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わたしに影響を与えた言葉たち ― わたしの転機をふりかえる #1

この連載では、私自身のライフキャリアストーリー(=人生の物語)を少しずつ綴っていきます。

「書くことを仕事にしたら?」

私は幼いころから書くことが好きな子どもでした。

小学生のころは、友だちと交換日記や手紙のやりとりをするのが好きでした。交換日記はいつも私のページだけ文字でぎっしりでした。

単に日記を書くだけでは飽き足らず、頼まれてもいないのにファンタジーの連載をはじめたり、雑誌「ムー」に出てきそうな都市伝説ネタを自分で作り上げたり。いま考えると、結構はちゃめちゃなことを書いていたと思います。さらに挿絵を書いたり文字の色を変えたり、かなりの凝りようでした。

ほかにもオリジナルの絵本やマンガを描いて親や友達に見せたり、頼まれてもいないのに歌を作って友達にプレゼントしたり……。当時まわりにいてくれた友達からすると、結構迷惑なこともあったかもしれません(これを書きながら、今さら反省してきました。みんな付き合ってくれて本当にありがとうございました)。

月日は経ち、高校の入学式でのこと。
新入生代表として、答辞を読むことになりました。もともと私が読む予定ではなかったそうですが、いくつかの事情が重なり、最終的に私のところに話が来ました。

これがいきなりの指名だったら、さすがに多少プレッシャーを感じただろうと思います。しかし「誰かの代理」であるということが私の心を軽くしました。「代理なんだから好きにやればいいか」と、深く考えもせず、思い浮かんだままを原稿用紙に書きつらねてみました。

大人になった今なら、間違いなくネットで文例集などを参照しながら書きます。でも当時の私にはなぜかそういう発想すらありませんでした。そんな当時の自分を振り返ると冷や汗が出る思いですが、自由に書かせてくださった先生方の懐の深さにも、あらためて感謝の思いが湧いてきます。

そうして完成した答辞の内容は、あいにくほぼ覚えていません。しかし、わりと型破りな内容だったのは間違いないと思います。

プレッシャーをあまり感じなかったもうひとつの理由として、「きっとすぐに忘れ去られるだろう」と思っていたこともあります。とくに新入生はみんな緊張しているだろうし、答辞の内容どころではないはず……。そんなふうに高を括っていたところもあります。

しかし、その予想は裏切られることになりました。入学式の後、私の答辞に対し、予想に反して多くの反響をいただきました。しかも意外にもポジティブな感想がほとんどで、「多少お叱りを受けるかもしれない」ぐらいに思っていただけに驚いてしまいました。もちろん純粋な称賛というよりは、優しさからそのような言葉をかけてくださった方が大半だったと思います。いずれにしても、なにがしかの反響をいただいたことが心に残りました。

それからしばらく経ったある日。
同じクラスの友達とたわいもない話をしていたとき、彼女が私にこんな言葉をかけてくれました。

「あの答辞、すごくよかったよ。書くことを仕事にしたら?」

誰かからそんなふうに言われたのははじめてのことでした。若かった私はその言葉を真に受け、いつしか言葉に関わる仕事につくことを夢見るようになりました。

「慎重になったほうがいいよ」

そうして大学では文学部に進みました。当時はとくにジャーナリズムに関心を持ち、報道研究会に入部を希望していました。

そんなとき、ある人からこんな言葉をかけられました。

「公に対してなにかを発信するときは、慎重になったほうがいいよ」

この言葉を聞いて、私ははっと冷静になりました。

― 確かに、いまの自分になにかを公に発言できるような見識が備わっているだろうか?
― 自分に本当にそんな覚悟があるだろうか?
― そもそも今の自分の文章は、人目にふれる価値があるものだろうか?

答えはいずれもNOだと思いました。

そうして報道研究会への入部は見送りました。そしてその後の就職活動でも、新聞や出版など活字系の業界は一切避けて通りました。

つぎの投稿では、私のキャリアにとって大きな転機となった二度の失業について振り返ってみます。

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