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天草騒動 「38. 大将四郎大夫蛇蝎退治の事」

 さて、寄せ手は城を遠巻きにして諸方への通路を遮断することになった。

 寄せ手が一向に攻めて来ないので、城内では陣を固く守るばかりで、一揆どもはそれぞれの持場を守りながらだんだん兵糧が減っていくのを心配し、寄せ手の隙を窺って搦手の海辺に出て海草などを取っては食料の足しにしていた。

 日中はとかく寄せ手の目につくので、日が暮れるのを待っては女どもが裏山伝いに海辺に下りて毎晩海草や貝類などを取っていた。

 ある晩、いつものように女どもが二三人あるいは四五人で連れだって、裏山を伝って搦手に出て海辺に行こうとしたところ、季節はずれの蛍かと見えるような光る物が草木の陰にあちらこちらと光っていた。

 皆最初のうちは星の光が露に映っているのだろうと思っていたが、そのうち、光る物の数がだんだん増えてきて、一斉に飛び立ったかと思うとたちまち一か所に集まって大きさ一丈ぐらいの丸い玉になり、あたりをまばゆく照らしながら転がって近付いてきた。

 皆アッと驚いて逃げようとしたが足がすくんで一歩も歩くことができない。そのままそこに伏せると、その間に早くも消え失せてあとかたもなくなっていた。

 全員奇妙な思いがして寄り集まり、「これは天帝が何かをこの城内の我々にお告げになっているのだろう。」と語り合った。城内では、「女は臆病だからそんな物を見たのだ。」と言って、気にかけない者も多かった。

 ところがその後、大将の四郎大夫の居間に時々見馴れない女の影が現れ始め、その頃から四郎大夫は体調がすぐれなくなって床につき、寝食もいつものようにいかなくなってしまった。しかし四郎大夫は味方の兵士たちが驚くことを畏れて、「今度の戦いを天帝に祈願するために物忌み中である。」と言って、蘆塚、大矢野、千々輪、天草、赤星、森の他には一切面会せず、一部屋にこもっていた。

 ある寝覚め侘びしい冬の夜の、軒の水音も絶えて草木も眠る丑満刻うしみつどき、枕元に人が歩み寄る気配がしたので四郎が頭をあげて見てみると、見馴れない、頭に着けた玳瑁たいまいの光にも負けぬほど美しい手弱女たおやめが、身に錦繍きんしゅうまとって何か言いたそうにたたずんでいた。

 妖しい者に見えたので、「おのれ、妖怪であろう。」と、枕元の刀に手をかけると、女は「お待ちください。」と押しとどめて、「はやまらないでください。あなた様に危害を加えようとする者ではありません。私の願いをお聞きください。」と言いながら、なおも近付いて来た。

 「願いというのはほかでもありません。私はこの原城のつめの丸の山陰の木立の中の洞窟に何年も住んでいた蜘蛛の精でございます。世間の人は、私を尊んでその洞窟を荒神ヶ洞と呼んでいました。

ところが月日がたって天正の末、鍋島の属城になってから、鍋島の居城である佐賀城の鎮守の瀧の尾神の使いという蛇蝎おろちがここに跋扈ばっこして私の眷属けんぞくを喰らい始め、とうとう洞窟も乗っ取ってしまいました。今も、あそこの洞窟を住処にしています。

蛇蝎おろちは、今度の寄せ手の中の鍋島勢に力添えしてあなた様に災いをもたらそうとしています。このまま放っておくと味方のために吉とはなりません。ですから、蛇蝎を退治すれば敵の力を弱めることができます。

また、彼の棲んでいる洞窟は伏兵を置くのに良い場所です。機会を見計らってこの洞窟を使えばきっと勝利できるでしょう。

私も多年の宿怨を晴らすのは今だと思いますので、あれこれとあなた様にお知らせして災いのもとを断ち切り、また、私の眷属けんぞくのかたきを討っていただきたいと願っているのです。

これらのことをお話ししたいので、あなた様の眠りの邪魔をしたのです。ゆめゆめ疑わないでください。」

 こう言ったかと思うと姿は消えて、気がつけば、ただの一睡の夢であった。

 四郎はしばらく茫然としていたが、つくづく考えると荒神ヶ洞のことは以前蘆塚から聞いたことがあったので、「これは真実のお告げであろう。ともかく明日早々にその洞窟を調べてみよう。」と、夜の明けるのを待った。

 鶏が鳴いて烏が梢を離れると共に自分の寝床から起き出て、昇る朝日に向かうと、近頃珍しく気分が良かったので、まずは蘆塚を呼び寄せて昨晩の夢の話しをした。

 すると蘆塚は、「たまには体を動かすのも良いでしょう。」と言うので、四郎はすぐさましたくをして、蘆塚、大矢野、千々輪とその他の若手の勇士を選び、多数の勢子せこを引き連れてつめの丸に向かった。

 そのいでたちは、昔、源頼光公が土蜘蛛退治に出立した時の様子を目の当たりに見るようで、人々の隊伍は坂田金時や渡辺綱にも劣らないほど勇ましかった。

 こうして荒神ヶ洞に到着すると、血気にはやる若者どもが皆、「討ち取ってくれる」と言って、競って岩窟の中に入ろうとした。

 蘆塚があわてて押し止めて、
「年を経た悪虫は必ず毒気を吐くという。特にこのような岩窟の中は山気が凝滞して人の体に害を及ぼすものである。ここからおよそ一町ほど山の裏に回れば草木が禿げて一株もなくなっている場所があろう。これがこの洞脈だ。そのあたりを掘ればこの洞窟に続いている。そこに薪や柴を積んで穴をいぶせば、例の悪虫はきっとこの口から出て来よう。その時に討ち取れば最も簡単であろう」と、指図した。

 そこで勢子せこの者どもが山の裏手に廻ってあちこち探したところ、樹木が生い茂った中に一丈四方ほど苔のはげたところがあり、そこには草も木も一株も無かった。これこそ蘆塚の言った洞脈であろうと、手に手に鋤や鍬を持ってそこに穴を掘った。およそ十四五間も掘ったところ、土の中の岩石が自然に蠢く場所があった。

 「それっ、洞窟を掘り当てたぞ。」と、各人、柴や薪を運んでそれに火をつけ、陣笠などで煽ぎ立てた。

 蠢く岩石の間に煙が入ったかと思うと、たちまち洞窟の中が震動し始め、同時に一天にわかにかき曇って暴風が樹木を鳴らし、大雨が車軸を流すように降ってきた。天地が同時に崩れるかと思われるようなありさまであった。

 やがて、洞窟の中から陰々と黒いもやが立ち昇り、震動がますます激しくなったと思うと、頭の大きさが四斗樽ほどもあるかと思われる蛇蝎おろちが、両目を鏡のように光らせ、紅の舌を出しながらずるずると洞窟の口に出て来て、大将の四郎大夫をめがけて一呑みにしようと飛びかかった。

 時貞はとっさに身をかわし、佩刀はいとうを抜きざま、ばっと蛇蝎の首を切った。さしもの大きな蛇蝎も首筋を深く切り付けられて、のた打ち回って苦しんだ。そこを大矢野、千々輪らが太刀を抜いて胴体や尾をところかまわず切り付け、突き刺した。

 ところが蛇蝎は怒り狂い、数万頭の牛が吠えるような怒声を発しながら天に昇っていったかと思うと、すぐに反転して悪気を吹きかけながら四郎に飛びかかり、一同があわやと思ったところ、四郎はすかさず蛇蝎を切り払った。

 地響きをたてて落ちてきた蛇蝎に四郎がひらりとまたがって、咽元深く刺し貫いたので、続いて全員がまたがって刀を逆手に持って刺し通した。さすがの蛇蝎もしだいに弱って、呻きながら息絶えた。すると、不思議なことに、今まで車軸を流すように雨が降っていた大空もたちまち晴れてもとの青空になった。

 人々が寄り集まってその蛇蝎を見ると、長さは二丈余りで頭から背中にかけて紅青黒の斑紋があった。

 皆が兵糧の足しにしようと言ったが蘆塚はこれを許さず、「山国では蟒蛇うわばみを食べると聞くが、およそ三四年も味噌に漬けないと毒気がなくならないという。そんなに時間がかかっては、籠城のための兵糧にはなりそうにない。」と言って、搦手から海へすてるように命じた。そこで、綱をつけて三十人余りでようやく引き出して海に捨てた。

 その後、蘆塚は配下の者に命じて洞窟の中に酢をたくさん注がせた後、掃除をさせ、洞窟の奥を調べたところ、入口は二間四方程だが奥へ入るほど広くなっており、奥行きはおよそ三四町ばかりで、ところどころに天然の柱があった。また、奥の院ともいうべき所は一段高くなっていて、天然の石垣があってあたかも家のような形をしていた。

 その日は、首尾よく蛇蝎を退治したので勇んで帰陣した。

 その晩、再び蜘蛛の精が四郎大夫の枕元に現れて、長年の仇敵を亡ぼした礼を述べ、「このたびの企てはさまざまな障害があってどうしても成就はできないでしょう。しかしあなた様の名は後世に残るでしょう。」と言って、そのまま姿が消え失せた。

 その後、蘆塚の指図で荒神ヶ洞の中に兵糧や弾薬などをたくわえ、万一この城が持ちこたえられなくなった時はこの洞窟の中に兵を隠して寄せ手の不意を討ち、華々しい一戦を行おうと準備した。

 その後、落城の前日に、千々輪五郎左衛門が最期に臨んで荒神ヶ洞隠兵の密事を鍋島甲斐守殿に告げたのは、例の乳母の魂魄とこの蛇蝎の精が五郎左衛門の心の中に入り込んだためである。これこそ瀧尾明神の加護によるところであろうか。


39. 松平伊豆守殿島原表に下向の事

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