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私が大学院に進むことを決めた理由 ―オンラインで海外大学院に行こう! マガジン #16

こんにちは。
岸 志帆莉です。

このマガジンでは、「オンラインで海外の大学院に行く」というテーマで定期的に情報をお届けしています。

これまでオンラインで海外の大学院に行くメリットや必要な英語力、費用面など、さまざまな角度からお伝えしてきました。

ここからは少し趣向を変えて、私自身の経験についてお話ししていきたいと思います。

今日は、そもそもなぜ私が大学院を目指そうと思ったかについて振り返ります。

二十代前半で経験した挫折 ―リーマン・ショック、二度の失業

最初のきっかけは新卒時代にさかのぼります。

大学を卒業後、小さな映像プロダクションに就職しました。しかし激務や長時間労働が重なり、半年ほどで体調を崩してしまいました。毎日なんとか仕事には行っていたのですが、二年目を迎えるタイミングで潮時と判断し、転職をしました。そこから波乱の日々がはじまりました。

新しい仕事がはじまって10日ほど経ったある日のこと。社長室に呼び出され、突然解雇を告げられました。理由ははっきりしませんでした。とにかくその日中に荷物をまとめ、出て行かなければならないということでした。あまりのことに呆然と立ち尽くしました。その日どうやって帰宅したか、記憶がありません。数日後、テレビのニュースでその会社が倒産したことを知りました。

しばらく路頭に迷った後、別の会社に拾われました。今度こそ長く働きたいという一心で懸命に働きました。しかしそこでの日々も長くは続きませんでした。前年に発生したリーマン・ショックの影響もあり、所属していた営業所の閉鎖が決定。入社から一年半というタイミングでふたたび職を失うことになりました。解雇を告げられた日、どうやって家まで帰り着いたかやっぱり覚えていません。とりあえず最後の仕事と片付けをするため、翌日会社へ行ったことだけは覚えています。

リーマン・ショックに二度の失業、過労による体調不良。これらを20代前半という若い時期に経験したことで、将来に強い危機感を覚えるようになりました。

そんなある日、スマートフォンの画面に現れた求人広告が目に留まりました。とある出版社の求人広告でした。思考が停止していて記憶にないのですが、応募ボタンを指で押していたようです。翌日その会社から連絡が来ました。そしてご縁あり、正社員として採用されました。

夢の出版業界での挫折

こうして思わぬ形で憧れの出版社での職を得ました。大好きな本に囲まれながら働く日々は夢のようでした。自分の身に起こった幸運が信じられませんでした。

しかし仕事を覚えるうちに、ある葛藤が芽生えてきました。学術出版社ということもあり、お客様の大半は教育関係者や研究者といった方々。それらの方々の細かい質問やニーズに対応するには、商品知識だけでなく教育に対する深い見識や経験が必要です。一方の私は出版はおろか、教育に関してもまったくの素人。歯が立ちませんでした。

悶々と過ごしていたある日。忘れもしない2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。私は東京のオフィスビルで震度5強の揺れを経験しました。都市機能が麻痺した東京の街を6時間かけて帰宅し、テレビをつけた瞬間目に飛び込んできた光景に衝撃を受けました。たった一日で世の中が様変わりしてしまう事実に愕然としました。

朝が来ればまた昨日までの暮らしの続きがはじまると信じて疑わずにいました。しかしそうではないのかもしれない、という思いが芽生えていきました。もう社会の荒波に翻弄される人生はこりごりだ。もっとしっかりと自分の足で社会を歩んでいくためにはどうすればいいんだろう。

悩んだ末にたどり着いたのが、学び直すという選択肢でした。確かな知識やスキルを身につければ社会から求められる人材になれるのではないかと考えました。もちろんそれだけが大事なことではないと今なら分かるのですが、当時の若い頭であれこれと考えて出した結論が学び直すということでした。

挫折を経て芽生えた教育への関心 

ふたたび学ぼうと思ったとき、胸をよぎったのが「教育」というテーマでした。

理由はいくつかありますが、ひとつは仕事上の自然な流れです。教育関連の書籍を扱っていたので、教育学の知識があれば仕事に直接生かせるだろうと考えました。

しかし教育に関心を抱いた理由はそれだけではありませんでした。もうひとつの理由は、当時の社会状況にありました。

当時、中東の各地でアラブの春と呼ばれる騒乱が起こっていました。多くの人々が国を追われ、難民となってヨーロッパへ移動する様子が日本でも連日報道されていました。

それらの報道を見ながら、私は複雑な思いにかられていました。難民として国を追われた人々と安全な日本に暮らす自分とでは、もちろん状況も立場もまったく異なります。ただ私のなかではどこか遠い世界の話とは思えずにいました。社会の混乱がきっかけで二度も生活の糧を失いかけた傷から、まだ立ち直りきれていなかったのかもしれません。悶々とした気持ちで日々を過ごしていました。

そんなある日、私にとって人生の転機とも呼べる出来事が起こりました。2013年7月12日、国連本部においてひとりの少女が渾身の演説をしました。パキスタン出身の人権活動家、マララ・ユスフザイさんです。

「一人の子ども、一人の教師、一冊の本、そして一冊のペンがあれば、世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です」。

その日に16歳の誕生日を迎えたばかりの少女とは思えない、華奢な体から絞り出される全力の訴えを聴き、27歳の私は強く心を打たれました。

― 教育こそがただ一つの解決策。

その言葉が心の中でこだましました。

教育こそがただ一つの解決策。
確かにそうかもしれない。

人が生きていくには、衣・食・住の三つが欠かせないといいます。しかしその三つが揃ったところで生きていくために十分と言えるでしょうか。むしろ混乱した社会のなかでは、それらを維持するとすら難しいことです。人々が衣食住を維持しつつ、安全で健康に生きていくためにはまだなにか他に必要なものがある。そう、学びの力こそが必要なのではないだろうか――。

人々には衣・食・住だけでなく「学」、つまり学びの力が必要だ。教育を学べば、社会に対してなにか自分にもできることが見つかるかもしれない。

教育について学ぼう。

こうして私の決心は固まりました。

次回はそこからオンラインで大学院に進むという選択肢にたどり着くまでを振り返ります。

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