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イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇②

「07年9月9日」
(ダッカ)

 海なし県の埼玉で育ったからというわけではないが、「港」に興奮する癖がある。福岡県宗像市の大島に泊まったときは、浮かんで並ぶ漁船の列と、宙を舞うウミネコを、ずいぶんと飽きずに見ていた。そんな自分にとって、無数の川が国土を走り、船が重要な交通手段になっているバングラデシュの河川港の景色は、それだけでもこの国に来て良かったと思えるものだった。

■目的は「ロケットスティーマー」


 昨日チェックインした「ホテルパシフィック」は、清潔で設備の整ったホテルだ。1泊1173タカ。約1900円。昨夜のホテルより高いが、かたやドミトリー、今日は個室。それもダッカの街中という立地なので特に文句はない。

 ホテルでは、18~19歳のバングラ人女性が働いていて、片ことの日本語を操ることもあり、チェックイン直後からよく話した。「バングラ人は男も女も肌が汚くて嫌だ。日本人と結婚したい。でも私、人に好きになってもらったことがないの」。そんな、回答に困ることばかり言っている女性だった。おしゃべり好きで、こちらから会話を切らないといつまでも話していそうな感じ。この日は大切な仕事があったので、適当においとまする。

日本語が上手。名前は聞かなかったな

 この日の大切な仕事とは、「ロケットスティーマー」と呼ばれる船の、乗船チケットを買うことだった。世界的にも珍しい、定期航路の大きな外輪船で、バングラデシュの観光情報を調べれば必ずヒットする。この外輪船に乗って、狭い国土を幾本もの河川が縦横無尽に流れるバングラデシュの船旅を楽しみたかった。バングラ観光で明確な目的を持っていたのは、「ロケットスティーマーに乗ること」だけである。

 ホテル近くの安食堂で昼食を取ってから、チケットを買いに行った。チケット売り場のオフィス(雑多な建物の隅に入居した薄暗くて簡素な一室)に着くまで、なんやかやあって一苦労だったが、無事に明日18時発の「ダッカ→ボリシャル行き」のチケットを手に入れた。

 せっかくだから1等席を選んだが、それでも料金は480タカ(約800円)だ。なお、1等は個室のエアコン付き、2等はエアコンはないが個室(でも相部屋)、3等はデッキで毛布を被って雑魚寝である。

 チケット売り場で、またしても日本人に遭遇したことには驚いた。ナカイさんという男性で、今日発のロケットスティーマーで、やはりボリシャルへ行くという。29歳の私より、やや年上だろうか。このときはたいした話をしなかったが、このナカイさんとは、バングラデシュ旅行を通じて何度も袖をすり合うことになる。

■魅惑の「ショドルガット」

 チケット購入後に向かった「ショドルガット」は素晴らしかった。ロケットスティーマーが出港する船着き場だ。都市と都市を結ぶ定期船が発着するほか、住民が日常生活を送るのに欠かせない生活物資を扱う小舟が集まる場所でもある。

 運河には、幾艘もの小舟が浮かんでいた。停泊している船は接触ギリギリまで接近し、船長同士が操縦技術を競っているようだ。船からは乗員が身を乗り出して客引きの声を上げている。パイナップルやブドウ、パンに香辛料、さまざまな穀物などをたたき売る者も多い。満ち満ちる活気とロマン。ここまで、あまり撮らなかった写真を何枚も撮った。

停泊中の船。近すぎるのでは

 歩いていると、私の元に多くのバングラ人が寄ってきて、ガイドをしようとしたり物を売ろうとしたりと忙しない。そんな揉まれ方をしていると、バングラ人の人なつこさが心地よく感じられるタイミングが出てくるのだった。うっとうしい気持ちが半分、面白い気持ちが半分というところか。バングラの男は背が低い人が多く、172㎝の私が大きい方だから、囲まれても圧迫感はない。

こんな風に生きたい

 港を堪能し、街中へ戻った。ここまでリキシャで来たのだが、行きは300タカ(約480円)、帰りは100タカだった。適正価格がわからない。空気はジメジメしているが、人はからっと笑っていて、リキシャの騒音が激しい。道路は文字通りの「交通戦争」状態で、誰も道を譲る気はなし。そんなダッカに体がなじんでくるのを感じた。

 夕食は、ホテル近くのファーストフードにした。どこの国でも、見物のつもりで一度はファーストフードに入っている。味の記憶も写真もないが、ハンバーガーがとても油っぽかったことだけは日記に残っている。

 明日18時の乗船を楽しみに、眠った。

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