た。大きなネズミが腹の中で暴れ、内臓を食いちぎっているような痛みが続く。ダッカに着いたら病院へ行くことも覚悟した。それより漏れそうだ。例え話ではなく、本当に歯を食いしばって耐えた。うめき声を上げる私を、周囲のバングラ人も心配している。野ぐそがすっかりうまくなった。最後はティッシュやそれに類する紙がなくなり、紙幣でケツを拭いた。ちなみに、バングラでは汚れ切ったボロボロの紙幣が平気で流通している。写真の上の2タカ札も現役である。

これはケツを拭いた札ではありません…

 拭いて汚れた哀れなお札を、腹から出た汚物の上に置いてバスに戻ると、犬を連れた通りがかりのバングラ人が立ち止まった。不浄な紙幣をじっと見ているのが車窓から伺える。拾うのか? 拾って帰るのか? しばらくして彼は、何かを思い切ったかのように、札には手をつけず犬と共に去った。何も言えない!

 車内での惨事だけは避けようと、唸り声を上げて耐え続けた。バングラデシュの夜を行く狭苦しいバスの中で、日本人は一人きり。その状態での激痛は、永遠のような時間だった。やがて、もう何度目か分からないが、バスが停車した。また野ぐそをしようと思ったら、乗客がみんな降りていく。ダッカだった。時刻は午前5時30分。予定の9時より3時間半も早い。奇跡だ。まだ自分は生きていけるんだという気がした。

 停車したのは簡素な駐車場で、これまで野ぐそをしてきたような暗い時間帯ではないし、路上や原っぱでもない。だからどうした。恥の概念などとうに捨てている。人がいなくなるのを見計らって、車止めと停まったバスの間に挟まるように最後の野ぐそをした。一瞬の早業である。すぐにジーンズを上げて旅行者の姿に戻った私は野ぐそのプロを自負する。計5~6回はしただろう。この車中の時間は、現在までを含めて私の旅史上、最もきつい時間だった。

■モハメッド再び

 近くにいたリキシャを拾った。ホテルを選ぶ余裕はなく、入国した翌日にダッカで泊まった「ホテルパシフィック」に行くよう頼む。悪いことに「オーケーオーケー」と安請け合いしたこのリキシャワラーが道を知らず、迷いに迷われた。腹痛はまだ治まっていない。最後には声を張り上げた。

 ホテルに着いたとき、私を呼び止める男がいた。数日前にダッカで世話になったリキシャワラーのモハメッドだ。朗らかに挨拶をしてきたが、きっと私の顔が苦痛の極みに達していたのだろう。心配そうな表情に変わった。「腹が痛い腹が痛い」と日本語でわめき、適当に金を渡して「水を買ってきてくれ」と頼んだ。喉が渇いていたというよりも、しばらく身動きが取れなくなってしまった場合の危機管理である。戻ってきたモハメッドからペットボトルを受け取りチェックイン。フロントの前で腹を抱えてうずくまった。

 ベッドで横になったのは午前7時だ。この日は腹痛で一日潰した。ホテルでずっと寝ていた。医者に行くのは面倒だ。モハメッドが外から呼び掛けてくるが、相手はできない。ただただ寝た。ホットシャワーの気持ち良かったことが忘れられない。

 なお、痛むのは腹だけではなかった。昨夜乗ったバスが狭く、道も悪かったため、膝を散々ぶつけた際の痛みがあった。朝ホテルまで乗ったリキシャでは、急かせた私が悪いのかもしれないが、腰を痛めてしまった。満身創痍である。

 この腹痛、いったい何が原因だったのだろうか。思い当たるのはバスに乗る前に屋台で買った夕食だ。油で揚げた何かだった。食べている最中、「何かこの油変だな。匂うな」とは思っていた。思いつつ、出された物は全部食べる主義を発揮して完食した。あれが怪しい。とはいえ痛すぎるので、直接の原因はなんらかの細菌なのだろう。細菌と、よろしくない油の抱き合わせだったのだと思う。

 午後6時ごろ、ホテルの2階にあるレストランでなんとか飯を食った。コーラが美味くてたまらなかった。

 午後9時45分時点、日記にこんな記載がある。「まだ腹は癒えず。明日以降、平気だろうな。丸一日潰したんだぞ」。

 寝た。

2度目の宿泊となった「ホテルパシフィック」

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