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イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇⑧

「07年9月15日」(ダッカ)

 目が覚めても腹痛は残っていたし、下痢も続いていた。しかし軽くはなっている。これ以上、ホテルで屍になっていたくない。何しろ明日の夜には帰国の飛行機に乗るのだ。根性で外へ出て、待ち構えていたモハメッドのリキシャで観光を再開した。

■南アジア最大のショッピングモールへ

 まずは、海外で必ず行くことにしている国立博物館へ。さまざまなタッチで描かれたバングラデシュの絵も良かったが、最も惹かれたのは、手織りの綿織物「ダッカ・モスリン」だった。とうに技術が失われ、もはや誰も織り方がわからない伝説的な織物だという。

ダッカ・モスリンで作られた19世紀のターバンと20世紀のサリーが展示されていたが、向こうが透けて見えるほどの薄さで、軽やかな美しさが際立っていた。ドラクエの「みずのはごろも」ってこんな感じなんじゃないのと思う。

 独立戦争関連の展示も多く、この戦争で戦った兵士を「フリーダム・ファイター」と呼んでいるらしい。どうでもいい話だが、バングラで初めて自動販売機を見たのも博物館だった。

 次に、南アジア最大とうたわれるショッピングモール「ボシュンドラシティ」へ。8階建ての吹き抜けで、これまで見てきたバングラデシュとは別世界が広がっていた。

 外観がピカピカの超合金みたいで、ロボっぽい。中へ入ると、こぎれいで広大なショッピングモールという趣だ。右を見ても左を見ても物欲が刺激される。電化物では、デジタルカメラや「Xbox」などのゲーム機が目立った。シャッターを下ろしている店舗も多かったような記憶があるが、一方で、各種の高級ブランド物も溢れかえっていた(本物かどうかは知らない)。

 じっくり見物したかったが、まだ腹痛とお付き合い中だ。時折、うめき声をあげながら観光している状態である。情けないことに、ここで最も満足したのは最上階のフードコートで体を休めている時間だった。水分も足りていないのか、スプライトとコーラを立て続けに飲んで、どちらもやたらと美味かった。

 疲れてしまった。

 今日はここまでにしよう。

 腹痛と下痢腹を抱えたままで動くよりも、もう少ししっかりと体調を回復させ、実質最終日となる明日に賭けた方がよいと判断する。待っててもらったモハメッドのリキシャに乗ってホテルへ戻った。この日のデジカメのデータを確認しても、ボシュンドラシティは外観の写真しか撮っていないし、博物館に至っては1枚もない。よほど体調が悪い中、ダッカをうろうろしていたのだろうと思う。

 一方で、こんな写真は撮っていた。どうしてダッカにはこれほどモニュメントっぽい物が多いのか不思議だったのだ。こんな鶴とか。

 こんな人たちとか。

 独立戦争と関係がありそうだなと思うが、答え合わせはしていない。

■ラマダン突入

 モハメッドには、移動代など込み込みで800タカ(約1300円)を渡した。この国の、半日程度のリキシャワラーの収入としては悪くないはずだ。彼の場合は簡単な観光ガイドも兼ねていると思っているし、そもそも腹が痛くて価格交渉をする気力がない。「また明日」的なやりとりをして部屋へ戻った。

 2階のレストランで、夕飯をなんとか胃に押し込んだ。昨日も今日も、まともな食事は無理やり取った夕食だけだ。何か腹に入れた方がいいという考えだったのだが、良かったのかどうか。頼んだ「チョウメン」(焼きそばみたいなもの)が非常に油っこい。量が多いのは良いのだが、とにかく油が強く、しかもなんだか妙な匂いがしたりしなかったり…。バングラの料理、合わないのかもしれない。

 それでも粛々と食事をしていると、働いているスタッフが「昨日から1カ月間、ラマダンに入った」と言う。イスラム教徒は午前6時~午後6時の間、水も含めて何も口にできないそうだ

 今日見た限り、外では多くの人がいろいろと食べていた気がするが…。そんなことを言ってみると、そのスタッフが、食べていたのであればおそらくこんな理由だろう、といったことを話してくれたのだが、英語が高等でよくわからなかった。明日、自分の目で気をつけて見てみよう。

 しつこい腹痛を抱えたまま、そんなことを考えつつ眠った。


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