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「余人をもって代え難し」とアンコンシャス・バイアス(Unconscious Bias)

  「余人をもって代え難し」という理由で引き続きその職にある、総じてベテランと称される男性をいろんな局面で見てきました。セクハラ、パワハラ、不倫発覚、失言など。東京五輪組織委員会の森喜朗会長が、日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言した問題もその一つですが、いずれも組織が後進を育てることを怠ってきたからではないかなと思います。特に女性を、です。当初は発言撤回と謝罪でしのごうとし、国内外の世論に追い込まれた末の辞任劇は、物事の本質を見ておらず、似たようなことが繰り返されかねない、との疑念を禁じえません。かつて複数のメディアに在籍し、主に経済記者として多くの企業や組織を見てきた経験から、女性に対するアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を考えてみます。


① 「余人をもって代え難し」
  ある企業において、セクハラの常習犯とされる高学歴かつミドルクラスの既婚男性がいました。日中は普通の社会人ですが、酔うと見境なく女性にボディタッチをし、時には関係まで迫る。被害は社内外に及んでいました。たまりかねた後輩女性が社内告発、男性は懲戒処分を受け、数カ月の停職となります。その後は短期間で元の職場に。「仕事ができるので、余人をもって代え難し」という理由で、上司は被害を受けた社内の女性たちを集め、説得までして復帰させたのでした。黙って受け入れるしかなかった女性たち。そうこうしているうちセクハラの事実は社内でもうやむやにされていきます。
  この「事なかれ主義」は、この男性がこの企業には珍しい「国内最高学府の大学卒」という事情もあったのでしょう。かつ役員クラスに女性は皆無。上には従順な「愛い奴」を守ろうという男社会の仲間意識があったに違いありません。
  かつて所属したメディアでセクハラに関するヒアリングを社内の女性社員対象に求めたところ、発信元を伏せた匿名の情報がメールやFAXで多く寄せられました。セクハラ問題は声を上げにくく、それだけ根が深いのです。


② 「女性は感情的だからリーダーは出来ない」「登用したいがふさわしい女性がいない」
  私が記者として働き始めた1990年代初頭、女性記者比率はおそらく全体の数%だったかと(2020年で22.2%=日本新聞協会調べ)。珍しい、美人でもないけれどオジサンたちからみれば若い。なので新人が必ず通過する警察回りを始め、多くの取材先で可愛がってもらいました。社会部の警視庁記者クラブや政治部の総理番には、テレビ局があえて新人女性を送り込み、スクープを狙い、そこそこ成功した様子も垣間見ました。20-30歳代の女性記者たちには、私を含め「恐れるものはなかった」のかもしれません。
  それが次第に、もがいても這い上がれない「壁」を感じるようになったのは40歳代を超えたあたりでしょうか。新聞労連の調査によると、2019年4月現在で全国の新聞社38社の管理職比率は7.7%、役員では319人中、女性は10人。地方紙そして封建的なメディアほど管理職比率が低い傾向があるように思います。
  他の企業でも、同世代の女性たちが、余程うまく立ち回らなければ管理職になれない、男性の後輩に先を越される、といった実例を山ほど見てきました。よく聞いたのが「女性を登用したいが、ふさわしい人材がいない」といった男性管理職の声。「若い時に得したんだからプラスマイナスゼロ」と言った某官僚の言葉には妙に納得。妬まれていたんですね私たち。

③ 「子供をつくらない人は生産性がない」
  自民党の杉田水脈衆院議員が、LGBTカップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と月刊誌に寄稿して波紋を呼んだのは2018年夏でした。「結婚して子供を育てる家庭」が世間のスタンダードなのだな、と感じました。そして「アンコンシャス・バイアス」は既婚・子持ちの女性とおひとり様女性の間に厳然と存在する、「おひとり様」は損である、というのが私の実感です。
  真のダイバーシティは「おひとり様」の存在を許容することにあると思いますが、なかなか世間はそう見てくれません。有識者やコメンテーターとして活躍する女性の選考基準も「既婚で子持ちのワーキングマザー」という、暗黙の基準があるのではないでしょうか。米最高裁判事でRBGの愛称で知られたルース・ベイダー・ギンズバーグさんが、献身的な夫に支えられて子育てもこなし、リベラル派としての法曹人生を全うしたことがモデルなのかもしれません。でも女性の生き方はそんな理想ばかりではありません。

④ 「一人だから身軽でしょう」
 私はこれまで独身で来ました。結婚して子供を産みたくなかったわけでは決してなく、そういう決断をするかどうかの局面もありました。でも結果として仕事を優先したことになります。「一人だから身軽でしょう」とよく言われますが、金銭的にも精神的にも頼れる人がない中で、親の介護も自分が路頭に迷うことも心配です。なのにたくさんのしわ寄せがきます。
 支局時代には、既婚・子育て中の同僚の代わりに泊まり勤務をこなしました。体力的にきつい支局の数年間に「結婚、出産、育休取得をフル活用する」という、会社の福利厚生制度を最大限、利用する女性が当時は結構いたのです。元NHKの女性アナウンサーが7年間で4児を出産して育休取得を繰り返し、復帰しないまま退社したことが話題になりましたが、それに近い事情です。彼女たちが地方転勤を免除され、結果として東京でチャンスを得たこともあったでしょう。昨今コロナ禍で盛んな企業のリストラでは、独身女性が真っ先に標的になる、という局面も見聞きしました。「既婚で子持ちのワ―ママ」たちの中には、そうした見えにくい犠牲の上に自分たちの仕事が成り立っていると、気付いていない人が多いように思えてなりません。


⑤ 「会議は発言するために参加する」のではないケースもある
  東京五輪組織委員会・森会長の発言をめぐる問題は、むしろ女性が長くても会議での発言を許されている点で評価できる面があるようにも思います。会議は発言するために参加するもののはず。ですが根回しがすでに済み、その結果を追認するだけの会議というのも確かに存在します。その根回しの場が、男性陣が集う「タバコ部屋」だったりすることも少なくありません。タバコを吸わないが故に裏事情を知らない、空気を読めない女性層は相当数いるはすです。正にそうだった私は、とある会議で「呼ばれた以上は発言しなければ」と張り切って意見を述べ、なぜか場の空気が白けていたことに違和感を覚えました。終了後に上司から「君のような立場の者が発言する場ではない」と叱られます。結論は既に決まっていて、私の意見など全く期待されていなかったのです。形だけ女性を参加させたということだったのでしょう。情報は一部サークル内のもの、言われたことだけをやり、余計なことに関心を突っ込まない。それがサラリーマン社会を生き抜く秘訣なのかもしれません。

⑥ 「心理的安全性」が根幹に
 「心理的安全性」という言葉があります。他者の反応や自分自身のためらいを気にすることなく、チームの中で率直に意見を述べる環境を作ろうというもので、1999年にハーバード大学の教授が提唱、米グーグルが2015年に提言したことで認知度が高まりました。デジタル化でスピードの増した現代社会、生産性の高い仕事をこなすには、こうした雰囲気作りが必要で、ひいてはアンコンシャス・バイアス解消、ダイバーシティの実現につながってほしいと切に願います。



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