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凡人女子大生の半生記(前編)

こんばんは、コムギです。

金曜日が終わりましたね。

学生の皆さんも、社会人の皆さんも、それ以外の皆さんもお疲れ様です。

やっと一週間終わったぁ…

大学生は人生の夏休みって聞いていたんだけど…

今のところは忙しい。

コツをつかめてないだけかな…

週休3日求む。

そんなわけで疲れてしまっていますので、殴り書きみたいになるかもしれま

せんが、あしからず。(;'∀')

人が会話をしたり、話を聞きたいと思ったりするのは、相手のことを知って

いる人とかなと思ったので、今回と次回で簡単な私の人生を話そうかなと…

(ようは、自分語りしたいだけ W)

今日は生誕から、中学に上がるまで。

聞いてもらえたら嬉しい。

では、スタートッ!!


平成の世に おなご 爆誕


年中さんまで 

めちゃめちゃ体が弱く、あまり保育園にいけない。

あまり友達と遊んだ記憶はない。

体調悪いときはめちゃしんどかった記憶はあるけど、人生を辛く思うことも

なくて、それが当たり前だったし、親はよくしてくれた。

元気な時はよく散歩に連れていってくれて楽しかった記憶がある。

不安も苦労も沢山かけたと思う、けど幸せだった。

たぶん一番古い記憶は、3歳のときに行ったディズニーランド。

水場であそんで、スープ飲んで、楽しかった。

ディズニーシーのショーみたいなやつが煙が出て怖かった。

ホテルの朝ごはんで、人生初、車麩に出会って感動。


年中~小学校入学前

ちょっと体が丈夫になってきて、保育園によく行けるようになる。

友達と泥だんご作ったり、ブランコして遊ぶ。

人間との関わりを始める。

まあまあ楽しい。

でも、周りに比べ、人間との関わり少なめ。

評価されていることを、察知し始め、窮屈さを感じる。

お寺に附属している保育園だったから、朝の会、帰りの会で毎回お経を唱え

る。これ、祈って何になるんだろうと思う。

学芸会の練習で、一生懸命練習したのに、先生に激怒され、クラス全体でお

やつ抜きにされる。今ならば、先生情緒不安定すぎだろ、と思うが、まだ純

粋だった故、何がいけなかったか必死に考え、慌てふためく。


小学1年生

小学校を楽しむ。

同時に小学校に適応しようと頑張る。

帰りの会の前に3分で帰る用意しないといけなくて、辛くなる。

小学校には沢山の草や木、動物がいて、よろこぶ。

図書館に行けば、本もたくさんあるし。

あと、公文を始めさせてもらう。(自分の意志ではない)

入塾時の学力測定&面談で、「数をできるだけ数えてみて」といわれ、

110から先が言えなくて半泣きになる。

111があることを知り、ショックを受ける。


小学2年生

担任の先生がすきな先生で充実。

係が一緒の子が仕事してくれなくて、激おこ。

手を出す。(ホントに未熟者でした。言語化できなすぎる妖怪でした。今でも反省してます。)

幸いなことに、色々あって、その子が、親友になってくれる。

今でも大事な親友。

集団行動に向いてなさ過ぎて

小学校という環境がいやになり始める。


小学3年生

あんまり覚えてないけど、担任の男の先生、背が高すぎッって思った記憶は

ある。


小学4年生

担任の先生が最高の先生に。

国語の先生で、何をするにも意見や根拠を聞かれる。

大変ではあったけど、楽しかったし、先生のおかげで国語力は飛躍的に上が

ったと思う。(クラス全体が。)

よく、ほめてくれた。


小学5、6年生

5、6年で同じ先生が担任になってくれたんだけど、合わな過ぎて辛い。

(クラスでも、脱走者続出)

おなごながら、サッカー部に入部。(他の女子はもう一人いた。)

サッカーは楽しかったけど、顧問も担任の先生でストレスフル。

一日中嫌な顔みて、苦虫噛んだ顔して過ごす。

心がすさんでた。W

保護者会で先生に

「お宅のお子さんは昭和のヤンキーを目指しているんですか?」と言われた

らしく、母が困惑して家に帰ってくる。

(一応弁解しておくと、まあまあ勉強はできていたし、真っ向からは反抗し

てなかったとは思う…

心の中と、家に帰ってからor友達と帰りに愚痴ってはいたけど、

親の影響で、一応、優等生になろうとはしてたから。)

今になって感じるけど、正直ヤンキーっぽい自分は自分の中にいると思う。

その先生のことは今でも反面教師にしているけど、唯一、その見抜きは凄い

と思う。(上から目線でごめんなさい)


そんなこんなでやさぐれつつ中学校へ…


To  be  contenuet…






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