天草騒動 「31. 鍋島甲斐守殿の乳母の願いの事」
このたびの一揆追討の下知を受けて、西国の諸侯はそれぞれ島原に向けて発向した。その中に鍋島信濃守殿という方がいた。
信濃守殿の先祖は太宰少弐喜頼の末孫で、肥後国の住人龍造寺和泉守隆景の孫、平左衛門尉清久の後胤、父は鍋島加賀守直茂殿といって、関ヶ原の合戦の折りに家康公の内命を受けて幼少の公達や女中方を伏見城から京都に逃すことに成功し、大功をたてられた方である。
信濃守殿は、関ヶ原の合戦の際には西軍方として家康公に敵対していたが、合戦が終わった後、老父の加賀守殿の軍忠に免