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普通であることの勇気

普通であることも特別であることも簡単なことではないように思う。公の中で特別であることが容易ではないことは想像がつきやすいが、なぜ普通であることも簡単ではないのか?

それは優位性や承認されたいという本能が備わっていることにある。小さい頃にヒーローやアニメの主人公に憧れたことがある人は多いのではないだろうか。主人公たちはもれなく特異な優位性を持ち合わせていて、それを見て幼い私たちは本能を刺激され、自分もあんな風になりたいと擬似体験をして遊ぶのは本能のままの行動で、ある意味自分に素直に生きている証拠とも言える。

しかし、大きくなるにつれてその憧れを叶える可能性が低いことに気がつき始め、いつしか集団生活に馴染むことの必要性に意識がシフトしていく。


普通であることを認める

投げやりや諦めからではなく、前向きな意味で認められるって実は凄いことだ。なぜなら先ほど出た優位性や承認されたいという気持ちも受け入れた上で普通である自分を認められているからだ。

一般的には「特別な存在になりたい」「自分は何者かであるはず、あるべき」という本能が駆り立てられ目指しがちだが、目的地もなくいたずらに追いかけても疲弊していくだけだ。

そもそも普通の何がいけないのか?私たちは普通でも特別でもあるのだと思う。特別でありたいことにばかり目を向けると疲れるので普通であることをきちんと受け入れてあげる。普通でいいのだと。

自分の本質にしたがって、キャパを超えない。そのためにはその本質とキャパを見極める必要があるのだけど、それはきっと認めたくないだけで自分で気付いているはず。それを受け入れることは勇気のいることでもあるけど、その先に満たされた自分が待っているのだと思う。

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