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イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇④

「07年9月11日」
(ロケットスティーマー→ボリシャル)

 何も期待していなかった「ボリシャル」だが、嬉しい出会いと、思いがけない観光に恵まれた。知らない国の知らない街で知らない人と巡った、夜の動物園と遊園地。旅の醍醐味を味わえた思い出深い土地である。

■情報なし、夜の港町へ

 ロケットスティーマーがボリシャルに到着したのは、予定通りの朝5時だった。もっとルーズなお国柄だと思っていたので驚きだ。

 ボリシャルに降りたときのことを忘れない。日の出前の最も暗い時間帯、下船者を目当てにぎっしり並んだリキシャワラーと、商売をしている路面店の情景が河岸にあった。見た途端、いったいこの後どうしようかと途方に暮れた。ボリシャルについて具体的な情報をほとんど持っていなかったのだ。ガイドブックがボリシャルに言及しているページはごくわずかだった。

 今になってネットの情報を調べてみると、ボリシャルはベンガル語の表記であり、「英語表記では『バリサル』。バングラデシュ南部、ベンガル湾の北岸にある港町で、首都ダッカから142kmの距離。同国の稲作の一大拠点でもある」そうだ。何も知らなかったな…。

 とりあえず、少ない情報の中で拾ったホテルへリキシャで行ってみたが、クローズ。ぶらぶら歩いたりリキシャに乗ったりして時間を潰し、明るくなってからもう一度同じホテルへ行くと、スタッフらしき男性が対応してくれ、チェックインした。「ホークインターナショナル」という宿で、1泊200タカ(約330円)だ。

 チェックインの際、宿帳に名前や国籍などを書くが、ここで「NAKAI」という名を見つけた。昨日泊まったらしい。一昨日、ロケットスティーマーのチケット売り場で出会ったナカイさんだろう。名前の横に「二十歳」とある。旅中に付けていた日記の記載をそのまま転載する。「二十歳かよ、老けてんな」。実に正直だ。初対面の印象では29歳の私より少し年上だと思ったのだ…。

 一眠りしてから、何をしようかと考えた。そもそも、ロケットスティーマーに乗ることが目的で、そのメイン区間が「ダッカ→ボリシャル」だっただけだ。ボリシャルで何かをしたかったわけではない。

 宿の人からこの辺りの情報をもらうと、国営のバス公社「BRTC」のオフィスがあることや、船着き場の「ランスターミナル」の名前が挙がった。リキシャに乗ってBRTCへ行き、明朝10時30分発の「クアカタ」行きのバスを予約する(110タカ=約180円)。特にボリシャルに用のない私は、行ってみたかった海岸沿いのリゾート地、クアカタへ明日にも移動することにした。

 BRTCの付近では、バングラ人にめちゃくちゃ写真を撮られた。歩いているだけで人が集まり、携帯(当時ガラケー)のカメラを向けてくる。外国人が珍しいのとノリがいいのと両方だろう。ホテル前の安食堂で昼飯を食い(39タカ=約64円。安い!)、今度はランスターミナルへ向かう。

被写体、不可避

 港だ。「昨日着いたとこだよな…」と思いつつも、昨夜は暗闇の中の移動だったため同じ場所かどうか自信が持てない。しかし歩くだけで気分が良い。ふらりと寄った食堂で、油で揚げたパイのようなものと、簡単なサラダと豆カレーを食べた。代金は4タカ、7円弱だ。ボリシャルでは観光客向けではない、この国の本当の物価を知った思いだった。

■彼はサジェーブ

 この後、トラブルに遭遇した。明日のバスが出るターミナルを見ておこうかと思いリキシャに乗って、さんざん道に迷ったあげく最初に約束した50タカを渡すと、若いリキシャワラーが「足りない足りない」と騒ぐ。どうやら「道に迷って想定以上にリキシャをこいだのだから、約束以上の金がほしい」という趣旨のようだ。私からすれば「道に迷って無駄な時間を使った上に、約束以上の金がほしいとは何事だ」となる。この辺の感覚、一生、落としどころがない気がする。

 互いの主張譲らず、ついにリキシャワラーは騒ぎ出した。周囲のバングラ人にわめき立てている。「この日本人が金を払わないんだ!」と言っているのに相違ない。なかなか、たちが悪い。こちらはリキシャに乗りっぱなしで、降りようとしても力尽くで止められている状態だ。

 まいったなぁと思っていると、ひとりの若者が現れた。二十歳前後と思われるバングラ人の男性が、英語で私に話しかける。英語が通じる人が少ないこの国でありがたい。いくら払ったのかと聞くので「50タカだ」と答える。「15タカか?」「いや50だよ。ファイブ、ゼロ」。

 すると若者は大きな声で周囲に対し「充分払っている」という趣旨のことをベンガル語で言っていた、と思う。リキシャワラーに対しては怒りだした。「この日本人は50も払ってるんだぞ」という主張を周囲にしてくれていたようだ。

 彼の名をサジェーブという。私が別のリキシャでホテルに帰ろうとすると、相乗りして一緒に行くと言った。21歳の学生で、ビジネスマーケティングを学んでいるそうだ。「リキシャワラーは嫌いだ」「僕はバングラデシュを愛しているが、バングラデシュは僕を愛してくれない」などなど。うん。まっすぐで、学生ぽくて良い。

 ホテルに到着後、サジェーブがボリシャルを案内したいと言うので、申し出を受けた。特に危険は感じなかった。

■憩いの場「ワールドプラネットパーク」

 サジェーブの案内でボリシャルの街を楽しんだ。親戚の叔父を紹介したいと言われ船着き場へ行って船に乗り込んだり(叔父さんは不在だった)、テニスコートに案内され、なぜかあちこちの靴屋さんを一緒に訪ねた。

 最も面白かったのは、日が落ちてから行った「ワールドプラネットパーク」だ。切符売り場で10タカ払い、チケットを買う。動物園と遊園地がセットになっている、バングラ人の憩いの場のようだった。

ワールドプラネットパークの入り口
そのチケット

 施設内には談笑する若者グループのほか、肩を寄せ合うカップルも多い。観覧車があり、その近くに恐竜の置物が展示され、隣の檻では本物の熊が寝ている。まさか、知らない国の知らない街で知らない人に案内されて、夜の動物園&遊園地を歩くとは思っていなかった。

観覧車の前でおしゃべり
これは恐竜の置物
こっちは本物の熊の尻

■お前もか?

 満喫し、帰りはホテルまで行動を共にした。本当に楽しくて、ありがたいと思っていたのだが、別れ際に問題が生じた。サジェーブは案内の最中、何度も「金はいらない」を繰り返し、お礼を払おうとしたら怒るくらいだった。しかしホテルで別れようとすると落ち込んだような顔で「金がなくて帰れないんだ」と言う。

 うそだろサジェーブ。

 お前もか。

 こういった経験は何度もしてきたが、それでも思う。お前もなのかと。結局、後から金を要求する例のアレなのかと。

「帰るのにいくら必要?」「友達からお金はもらえないよ」

 このやりとりも、前回のパキスタン(サッカルのジュネージョ)で記憶にあった。断るのに帰らない。この場合は帰れないのだから、事実そうなら受け取るしかないだろうに。受け取らないのは単なる金狙いだと思われたくないからか? お前もか?

「いくら必要?」「いらないよ」「でも帰れないんだろう?」「帰れない」「いくら?」「もらえないよ」。

 不毛なやり取りを何度も繰り返した結果、「20タカほしい」ということなので渡すと、サジェーブは帰った。33円だ。さすがに金額が低すぎるので、本当に帰りのリキシャ代がなかっただけなのかもしれない。そうであれば疑ってすまない気持ちだが…。けど、それならさくっと受け取ってくれよ。

 サジェーブは明日の朝、また部屋まで来てくれるという。真夜中にロケットスティーマーで到着した何も分からない町ボリシャルを満喫できたのは、完全に彼のおかげだ。不安ばかりで始まった一日が、少しだけ最後に影を落としたとはいえ、楽しく終わった。

ありがとうサジェーブ

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