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自らを彫刻していく

絵をみるとき、彫刻をみるとき、うつわをみるとき。作者の生涯や、当時の芸術的なトレンド、政治経済的な世情について知ろうとすることは、一つの知的な娯楽だろう。展示に行き、掲示されている説明文を読み、時系列・テーマ別に陳列された作者の作品を見つつ、合わせてその作品自体への鑑賞方法も学ぶ。帰ったのち、解説書やサイトを読み、より大きなフレームの中で、その日見た作品を配置しようとつとめる。

これらの座学的な取り組みによって、知識をつけ好奇心が満たされるとともに、同じ領域の作品に対峙したとき、それまで以上の解像度で見ることができるようになる。知的興奮というのは、その一つが世界の解像度が上がることへの歓びであり、その結果、ぼやけていたその世界に焦点があっていく。サン=ラザール駅を見て、モネを知り、印象派を知り、フォービズムを知ることで、マティスを見たいと思う。知識習得の最善策は、一つの具体事物から始めて、演繹と帰納を繰り返すことだ。和紙に墨が染みて広がっていくように、知識が体に浸透していく。

一方で、別の話をしたい。大学生だったころ、フランス語の授業で現代芸術の講義を聴いた。それはフランス語のスキルを高めようとするものではなく、基礎的なフランス語をもとに、フランス文化を知ろうとするものだった。フランス国籍の人文科学者の授業で、授業内容の仔細は忘れてしまったが、一つ覚えている授業がある。ボルタンスキーのNo Man’s Landという作品をプロジェクターにうつした。それを見て生徒へ感想を求めていく。

芸術について詳しくないが、と前置きして発言しようとする学生に対して、教授が遮る。知識はいらない。どう思うかから始めよう。C'est Bon ou Mauvais? なぜそう思うのか? みんなで考えていこう。 確かそのようなことを言っていた。

翻って。散文や詩を読むとき、感銘を受けた言葉選びや言い回しに印をつけているののだけれど、一度読んだ本をふたたび読みなおすとき、いいなと思う表現は大抵過去の自分が印をつけている。もう何年も前なのに、過去の時分からアップデートがないような気もして一抹の虚しさも覚えるものの、自分はやはりこのようなものを歓ぶのだと、自身の審美眼への理解を上塗りされるかたちで強化することができる。

絵を見るときも、散文を読むときも、あるときから、芸術に触れる際はその作品への知識をつけるのではなく、その作品に対峙した自分がどのように感じるかに意識が向くようになった。自身の審美眼を言葉で彫刻する営み。何がいいのか、それはなぜか、何に似ているのか、自分は何に心がどうしようもなく惹かれ、時に涙を流してしまうのか。鑑賞を通して、自らを逆照射する試みを実践するようになった。

数年おきに、芸術、こと文学に傾倒したくなる時期がくる。今がそれである。新しい作家を知ろうと四方に手を出すものの、いいなと思うのは、かつてかすってきた作品ばかりである。それらの作品や作家を読んでも調べてもいないのだが、過去に好んで漁っていた作家や作品を調べているときに、それらに影響を与えたものとして、逆に、影響を受けて発展したものとして、耳目にしたものばかりである。かつて福永武彦を好み、そのまま中村真一郎や堀辰雄に流れる。東大仏文卒、マチネポエティークの人々。中村真一郎は中華思想も扱っているのだなと気に留めていた。そして今、全く別の文脈で、たまたま手にした中村真一郎による江戸漢詩の手引書を皮切りに、上田秋成、荻生徂徠を読もうとしている。

江戸漢詩 (古典を読む (20)) - 中村真一郎

三島由紀夫や吉行淳之介の作品に、よろめきや赤く濡れる心情を美しく感じていた時期もあった。何もかもが異なる二人で、併記するのが全く気持ち悪いが、ともに幼い頃から漢語の手ほどきを受けており、また自然を扱い散文や漢詩を書いていたと記憶している。なるほど純文学執筆の足腰は、昭和になっても漢文にあるのだなと思った。そして今、江戸漢詩の自然を扱った物を読んでいる。そこで空谷に友が来るという一節を見る。好きな曲の名であった空谷の跫音の意味を知る。

0551夜 『原色の街・驟雨』 吉行淳之介 − 松岡正剛の千夜千冊

そうして思う。芸術体験というものは、自らの審美眼を中心に、それを周回する形で、彫刻し、言語化していくことなのかもしれないと。ある作品を見、自らが何に歓ぶかを理解する。審美眼の一側面を言語化する。言語化されたそれを起点に、好みの芸術を重ねて観る。好みの芸術から派生して、趣異なる作品にふれ、取捨選択を重ねる中で、再び琴線に触れる作品に出会う。そうしてまた審美眼の一側面を理解する。その繰り返しで自らを穿ち、まわる経験が芸術の楽しみ方ではないかと。


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