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ハルヒ坂というもの(若き時代の話)

写真は涼宮ハルヒの聖地 西宮から臨める大阪の夜景です。

みなさんは人生を振り返ることがありますでしょうか。

「孤独な時間の増加により過去を振り返る時間も増える」と「アルジャーノンに花束を」の一節にもあるように流行り病による自粛時間で自分に向き合いすぎた方々もいらっしゃるのではないでしょうか。私もその一人です。

思い出すのは高校時代に友人と汗を流しながらプールに行った思い出、海外旅行でタイで英語が通じずみんなで苦労したこと、大学傍の大衆食堂でいつものうま煮定食を食べたとき、大学院で装置が不調でみんなで徹夜したこと、満月の夜に映画館から感想を言い合いながら帰ったこと、みんなで飲んで終電で帰ったこと。

その時何でもなかった思い出ばかりです。そしてそれらは場所や友人等の制約条件からもう二度と再現することが難しい思い出達です。嫌ではないけど楽しいというよりはごくごく日々の日常の一欠片達でした。みなさんはいかがでしょうか。

思い出は一種の掛け算だと思います。感情の起伏×繰り返した回数×再現不可能性だと思います。楽しい、美味しい、でもちょっと辛い思い出は1回で刷り込まれます。しかしながら、美味しい、次の授業嫌だな..のような大衆食堂の場合は感情の起伏が少なくとも繰り返した回数が途方もないので美しい思い出になったのでしょう。再現不可能性というのは残念ながら友人が遠方にいる等して集まるのが難しい場合のことです。

ところで通学路はどうでしょうか。私は実はそこまで通学や通勤が苦ではありませんでした。通学には「感情の起伏×繰り返した回数×再現不可能性」がバランス良く散りばめられていると思います。 

感情の起伏は色々あるでしょう。始業前は嫌だなとか楽しみだなとかやれやれ(キョン風)のように色々なことを考えると思います。そこに通学路に含まれているランドマーク(夜景、いつもあるマック等)があれば更に感情の起伏は多様性を増します。繰り返した回数ですがこれはほぼ毎日です。再現不可能性については制服を着て誰かと話したり学校に行くってことがそもそも出来ないわけです。

黒板の字が汚い物理の授業や黒板前でたまに解かないといけない数学の授業、お弁当を食べる時間等は誰でも思い出すかもしれません。しかしながら通学を思い返す人はあまり多くないかもしれません。暑いし長いし満員電車...等でしょうか。

さっき思い出は掛け算だと申し上げました。この掛け算は思い出の保持力や持続性に比例していると私は考えています。思い出に舌鼓を打つ場合、必ずしも定量性よりも美しさや誘目性等定性的なところばかりに目が行きがちです。しかしながら、この掛け算の例を考えてみると毎日仕方なく行ってきた日課等も実は思い出が潜んでいるのかなと思います。唐突に買って週1で水やりしていたサボテンや毎日握っていたスマートフォン等。ハルヒ坂を登って登校するという行動は毎日行ってきた日課を象徴していると思います。アニメはそこから始まります。日課に起因する思い出は...思い出して何とも言えない気持ちになるかもしれません。そして、噛めば噛むほど味が出て胸が苦しくなるかもしれません。でも、そんなときは現在進行系で思い出を作っているんだと心を火打ち石にして自分自身に語りかけるしかありません。

キョンの「やれやれまたハルヒに振り回されるのか」と口ずさみながら坂道を登る通学風景は物語にとって重要な役割を果たしています。私達も同じではないでしょうか。なんでもない通学や日常にこそ思い出や幸せが隠れているのではというアニメからのメッセージだと私は捉えています。





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