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北斗の拳を見て分かったこと

みなさんおはようございます。漫画を読んでいて気付くことがいろいろあります。例えば設定についてですが、漫画「北斗の拳」ではいろいろ考えさせられる設定があります。そんな設定について考えてみたいと思います。

まず、北斗の拳はどういう話かといえば、核戦争によって世界が滅んだあとの描写をしている、というのが大枠だと思います。現在ではあまり見かけなくなりましたが、冷戦時代のフィクションには頻繁に核戦争の描写が出て来ました。それほどまでに社会が核戦争を恐れていたことがうかがい知れます。実際核戦争が起きたらどうなるのかも真剣に考えられていたことでしょう。それの一つの回答が北斗の拳だったわけです。

そんな北斗の拳においても国家が崩壊しており、無秩序状態になっていました。暴力が支配する世界です。ただ、国家が存在している現在とは決定的に違うことがありました。それはお金が使えないから、ギャングたちもお金を欲しがらないということです。物語の冒頭でも描写されていますが、札束を今じゃケツ拭く紙にもならない、って言ってばらまくシーンがありました。これ現実世界に生きている人には想像もできないことだと思います。大量の札束をばらまくなんてことは普通できないでしょう。実際のところお金がお金として使えるのは国家が存在し、そのお金の価値をみんなが信用しているからにすぎません。そのお金を誰も信用しなくなったら当然使えなくなります。考えてみればあのような紙切れに価値を与えているのだから危険と言えば危険です。突然無価値になることだってあり得るでしょう。さすがに核戦争が起きてお金の価値が使えなくなるなんてことは考えづらいですが、何が起こるかわからないのがこの世の中です。

その意味ではお金がお金として使えるのは非常にありがたいことでもあります。もしお金がなかったら物々交換をしなければなりません。そうなると交換する行為そのものが大変な重労働となることでしょう。それに価値が相対化されていないため、交換する物が不公平なものにもなりかねません。例えばお金ならこれは1万円といった評価ができますが、米1俵と塩1kgが等価だと言えるでしょうか?おそらく現代であれば米1俵の方が高いと思われることでしょう。過去においては塩の方が高かったかもしれませんが。いずれにしてもお金があることで価値を数値化できるというメリットがあることは間違いありません。その意味ではお金が使えなくなるというのはかなりインパクトのある描写でした。

ここからは私の考えになりますが、私自身お金に対してそれほど執着はしていません。というのもお金は交換手段に過ぎないからです。ちょっとした出来事で簡単に使えなくなる可能性だって否定できません。であればお金のためにガチガチになって仕事をするというのも大事だとは自分には思えないのです。むしろお金より知識や技能が大事だと思うようになりました。お金だと簡単に奪ったりできてしまいますが、知識や技能は奪うことは基本的にはできないでしょう。北斗の拳の世界であれば食料を生産する技術があればそれこそ唯一無二の価値となりそうです。そして暴力が支配する世界を平定する者が必要でしょう。その意味でケンシロウはあれだけ輝くのです。

ということで、お金に執着するのではなく、自身の価値を高める努力がこれから必要になって来ると思いました。それは信用であったり単純に能力であったりもします。それさえあればお金は自然と入って来ることでしょう。また国家が崩壊するような事態は考えにくいとはいえ、国家が揺らぐことは十分に考えられます。そんな時に生きる術を持っておくことは重要ではないかと思います。

それでは本日はこの辺で。みなさんも漫画から学んだことがあったら教えてください。今日もここまで読んでいただきありがとうございました。

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ブルーベリー博士(家庭菜園投資家)
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