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「意味がないからやらない」じゃなく 「やらないから意味がない」

普段の生活の中で

「それは意味がある」

「それは意味がない」

という言葉を使う機会が結構、

あるのではないでしょうか?

もちろん、僕自身も使っています。

ただ、「意味がある」「意味がない」

という定義自体、難しい事だと思います。

【いつの間にか「先頭集団」】

意味があるかないかは

どこに主観を持つかにもよります。

僕は小さなイベントの企画から

ある程度、大人数を集めるイベントまで

今まで企画、開催してきました。

その数は100回は軽く超えているかと思います。

単純に楽しいからという理由がほとんどです。

当然、赤字の時もあります。

数か月、必死になって企画から

集客、当日の運営までして結果、赤字。

結構、悲しかったりします。

ただ、悲観的になる事はありません。

主催者というのは一番、大変です。

当たり前ですが、リスクも負います。

だから、やる人が少ないんです。

でも、大きなメリットもあります。

まず、人脈が格段に増えます。

何かあれば主催者の方に

話が来ますし、いろんな方が

挨拶に来てくれます。

主催したイベントに参加される方は

同じ価値観を持たれている方が

ほとんどです。そうじゃなかったら

そもそも参加しませんよね?

今もイベントを通して

知り合った方との交流は続いています。

加えて、毎回、経験を積んでいきます。

赤字でお金が減ったとしても、

「開催したという実績」と
 それに伴う「経験」は確実に一つ、
  積み上げる事が出来ます。

もし、利益だけが目的なら、

イベント主催は「意味がなかった」

やらなければ良かったとなるでしょう。

「実績」と「経験を積む」という側面で

見れば「大成功」です。

結局、その人がどう考えるかによっても
「意味」という定義が変わってくるかと思います。

何でもそうですが、

続けていくと横で走っていた人が

勝手に脱落していて

いつの間にか「先頭集団」

なっている事があります。

イベントを主催した事があるという方は

結構いますが、「100回を超える」となると

かなり数は減ってきます。

もちろん、もっと凄い方はいると

思いますが、上を見たらきりがない。

僕はラジオ番組をやっていますが、

6年以上経ちました。

週に1回、1時間の番組。

6年間、一度も番組を

空けた事はありません。

同じ時期に始めた方々は

「意味がない」と言って辞めていきました。

それが悪いと言っている訳では

ありません。

本当に「意味がない」と

感じた場合、他に有効な手段があると

判断した場合、辞めるという決断を

下す事も続ける事、以上に

大切な場合も多々あります。

年数だけで言えば

僕のラジオ番組も

いい感じで「先頭集団」に入ってきました。

今、noteを書いていますが、

今日で110日間、連続投稿です。

もちろん、これからもずっと続けます。

それもいずれ、「先頭集団」

食い込んでいくと思われます。

何かを続けていくと回りが

勝手に脱落していきます。

難しい事は出来ません。

誰でも出来る事を誰も出来ないくらい

続けていくだけです。

その先にしか大きなものを

達成する事は出来ないと思います。
(ん?イチローが言ってた?)

また、続ける事で

チャンスが訪れたり、

回りからの評価が変わってくる事が

あるから不思議です。

ただ、続けているだけなんですけどね。

ちなみに僕は毎朝、3時起き。

ブログも朝、書きます(朝?夜中?)

家族が起き出す6時頃までに

やっているルーティーンは

20個くらいあります。

もう、習慣なので全く苦にならないです。

やらない方が気持ち悪いくらいです。

朝は絶対に予定がずれません。

電話がかかってくる事も

急な予定が入る事もまず、ありません。

静かだし、頭も冴えている。

確実にその日にやりたい事、

やるべき事が出来るので

朝の時間を活用しています。

あと、ひねくれた考え方もあって、

皆が寝ている時に同じように

寝てどうするよ。

人と違う行動するから

人と違う結果が出るんでしょ?

という考えがどっかにあります。

「絶対今、皆寝てるはず」

と思い毎日、活動しているので

毎朝、勝手な「優越感」から
 スタートする事が出来ています。

この生活リズムは中学一年生から

始まりました。

たぶん、一生変わらないでしょうね。

【時間軸によっても変わる】

意味があるかないかは、

時間軸によっても変わってきます。

もの凄く後悔した事があったとしても

あとから振り返って見れば

やって良かったと思える事はたくさんあります。

意味があるかないを

その時点だけで判断する事は

出来ないという事になります。

人間の人生はたかだか、80年程。

マックス80年の経験しか積む事が出来ない。

これまでの長い歴史、

これから起こる未来というスケールで

考えれば、意味があるかないかを

100%判断できるはずがない。

そもそも、未来の事なんか

誰も分かりません。

「意味がないからやらない」じゃなく 
 「やらないから意味がない」とも
  言えるかと思います。

無駄な事は結局無駄じゃない。

一見、無駄だと思える事から

生まれる事もあります。

僕の尊敬する大学教授は

「無駄な事からしか新しいモノは生まれない」

が口癖です。

意味を持たせるかどうかは

自分次第って事ですね。

僕は20代前半から35歳くらいまで、

毎日のようにとにかく

遅くまでお酒を飲みまくっていました。
(どんなに飲んでも朝の活動はやってました)

お金もかなり使いました。

その時期に一生分のお酒を

飲んだと思っています。

だから今は何か予定がない限り

飲みには行きません。

家でもほとんど飲みません。

結婚したのが39歳だったので

結婚してから以前のように飲みまくっていたら

大変だったでしょうね。

逆で良かったとつくづく思います。

そう考えると、飲みまくっていた時期にも

「意味」があったのかなと思えてきます。

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新里哲也|沖縄プロデューサー
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