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散歩の物語その1

散歩をしているといろんな風景、さまざまな人を目にすることがあります。自分が目にしたもの、こと、ひとを想像しながら作り上げた短編小説集です。

『春と月』



鼻水が止まらない。この時期は目も痒いし、薬を飲むと眠たくなるし、大変だ。毎年の事ながらもう嫌になる。

「父さん、明日の朝のパンがないわ」
ぐったりしている中、息子の声がした。

そうだ。仕事帰りの買い物で買い忘れていたのを思い出した。重たい体を起こしてリビングに向かう。

「ごめん、明日はパン無くてもええか?」
「え、嫌だよ。僕はパンがええ」
全く困る。

「そうよなぁパンがええよなぁ」

朝食にパンを食べるのは息子だけだ。私は小麦粉に多少のアレルギーがあるのか摂取すると体がだるくなる。だから朝食はここ数十年ご飯派だ。

「明日だけご飯朝食にしてみて、ご飯朝食の良いところを探ってもらうって言うの」
「嫌よ」
食い気味に言ってきた。『コイツ』と思いながら確かに忘れていた落ち度はこちらにある。納得しよう。

「なら、今からコンビニに買いに行く?」
「一緒に行く!」

もう夜は遅くなっている。親子2人の買い物が始まった。

 涼太は10歳になる。小学4年生。全く手がかかる男だ。多分俺がこのぐらいの時もこんなに手のかかる男だったんだろうなと思う。涼太が生まれてから10年。自分の親への感謝は日々深くなっている。いつか涼太もそんなふうに思ってくれる時が来るのだろうか?

「サッカーの調子はどうなん?」
「うん、ええよ、谷口がすげぇんよ。もう5年の人達と良い勝負出来るんじゃもん。あいつはきっとこの先日本代表とかになるんじゃろうな」

同級生の谷口くんの話を嬉々としてしているが、お前はどうなんだ?お父さんは少し心配だ、、、けれども自分よりも他人のことを優先できるのは優しいのだと思う。

「ごめんな、次の試合も行けんかもしれん」
「良いよ良いよ、父さん仕事忙しいけぇ」

10歳の子どもに気を遣われる父親はきっと父親失格だよな。最近涼太と話をすると自分の不甲斐なさが際立つようでなんだか落ち込んでしまう。

 コンビニまでは川沿いの公園を歩いてすぐのところにある。
行き渋ってはいたがこうして夜の公園で涼太と何気ない会話をしながら歩くのもなかなか心地の良いものだ。
 もう少し仕事が落ち着いたらこうして歩く時間をもっと持とう。

 公園は川に沿って桜の木が植えられている。もう開花宣言から数日が経っている。目が痒い。気の持ちようもあるのだろうが春を自分の中で感じると花粉症の症状が深まる気がする。だから春のことは思わないようにしている。そして思い出さないようにもしている。

「桜が咲いてるな」
「うん」

そう言ったきり涼太は黙ってしまった。涼太にとっても春は『想いたくない』ことなのかもしれない。

「父さん、コンビニでお菓子買うてもいい?」
「だめ。と言いたいところじゃけど、今日は父さんのミスで買い物に来たけぇ、ええよ。その代わり、食べるのは明日まで待ち。もう10時を過ぎとるけぇ」

 お菓子を買うことを譲歩した理由はそれだけではなかった。涼太に『春』のことを思い出させてしまったことも理由だ。涼太は「うーん。わかったそれで良いよ」と至極明るく答えて納得してくれた。

 コンビニでは涼太のお菓子選びが思ったよりも時間を食ってしまい、手持ちぶたさでぶらぶら歩いている。買い物カゴに入れた食パンの重さを感じながら。
 
 スーパーよりいくらか高い食パンに少し痛い出費だなと思い、更に買い物袋を忘れて、袋を買うか、そのまま手で持ち帰るかの逡巡もあった。

「ごめん、父さんお待たせ」

 そう言って亮太が持ってきたお菓子は『えびせん』だった。タレに2度つけをして濃厚な味が売りのコンビニプライベートブランドの『えびせん』。確かに美味しいのだが、あれだけ悩んだ10歳の男子が選んだのがこれなのか?

「それでええんか?」
「うん、ええよ」

 屈託のない表情だったので、本気でこれで良いのだろう。ならもう何も言うまい。えびせんを買い物カゴに入れレジに向かう。

 涼太は静かに隣で待っていたが、目線はレジ横の陳列棚に向いていた。
「ねぇ、父さん、よもぎ大福って買うた?」
さっきからの涼太の目線でこの発言は予想がついていた。

「スーパーで買ったよ」
「ほうなん?ならよかったわ。流石お父さん、それは忘れんかったんじゃ。パンは忘れたのに」

「すまんな」
「ええって」

よもぎ大福だけは忘れない。春のことは思い出さないがよもぎ大福のことは忘れない。

 結局、レジ袋は買わずに手で持ち帰ることにした。食パンとお菓子だけなので特に煩わしさはなかったのが幸いだった。

「ねぇ父さん」
神妙な声色で尋ねてきた。こう言うときは体に力が入ってしまう。

「どした?」
「あんね、大した事ないんじゃけど、桜見てたらなんか母さんのこと思い出して」

胸が締め付けられた。

「ほうなん、どんなこと思い出した?」
「うん、あんね入学式の時、母さんなんかはしゃいでたじゃん?桜の花びらが落ちてて、『桜も涼太の入学をお祝いしょうるね』って。なんだか嬉しいような恥ずかしいような、『止めてえや』って思ってた」

思い出した。はっきりと、なんだか泣きそうになった。

「母さん、嬉しいと体全部で表現する癖があったけえなぁ、父さんはもう慣れてたけど涼太は恥ずかしかったじゃろうな」

「そうよ、でも嬉しかったのも本当のことなんよ」
「わかっとるよ」
「父さんはそんな母さんのことどう思っとた?」
「うん?そうじゃな」

少し考えるフリをした。答えは決まっていたし。これはもう今の涼太に伝えておこうと思った。

「『すげぇ可愛い』と思った」

涼太は冷やかすような顔になり両手の人差し指をこちらに向けて「ヒューヒュー」と言った。なんだか父さんでも古臭いと思うような揶揄い方だったのが気になったが、妙に面白くて笑ってしまった。

「よかった。父さんようやく笑ってくれた。さっきからずっと変な顔しとったよ」

「え?」

衝撃だった。自分がそんな顔をし続けていたこと、それよりそんなことを涼太は気づいていたこと。それを何とか元気づけたいと思ってくれていた事。

「ごめん、父さんは涼太に助けられてばっかりじゃな」
「良いよ、僕たちは2人で生きていかにゃならんし、そのぐらいのことなら父さんを何度も助けちゃるよ」

ほんとに優しい子に育ったよ涼太は。

「そうだ、涼太、母さんの秘密一つ教えちゃろうか?」
「何?何?」
「母さん、夜空が好きで月を見ながら歩いとったら、電柱にぶつかった事あるんよ」

「何それ?ウケる」
涼太は笑ってくれた。春、ごめんな。秘密バラしちゃった。

「じゃあさ、今から夜空見ながら帰えらん?」
「お、ええなそれ。電柱には気をつけながら」
「そうそう」

そうして2人で顔を上に向けて歩き出した。夜と上を向いて歩くおかげで涙が頬を伝う事は、涼太に感づかれないだろう。

「ねぇ、父さん、母さんって春生まれだから『春』って名前なん?」
「そうらしいよ」

「何だか適当じゃない?今度じいちゃんに聞いてみよう」
辛辣だな。息子よ。でもまぁ

「そうしてみれば?」
「うんそうするわ」
悪戯っぽい声だ。

 涼太は4月で小学5年生になる。大きくなったよなぁ春、涼太は体も心もしっかり育ってくれた。春のおかげだよこれはきっと。涼太には助けられてばかりだ。これからもお前のご両親とも繋がっていけるのかな?なぁ春。まだ俺たちは繋がっているよな?
 4年前の4月に春が天国に行ってしまっても俺たち2人の生活は続く。でも絶対『春』のことは忘れない。『春』が大好きだったよもぎ大福と共に。

「父さん!」
突然呼びかけられて驚いた。
「ここから見ると桜の間から月が見える!」
「ほんまか!」
「何か母さんがいるみたいじゃね。母さんの季節と母さんの好きな物」
「そうじゃな」

 2人はしばらく『春』を眺めていた。

  


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