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現代文が苦手な受験生必見!国語力の根源とは?

これから私が紹介する""は、国語力の根源の一つであることは間違いないですが、国語力の根源がこの力一つだけなのかは分かりません。私がこれから説明する力をあなたが習得しても現代文が不得意なままならば、それは国語力の根源がこの力の他にもあることを意味します。その場合は、是非筆者に一報ください。ですが、一報くださろうがくださらなからろうが、私は他の国語力の根源を説明することができません。なぜなら、その力は私がすでに無意識に持っている力であり、意識することが大変困難だからです。

国語力の根源とは?

国語力の根源とは、抽象的に説明すると以下のようなものです。

文を字面だけ読む力 = 精読力

今はこの説明が分からなくても構いません。獲得して初めて分かる力です。一緒に習得していきましょう。

精読力を理解しよう

まずは以下の例文を読んでください。

親が私にりんごを切ってくれた。私はそれを受け取り、机に置いた。

何の変哲もない、簡単な文です。簡単なほうが精読力の何たるかが分かりやすいのです。これから、精読力のない人の解釈と精読力のある人の解釈をお見せしていきます。

▷ 精読力のない人の解釈

精読力のない人は、例文を読んでこう解釈します。

私の親が、私のために、キッチンでまん丸くて赤いりんごを包丁とまな板を使って食べやすい大きさに切り、皿に盛りつけた。その皿を親は私に差し出し、私は親からそれを受け取り、キッチンの近くにある机に置いた。

これは極端にすごく詳しく書いたので、ここまで事細かに妄想する人はいませんが、精読力のない人はこのような傾向の解釈をします。では、精読力のある人はどのような解釈をするのでしょうか。

▷ 精読力のある人の解釈

精読力のある人は、例文を読んでこう解釈します。長くなるので、一文ずつ行きます。

親が私にりんごを切ってくれた。

「親」は、日本語の慣習的に「私の」を省く傾向があるので、「私の親」を意味しているのだろう。
「りんご」は、赤いりんごかもしれないし、青いりんごかもしれないが、未熟なりんごや腐ったりんごはまずありえない。また、形も丸いのが大抵だが、もしかしたらすでに半分に切られたりんごかもしれない。
「切ってくれた」は、恐らくは包丁とまな板で切ったのだろうが、そうとも限らない。カット器かもしれないし、キャンプ用のナイフを使い手の平の上で切ったのかもしれない。万が一日本刀でも文句は言えない。明記されていないからだ。また、切った後の大きさも食べやすい大きさとは限らない。嫌がらせで丸いりんごを真っ二つに切っただけかもしれない。これも書いていないので何とも言えない。

私はそれを受け取り、机に置いた。

「私は」切ったりんご「を受け取」ったわけだが、皿に盛られているとは限らない。また、手渡しとも限らない。もしかしたらぶん投げたかもしれないし、郵送かもしれない。
「机に置いた」は、まあ切ったりんごを机に置いただけ。でも手を使っておいたとは限らないし、この机がどこにあるかも不明。日本でりんごを受け取ってブラジル、いや火星の机に置いたこともありえる。

はい、長い文章お疲れさまでした。「精読力のある人のほうがよっぽど狂ってる」と感じたのではないでしょうか。確かにその通りです。しかし、これが精読力のある読み方になります。では、精読力のない人の解釈のどこが悪いのか、解説してきます。

▷ 精読力のない人の解釈の添削

精読力のない人の解釈における「根拠のない想像」の部分、つまり精読力のある人の解釈と異なる部分を、太字でマーキングしてみます。

私の親が、私のために、キッチンでまん丸くて赤いりんごを包丁とまな板を使って食べやすい大きさに切り、皿に盛りつけたその皿を親は私に差し出し、私は親からそれを受け取り、キッチンの近くにある机に置いた。

根拠のない想像」の部分、つまり太字部分を削ると、

私の親が、私のために、りんごを切った。私は親からそれを受け取り、机に置いた。

となり、日本語の慣習で省略可能なところを除くと、

親が私にりんごを切ってくれた。私はそれを受け取り、机に置いた。

となります。なんと元の文に戻ってしまいます。つまり、精読力のある人は「文を字面だけ読んでいる」のです。精読力のない人は、「根拠のない想像をしていて、さらにその想像に根拠がないことを分かっていない」のです。

これからは、自分が文を読んで思ったことに対して根拠があるかないかを逐一考えて、精読力を身に着けていってくださいね。

精読力まとめ

もう一度言うと、精読力とは、

文を字面だけ読む力

です。

精読力のない人は、文の字面に書いてないことまで「当然こうだろう」と想像し、しかも精読力のない人は「文の字面に書いてあること」と「文の字面から想像したこと」をごちゃごちゃにし、分けて捉えることが出来ません。

一方、精読力のある人は、そのようなごちゃごちゃにはならず、きっぱりと「文の字面に書いてあること」と「文の字面から想像したこと」を分けて捉えることが出来る人です。

例文のような簡潔な文ならまだ分かりやすいですが、大学入試現代文や市販の本レベルになってくると、精読がとても難しくなります。しかし、これは鍛えられる力ですので、精読力のない人はここで覚えて帰っていただき、鍛えていってください。

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