名古屋旅行記・2022年夏(前編)
後編はこちら。
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特に理由もないが、名古屋でひとり、数日を過ごした。あまり旅行をしないたちだが、時間に余裕があったため東京からあまり離れていないところに向かおうと決めた。名古屋は2回目で、以前は観光地をテンプレ通りに巡る旅であった。そのような旅でも、気温や方言、食住環境に歴史の観点などから、東京との差分を楽しみやすい街もあれば、そうでない街もある。名古屋は後者であった。
2回目かつ一人旅ということで、名古屋を体で理解したいと思った。それが今回のコンセプトだった。街を歩き、地点間の距離と自身の疲労感をリンクして記憶したりーー渋谷から表参道は普通歩かず電車等に乗るし、お洒落タウンとされる代官山には意外となにもないと都内在住の多くは理解しているが、いくら雑誌やInstagramで見ていても経験しなければ理解しにくいーー、人と話して、東京同属性の方との差分を理解したいと考えていた。
名古屋に着く。品川から新幹線で90分くらいで、車内では初日の宿を取ることしかできなかった。車内や空いている時間に読書や作業しようと思うもできないというのは旅あるあるだなと思い出す。結局2泊3日のなかで、一度もしなかった。
もう夕方直近だったので、とりあえず荷物を置きにホテルに向かいたかった。駅構内を抜けて東山線に乗り、伏見駅に向かった。一駅だったし、降り立ってすぐなので歩けば良かったな、と感じた。上に述べた身体知を早速一つ獲得できたーー名古屋駅と伏見駅はすぐそばで、気分転換に歩くにはちょうど良い距離だ、という感覚。幸先が良い。
ホテルに着くまでの間、街並みやそこに歩く人々を見て、最初の問いが生まれた。それは、名古屋に住む方々は、日本で3番目の大都市圏に在住しているということを、どのようにアイデンティティに組み込んでいるのだろう、ということだった。
1日目昼ーー相対的に位置づけられる自分と、主観的な自分
東京生まれ東京育ちーー僕は東京上京組なので異なるがーーの人は、おそらく日本とは東京のことであり、その他の地域を周縁だと感じているのではないか。その他の都市は、観光や別荘、出張の対象と、客体的に捉えているのではないだろうか。優越感や見下しというと、彼ら彼女らの心情に近似できていないように思う。「いろんな料理が好きだけど、基点はお米だよね」といったところか。
そうした時、翻って名古屋在住の方々は、ここで暮らすことを、どのように捉えなおしているのだろうか。周辺の市区町村と比べ、繁華街に住んでいると捉えるのか、東京や大阪・京都に次ぐNo.3だと捉えるのだろうか。鶏口と捉えるのか、牛後と捉えるのか。そのとき、前者の人で、徳川町に住みゲレンデヴァーゲンに乗る人たちは、品川ナンバーのAMG Sクラスを見た時にどう感じるのか。後者の人が、王様のブランチが原宿を紹介するときに、何を感じるのだろうか。
少し考えた結果、あまり面白いことは言えそうにないのでやめた。クリティカルな問いではなかった。賢い方はすぐ感じたと思うが、この問いはあくまで相対的なものだからだ。東京在住もニューヨーク在住には、東大卒もハーバード大学卒や清華大学卒には、年収1500万も年収1600万には、年収1億円も資産運用益で暮らしている人には、劣位に感じるかもしれない。居住エリア、学歴、お金といったラベルの優劣ゲームというのはとどのつまり、相対的な話でしかない。上には上がいるし、下には下がいる。自身の現在地がどこかとは独立して、自身を鶏口と置くか、牛後と置くか。
大学受験や就活、出世や婚活などの、自身のラベルを上昇させるために努力することや、獲得したラベルに誇りを持つことは素敵なことだなと思うし、目標を決め、腹を括って努力をしたという点でリスペクトも持つ。
一方で、自身の幸福感の根拠やアイデンティティをそれらラベルに据えることは危険だし、望ましくないだろう。なぜなら、この相対的なゲームでは、イーロンマスクしか幸せになれないからだ。都内高級タワマンに住むこと、商社マンであることを、自身の幸福の根拠にしている人は、イーロンマスクより不幸せという構造に閉じ込められる。
ホテルに向かう道なりに、行きたいなと感じていたバーがあった。この旅の夜の数に対して、行きたいところが溢れていたので、日没前だったが伺うことにした。雑居ビルの二階。入るとトラディショナルなバーだった。
他にお客さんはおらず、ピークタイム前に準備している様子の店員が2名いた。一方は年下で、もう一方は同い年くらいだった。ジンソーダを注文して飲んでいると、空が鳴った。最近荒れてますね、と同い年の店員が声かけてくれた。東京から来たことを伝えつつ、返す刀で出身地を聞くと金沢だった。金沢で修行したのちこちらにきたこと、金沢の同業者のお店は、最近の嵐で床下浸水したことを聞いた。金沢に思い巡らすと、例のお茶漬け屋を含め、観光名所は一通り周り済だったが、好きなバーはまだないなとふと感じた。名刺をいただき、また来ますと言い、後にした。2日目夜にも伺った。
ホテルに着いた。新しめのビジネスホテルで、都内の系列店よりも大きかった。エントランスには傘を複数持ち、立つ従業員がいた。気がつかなかったが、小雨が降っていた。
エントランスでチェックインを終え、隣にあるラウンジカフェに目をやる。20、21歳くらいの女性が2人アフタヌーンティーを写真に撮る姿と、パソコンを開いたアラサー4人が打合せをしている姿が目に入る。そういえば、ホテル併設のレストランやバーに行ったことないな、と思った。
部屋は確か9階だったと思う。空室の関係で、グレードアップした部屋を見る。宿は35平米あたりを超えると、一気に贅沢な気持ちになって嬉しい。今後年齢や所得が増えれば、この閾値が増加することがあるのだろうか。確かに、アメニティの質や量に対して、この閾値はあがってしまってるなとその場で感じた。老化だろうか、成熟だろうか。少しして、外に出た。エントランスのラウンジカフェには、まだ二組ともいた。
ホテルは伏見と栄の間で、栄に行ってみることにした。あてはなかった。事前にーーといっても行きの新幹線内でだがーー検討をつけていたのはバーいくつかと、徳川美術館だけだった。正直ご飯は何でもよく、とにかく歩きたかった。名古屋近辺を体で理解したかった。そのため音楽を聞かずに歩いた。踊り場とDCガレージはお預けとなった。
ホテルを出て最初に感じたのは、同系色の街並みを持つ範囲が、東京と比べて狭いということだった(※)。伏見付近は東京でいうところの溜池山王や品川のような雰囲気で、オフィスビルに挟まれつつ、ミキモトの路面店があるようなところだった。1kmも歩かないうちに様相を異にし、テナントの看板がみちみちに埋まった雑居ビルだらけの街になった。そこが、栄だった。
栄で夕食をし、栄本町のバーに行った。バーで隣だった人といくつか会話した。そこでも(※)を感じた。栄駅から1、2駅の場所に職場がある人だったが、栄で飲むことはほとんどないらしい。学芸大学に職場と家がある人が、渋谷で飲むことがほとんどない、といったところだろうか。表参道に職場と家がある人が、中目黒で飲むことがほとんどない、と考えれば、まだあるのかもしれない。
伏見のそれはオーセンティックなバーだが、栄本町のバーは一匹狼が一国一城の主をしているようなところで、愛想がないタイプの店員だった。そのようなお店は、こちらの状況によって、心地よく思うときも、そう思えないときもあるものだが、その夜は後者だった。早めに出たが、その時点で23:00頃だった。ホテルに戻るか少し悩んだ。
1日目夜①ーー黒夢と千鳥
余談だが、僕はヴィジュアル系バンド(以下、V系)が好きだ。名古屋といえば、V系バンドの名所である。V系の下位項目として名古屋系というものがあるくらいだ。お笑いといえば大阪、V系といえば名古屋のような存在。90年代で言えば黒夢であり、今で言えばlynch.だろうか。
V系好きが集まるバーがあると聞いていたので、ネットで調べ、そのうちの一つに向かった。平日深夜であったからか、自分一人だった。店員さんと二人で会話できた。自身もバンドをやっている方で、いろんな話を聞けた。90年代には名古屋系四天王とされるバンドがあった。V系バンドのファンでない方にも知られているのは黒夢くらいで、当時から頭一つ抜けていたのかと聞いてみたが、そのような印象はなかったとのことだった。他にも、DIR EN GREYがここまで大きくなるとは当時思われていなかった気がする、とも聞いた。
ここで、千鳥のことを考えた。ポストダウンタウンとされる芸人コンビの一組。僕が彼らを初めて知ったのは、2005年のM-1だった。ブラックマヨネーズが優勝し、チュートリアルが脚光を浴びたその年に、敗者復活戦で勝ち上がってきた千鳥は、最下位となり、審査員に「敗者復活戦の疲れを感じるね」というようなことを言われていた。その後もM-1では最下位を取り、東京進出後もなかなか上手く言っているとは言いがたかった。ノブは小池ノブという名前だった。今をときめく鬼越トマホークの喧嘩芸初お披露目となったバラエティ番組の企画でも、東京にハマれていないことをいじられていた。奇しくもその時は「東京大阪名古屋で活動しろ」と言われていた。ちなみに、2005年のネタ「幕末ごっこ」は千鳥のネタのなかでも好きなネタの一つだ。
2005年時点でもいいし、今から5年前でもいいが、千鳥の現在の立ち位置を誰か予想できたであろうか。少なくとも僕にはできなかった。もちろん人気も面白さもある芸人とは認識していたが、あくまでone of themとしてしか見れていなかった。
上述の鬼越トマホークの喧嘩芸初お披露目の企画では、ジャンポケやさらば、ジャルジャルと肩を並べるゲストの一組だった。司会は、千原ジュニア、小藪、フットボールアワー。それが今やどうだろうか。二人のキャラは個別に立ち、ゴールデンからabemaまで、MCからひな壇まで縦横無尽に活躍し、酒にタバコに浮気をかましても、人気が落ちることはないゾーンにいる。
アーティストの世界でも、芸人の世界でも、特殊な職業だからといえばそれまでだが、いつしか脚光を浴びることも、その逆もある。それを天運とみなすか、努力とみなすかは人それぞれだが、線形につながる人生すごろくを考えてしまいがちな人にとっては、救いに写るのではないだろうか。もちろん本人の継続が前提であるが。
1日目夜②ーー名古屋身体知計画
閑話休題。店を出たあと、ホテルまで歩いた。栄や栄本町は、三越等があることで一抹の銀座を残しつつも、その大半は新宿のような街だった。大通りに高層階建てのドンキがあった。午前一時でもお馴染みのネオンがあかるい。その側を、接客業の、煌びやかでありつつもあどけない女性が歩く。彼女らは、大学生であろう集団の横を過ぎる。日によって、時間帯によっては、互いに逆の役割を担っているかもしれない。ちなみに名古屋には、トー横キッズならぬドン横キッズが存在するらしい。
こちらに着いてからずっと思っていたことを改めて思う。道にゲレンデヴァーゲンがない。ボルボ90がない。レクサスもない。ポルシェもない。あっても1,2台で、渋谷区や港区のように全員が持っているような錯覚も覚えない。しかし。それでも同じようにアルファードは沢山あった。
スーツ姿の若手リーマン複数人が、床で眠る金髪網タイツの女性を置いて帰るか会話してる。同伴か、見送りの方かはわからないが、男は建前を守りがち、というやつだろうか。
錦に来た。ほんのわずかに栄本町より見劣りする。平均年齢が5-10歳上がったようで、足立区や板橋区の繁華街を感じた。東京卍リベンジャーズのようなキャッチや、東南アジア系の女性に声をかけられる。タクシーが繁華街内の細い道を縦横無尽に通る。これもどこも変わらない。
錦から南下。大通りに出る。東山線に沿って、その上部を歩く。富山にも京都にも松本にも見た景色。車線が多く、ビルが立ち並ぶ。シンプルにビル街か。
もうすぐ伏見。早くも伏見への帰巣本能があった。ヤマハがあり、ミキモトがあり、ヒルトン名古屋があり、スタバがある。名古屋市街はとにかく平地だな、と感じた。錦通桑名町交差点通過した時点で、もう何もなかった。
ホテルに着き、寝た。
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