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命と食と写真と言葉。

共通のお友達が働くお店のイベントに、友達が誘ってくれて参加して、
なんかいろんな衝撃と感情の交差で、夜も寝れず思い返して考えていたら涙が流れてきて。

そして言葉にまとまりもしないけど、自分の中で感情を落とし込む練習のためにとりあえず書き留めておきたい。

何のイベントか

「Common」というカフェバーで開催されていたフォトグラファーの表萌々花さんの写真展「たむけ」の最終日のClosing Reception。

色んな意味で衝撃的で本当に行けてよかったなぁと。
(誘ってくれた、なおに感謝)

萌々花さんの自分の目で見て感じて表現して届けることへの全力さと度胸と、ふうとをはじめとするスタッフの皆様の愛と熱に溢れる会場。

そして相変わらずふーとの話術と人々を巻き込み引きつける人間力も素晴らしすぎて。

写真展の写真とジビエ料理たち

カフェに展示されていた写真は全て萌々花さんが猟師さんの狩りに密着してその姿を写真に収めたもの。
その狩りの最中、萌々花さんの目の前で猟師さんが鹿を仕留めたが、もう1匹を自分で仕留めることになったという。
実際に自分でしとめる際の気持ちと様子の描写がリアルで繊細で鹿が息を引き取るまでの様子が頭に浮かぶ。

そして会場で提供されたジビエ料理は、猟師さんから提供してもらったという鹿肉を、カフェバーCommonさんの皆さんが心を込めて作った料理。

ミントとお花の香りとお肉のコンビネーションが芸術的で、草原の鹿の風景が頭に浮ぶ。

実際に会場で私が頂いたタコス

実際にその場で同じような経験をしない限り私たちには萌々花さんが経験し背負って学んだことを100%理解することは絶対できない。
でも、会場にいた私たちは萌々花さんの表現と言葉とスタッフの皆さんとのハーモニーを通して最低限何か新しい感情を得て大事なことを考えることができたと思う。

"これまでも自らの手を汚していなかっただけで同じことをしていたんだ"
...
"その時初めて、死を生として受け入れることを経験として実感したのだと思えた"
https://instagram.com/fantasy_omote?igshid=YmMyMTA2M2Y=

繋がる命と「たむけ」

私たちが普段生きるために食べる食は全て、他の命を犠牲に頂いてるもの。
死から目を逸らし続けて得る食であってはいけないと私も思う。でも自分がもしその場にいたら自分の手で殺すことが出来るのだろうか。。

生きるための死との向き合い方

私自身大学時代に一緒にボランティアで働いていたスウェーデン人の友人がヴィーガンでいろんな話をしたことがターニングポイントになってて、今回の展示でも色々考えることがあって。

彼女は私にとって初めて話す一族全員ヴィーガンの家庭で育った人で、その会話をきっかけに色々調べるようになり私も生と死が繋がる命とその向き合い方に感じて少しずつ考えるようになってた。

そして他にもこれまでの人生、いろんな人たちといろんな話をする中で、死の場面から目を背ける社会の仕組みに加担する自分がお肉を頂く資格があるのかわからなくなってここ数年少しお肉を避けて食べてる量を減らしていたりもした。

ただそのおかげでお肉を食べる時に以前よりもその命について考えながら感謝して私の命につなげることができているように感じたりもする。

日本ではほとんどの人が簡単に最低限の食にありつける仕組みが整ってて、それは本当に素晴らしいことです。
でもその仕組みが過剰に回転すると死から受ける生への感謝や犠牲について考えることがなくなり、無駄な死を発生させ続けてしまっているのも事実です。
言葉だけで「感謝して食べる」というのは簡単だけど感情と行動が比例している人は少ない。

誰も完璧に正しくはなれないけど、世界中の食に簡単に行き着ける人たちが、今回の会場にいた方々のように、頂く命の背景について考え噛み締めながら食を頂けるようになったのならこの世の中はどう変わっていくのだろう。

感じて考えて表現すること

今回のイベントを作り私たちに届けて下さった皆様のお陰で、感情を捨てかけてた自分を見返して、感じて考え、共有しともに感じることの大切さを思い出せた気がする。

歌のパフォーマンスをしてくださっていたアーティストの方々も型にはまらず、自分の形で自分の見る世界を表現しているからこそありのままの姿で会場を巻き込む姿に魅了されました。

素敵な歌声に包まれる会場


落ち着いた穏やかな時間のようで、刺激の溢れ、感情の交差する有意義な時間と空間。

きっとこれからも一生忘れないであろう夜になりました。

そして帰り道ら雪がちらつき神秘的な東京でした。

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