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なぜこんなにも島旅に心惹かれるのか考えてみた


島旅が好きだ。

これまで国内外を問わず、様々な島を巡ってきた。
長期休暇が近づくたび、島に誘われて、ふらりと出かけたくなる。

印象に残っている島々がある。
東京の竹芝桟橋から片道24時間の船旅で行く、小笠原諸島の父島。
地球の裏側と言われるブラジルでさえ、乗り換え含めて25時間前後で辿りつけるらしい。まさに海外と同じくらい遠い「都内」だ。

朝11時に竹芝桟橋を出航し、船内で一晩を過ごした。翌朝デッキに出ると、南の生暖かい風がそよりと吹き抜けた。船の周りを飛び交うカツオドリの群れがコバルトブルーの海面に勢いよくダイブするのを見て、世界が変わったことを知った。

到着翌日、カヤックで一日かけて海に漕ぎ出した。ウミガメが海面あたりを漂っているのや、トビウオが水面にアーチをかけて飛ぶのを見た。夕方、湾に戻るころ、はるか水平線にクジラの親子がジャンプした。大きなクジラが勢いよく水面から飛び出し、雄大な体を水面にたたきつける。直後に、華奢な子クジラが水面から跳ね上がったかと思えば、音も無く水平線に吸い込まれる。何度か繰り返し、姿を消した。
親子でジャンプの練習でもしていたのだろうか。あるいはただの戯れか。
夕日が照らす水平線に浮かんでは消えた二頭のクジラの姿を、折に触れて思い出す。

翌日は野生のイルカを探しに、船で沖へ出かけた。
ジョージさんという欧米系島民のガイドが案内してくれた。欧米系島民とは、19世紀に小笠原へ移住した欧米人たちをルーツに持つ人々だ。
白い小型ボートで沖に出た。ほどなくして、イルカの群れが近づいていると知らされた。ジョージさんに促され、ザブンと海に飛び込んだ。真っ青の世界の中、水泡がきらめくその先に、三頭のイルカが姿を現した。大きい二頭のイルカに挟まれるようにして、赤ん坊のように小さなイルカが泳いでいる。親子だろうか。小さなイルカが近づいてきた。距離感が分からないのか、こちらの方へぐんぐん近づいてくる。このまま距離が近づくと、傷つけてしまいそうで恐ろしくなる。どうすれば良いかわからず、固まる。
すると、一頭の大きなイルカが私達の間に割って入った。子イルカは誘導されるように、親イルカの後を追って深い青の中へと消えていった。
残された私の耳元に、くぐもったような不思議な音が響いてきた。

「キュイ、キュイキュイ」

親イルカのお説教か、それとも私がからかわれたのか。
あの音の不思議なぬくもりを、今でも覚えている。

隠岐諸島では地元のお祭りに参加し、地元の人々としゃもじを持って踊った。
中ノ島(海士町)の夏の風物詩、キンニャモニャ祭り。しゃもじを両手に持ち、土地に古くから伝わる民謡「キンニャモニャ」を踊る陽気なお祭りだ。盆踊りのように輪になり、しゃもじを打ち鳴らしたり、股にくぐらせたりしながら全身で踊る。実際に踊ってみると、案外複雑なうえに動きも早い。最初は少し戸惑ったが、地元の方々に混じって見よう見まねで踊るうちにすっかり覚えてしまった。

祭りの後は、観光客にもかかわらず地元のくじ引き会に参加させてもらった。あろうことか当選してしまい、和風だしパックを景品で頂いた。申し訳ない気持ちになったが、住民の皆さんは気にも留めていないようだった。「何が当たったの?」なんて気軽に声をかけてくださった上に、飲み物までご馳走になった。まるで地元の町内会に参加しているような、くだけた雰囲気に心が和んだ。

瀬戸内海のしまなみ街道は壮観だった。
白濁化した独特のエメラルドブルーの海に、島々がふかみどり色の濃淡をつける。島々の間を縫うようにして、外航船やボートが行き交う。
その多島美は、ギリシャの風景と重なった。

ギリシャといえば、エーゲ海に浮かぶとある島にひと月ほど滞在したことがある。大学最後の春休みだった。島に拠点を置く動物保護センターでボランティアをしながら、ヨーロッパ中から来たボランティア仲間たちと気ままに日々を過ごした。
毎朝ポニーに餌をやるのが私の役割だった。ポニーは、島中に生えている黄色い小花を好んで食べる。その黄色い小花を毎朝カマで刈り取りにいき、ポニーの小屋の前にどっさりと置いてやる。すると、実においしそうにその小花を何時間でも食む。

島の中央には500メートルくらいの高さの山がそびえていた。山頂には小さな無人の教会があった。
ある日、仲間達とその教会を目指そうということになった。一晩を過ごす前提で、簡単な荷造りをした。午後の仕事が終わったあと、皆で宿舎を後にした。ヨガマットやガスバーナーなど、思い思いのアイテムをぶら下げて一路山頂を目指した。岩をかき分け、山肌をよじ登り、2時間ほど歩いてようやく山頂に着いた。

目指した教会は、間近で見るとあまりに小さな建物だった。
ギリシャ風の木造小屋の壁は青く塗られていた。屋根のてっぺんには十字架が掲げられていた。中に入ると、四畳半ほどの室内の正面に、ギリシャ正教の祭壇がおごそかに鎮座していた。四方の壁には、キリスト像をたたえたイコンがぎっしりと隙間なく貼りつけられていた。何百年も時が止まっているかのようだった。一方で、埃もなく掃き清められた室内の様子に、脈々と受け継がれる人々の信仰の深さを思った。

暮れ行くエーゲ海を山頂から見下ろした。
360度広がるオレンジ色の海に、ばらばらに散った真珠のように島影が浮かんだ。世界が薄い夕暮れ色に変わるころ、島々の明かりがぽつ、ぽつ、と灯っては消えはじめた。
当時ギリシャでは、政権不安によるストライキのため、全土で輪番停電を行っていた。街単位で10分程度の停電を持ち回しており、私達が滞在する島も例外ではなかった。
周囲でもひときわ標高が高いその山からは、島々全体が蛍のようにチカチカと点灯を繰り返すさまを一望することができた。
エーゲ海を舞台にしたその壮大な自然のイルミネーションを、ずっと見ていた。

早朝、仲間に起こされて外へ出た。まだ薄暗闇だった。
仲間が水平線のほうを指差した。海との境目のあたりがもやに包まれ、光を帯びはじめていた。
私たちは無言で水平線を凝視した。瞬間、水平線がカッときらめいた。光の筋を幾本も放ちながら、太陽が顔をのぞかせた。白金色の光はやがてエーゲ海全体を照らし、壮大なる一日の始まりを告げた。

なぜここまで島旅に惹かれるのだろうか。ふと考えた。

一つには、そのダイナミックな自然がある。
島は自然界の縮図だ。海がある。山や森に恵まれた島も多い。そこには独自の生態系が広がっている。カツオドリやアオウミガメなど、本州ではなかなかお目にかかれない生き物にも出会える。自然の雄大さを前に、人はちっぽけな存在となる。その感覚に陥りたくて、島を目指す。

また島には独自の文化が息づいている。まさに島のひとつひとつが文化のガラパゴスだ。隠岐諸島の中ノ島だけに受け継がれるキンニャモニャしかり、小笠原における欧米系島民との共存文化しかり。同じ日本だろうかと思うほどの、島ごとの文化の多様性に圧倒される。

さらに、島では時間が独特の流れ方をする。どうやらこれはところかまわず共通の現象らしい。
奄美大島や小笠原には「島時間」がある。沖縄には「うちなータイム」がある。太平洋のフィジーを訪れた際は、「ブラ・タイム」の洗礼をところどころで受けた。「ブラ」とはフィジー語のあいさつだ。転じてフィジー人そのものや、フィジー文化を形容する語として幅広く使われる。とにかくゆったりのんびり、焦らずいこうという彼らの精神性を表している。

正直この「島時間」については、綺麗事だけでは語れない部分もある。
沖縄のとある食事処では、一時間待っても食事が出て来なかった。結局そこはあきらめて他を当たった。路線バスの時間も、あってないようなものだ。行ってしまったはずのバスに、後から追いこされるなんてことは日常茶飯事だ。

苛立つ程度のことなら良いが、肝を冷やすこともある。
フィジーでは国内線がなかなか飛ばず、一週間の滞在予定が十日間に延びた。一週間きっちりしか有休を取っていなかった夫は、有休を三日間延長した。延泊分の宿はどうするかとか、宿代は誰が払うのかとか、いちいちやきもきした。

食事は来ない、飛行機は来ない、人も来ない。大抵のことが予定通りに進まない。それが島時間の一つの現実だ。

そんな不便を、しかし、忘れてしまう。
さらに言えば、時がマイナスな感情を水に流してくれたとき、そんな不便をまた恋しくすら思うようになる。

自然現象や時間といった超人的な存在に対し、本来人はなすすべもない。
予定通りに物事が進まなかったとしても、それで元々だ。
乗りたかったバスに乗れず、一時間経っても食事が運ばれて来なかったとき、苛立ちを覚える。
しかしその苛立ちの正体は何だろうか。
そう考えると、大抵のことはどうでも良いことに気付き、ゆるりと笑いが出る。

自然に身をゆだね、島時間に心をゆだね、さすらいたくなる。
そんな贅沢を叶えてくれるのが、島という場所だ。

国土交通省によると、日本には現在416の有人島があるという※。
まだまだ未踏破の島がたくさんある。いつか制覇するのが、今生の夢だ。
仮に、盆と年末の長期休暇と、さらにゴールデンウィークを総動員したとして、138年…………

道のりは長い。


※出典:
国土交通省(2019)平成30年度に離島の振興に関して講じた施策~離島振興対策分科会報告~ p.2. 第17回国土審議会離島振興対策分科会配布資料.

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