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散歩の物語その9


忘れない


俺の町に女子がやって来た。夏休みが始まってすぐの事だった。

その女子は色白で、俺たちとは全然違くて、話し方も違った。これが東京の、都会の人って言う事なんだろうか。
初めて会ったのは、そいつが引っ越しをしてきて俺の家に家族揃って挨拶をしにきた時だ。

「今日からお世話になります。山下です」

そう言って女子の隣のおじさんが挨拶をした。父親だそうだ。俺でもわかる丁寧な話し方だった。これが都会の人か。そう思った。

「娘の奈緒とは同い年みたいだね。仲良くしてあげてください」

そうさらに付け加えられた。感じのいい父親に紹介された『奈緒』という女子はこちらを少し警戒しているような、怯えているような表情で見ていた。

『山下奈緒』か。

「こら、太一、見とれてないで挨拶をしなさい」
母親だ。何だよ鬱陶しいな。

「見とれてねーし」
「挨拶は?」
「どうも」
「全く、この子は。ごめんなさいね、うちの子緊張しいでね、小5にもなって」
ほんとにうるさいな、母さんは

「奈緒ちゃんも小5だってね。こっちの方こそうちの亮太と仲良くしてあげてね」

山下奈緒はこちらをチラリと見て、会釈をした。俺も少し会釈をした。
それが俺と山下奈緒の出会いだった。

 山下奈緒の父親とうちの母親は子どもの頃幼なじみだったらしい。高校を卒業した時に山下のおじさんは東京に出て行ってしまったそうで、それについてうちの母さんはいつのことだか、話をしていたようだがよく聞いていなかった。いつもの母さんの俺への独白だった。いつも気にしてないし、それがどんな意味を持つのかなんだかよくわからない。

 次の日、山下奈緒は1人で河原に立っていた。

「何してんの?」
そう聞いた。

「うん、この川綺麗だなって」
「そうそう、ここは上流の方に近い場所で、『川を綺麗にしましょう』って一年の頃、いや、幼稚園の頃から大人達が口煩く言ってるもんだから川は綺麗なんだよ」

「へぇ。そうなんだ」
「うん」

「何だか、えっと・・・内海くんだよね?ちゃんと知ってて偉いね」
「は?いや、こんな事は誰でも知ってるし」

「そんな事ないよ、私は知らなかったし、お父さんも教えてくれなかったし、私東京の川の事なんて全然知らないよ」
「あ、へぇうん、そうなんだ」

何だか山下奈緒はよく喋る。いろいろ褒められてしまった。

「内海くんは今からどこに行くの?」
「これから友達のところに遊びに行くよ」
「そうなんだ・・・」
「一緒に来る?」
「え?、、うん、行く!」
そうして俺は山下奈緒を伴っていつもの遊び場まで行った。

ある建物に入った。毎日30℃を超える日々が続いているらしい。夏休みが始まる前に学校で暑い日は無理せず家にいるようにと言っていた。体を動かせと言ったり、家で遊べと言ったり、ゲームばかりするなと言ったり、なんなんだ大人ってやつは。でもエアコンの効いた公民館はとても涼しい。
「はぁ涼しい、生き返る」
「死んでたの?」
「は?例えだよ例え」
「うん、知ってるよ」
「は?」
「う〜ん生き返るなぁ」
山下奈緒はそう言って体全体を伸ばした。腕を上に伸ばしたことでTシャツからお腹が見えた。俺は見てはいけないものを見てしまい、すぐに顔を逸らした。
「なに?」
「は?いや、なんでも。ていうか自分も生き返るって言ってんじゃん」
「そうだねぇ、生き返るねぇ」
そう言って悪戯っぽく笑う。昨日の警戒していた表情は一切ない。なんだこいつ。誘うんじゃなかった。
「こっちだから」
山下奈緒の顔は見ずにそう言っていつもの場所に連れて行った。

「何?内海、彼女?」
「は!?ばか、違うし」
「じゃあこの子は?」
「あ、うん。なんか夏休みの間こっちで過ごすんだって、えっと、山下奈緒さん。東京から来たんだって」

「東京?すごいね!そんな遠いところからこんなところに?」
「東京って芸能人がたくさんいるんでしょ?」
「youtuberと会った事ある?」

そう言って山下奈緒は質問攻めにされていた。
森山、高野、橋本の三人は俺の事なんて目もくれず山下奈緒と話していた。

山下奈緒は上手に受け答えをしている。すぐにみんなと仲良くなった山下奈緒は「ここはどんな場所なの?」と聞いた。

唯一の女子である高野が
「ここは私たちの秘密の場所なんだ。と言っても公民館の一室だから誰でも使える場所だから秘密でも何でもないんだけどね」

「ここで今日何するか作戦会議をして出発する」
そう森山は言った。森山は声がでかい。体は俺より小さいのに目立つやつだ。橋本は物静かだけど頭がいい。いつも四人で遊んでいる。

「で、今日は何すんの?」
俺は山下奈緒と話していて到着に遅れたので聞いてみた。

森山が答える。
「今日は橋本の提案でザリガニ捕まえて自由研究の宿題をする」
「なるほど。なら行こう」
「山下さんはどう?」
高野が控えめに尋ねた。

「うん、もちろん行く!」
俺たちはこの日から五人で毎日のように遊んだ。

 駐車場で隠れんぼをしている日だった。山下奈緒のことを最後まで見つけられずギブアップした。

山下奈緒は笑いながら出て来て
「どうだ、まいったか」
そう言う。俺は
「山下、隠れるの上手いな。どこに隠れてたんだ?」

そう聞いて山下奈緒が「あのね」と後ろを振り返った時だった。俺の視界から山下奈緒が消えた。『え?』と心の中で呟いて目線を足元に持っていく。

 山下奈緒はうずくまっていた。
「は?おい!大丈夫?」

「うん、ちょっとごめん、今日は実は朝から体調が悪くて誤魔化していたんだけど、やっぱり難しかった。ごめんね、今日はもう帰るね。みんなに謝っておいて」
山下奈緒はそう言って帰っていった。
暑い中無理をさせてしまったようだった。それならそうと言ってくれればよかったのに。

 次の日体調は良くなったようで元気に遊んでいた。あまりにも元気だから俺は昨日の事を全く忘れてしまっていた。

 お盆休み。山下奈緒の母親が遅れてこの町に到着したようで、俺と俺の母さんと父さんと山下奈緒とおじさんとおばさんの六人で夕ご飯を食べた。

 大人の四人は何だかいろいろと話をしてた。『積もる話』って言うやつなのだろう。俺はちょっと、いや、かなりつまらなかったが唐揚げが美味しくてまぁ満足してた。

山下奈緒も同じようにつまらなさそうにしていたが、何故か大人達のいるところで俺は山下にいつもの調子で話をする事ができず、黙り込んでいた。

「亮太くん。」
山下奈緒の母親が話しかけて来た。

「はい」
突然でびっくりして声が裏返ってしまった。
「亮太くん、うちの奈緒に優しくしてくれてありがとうね」

山下奈緒の母親は山下奈緒に似ていた。顔もそうなのだけれど、賢い雰囲気や優しい雰囲気、それでいてたくさん喋るところも。おまけに美人だ。

「あ、いえ」
「ちょっと亮太。何緊張してるの?奈緒ちゃんのお母さんが美人だからって緊張してるんじゃないよ」
本当にうちの母親はデリカシーがない。山下奈緒の母親を少しは見習え。

「ちょっと亮太。奈緒ちゃんが楽しくなさそうだから、ちょっと一緒に遊びに行っておいで」
また母さんが言って来た。腹が立つが、確かにこんなところにいるよりも山下奈緒と遊びに行くほうがいい。

「じゃぁ行こう」
「うん」
「お、ちゃんと男子らしくエスコート出来るじゃない」
「ほんと、うるさいな!」

俺は山下奈緒と一緒にベランダに出て時間を潰すことにした。俺たちが靴を履く時に一瞬大人達の話し声が途切れたように感じたが何なのかわからないし、知る必要もないと思っていた。

「お盆休みの最後の日、花火大会があるでしょ?」
「うん。みんなで行くよな?」
「・・・うん、みんなで行くよ」

「すげーんだぜ花火。毎年でっかくてここの近辺じゃ、3本の指に入るぐらいの大会だから期待しててよ」

「そうなの?それは楽しみ。それにね、私今年は内海くんのお母さんが昔着てた浴衣を仕立て直してもらって着るんだ」

「そうなの?へぇ」
「ちょっと、内海くん反応薄いな」
「だって別にうちの母さんの浴衣なんて何とも思わないし」
「ふーん」

そんな話をしていたら山下奈緒のおばさんに呼ばれた。食事会はお開きのようだった。

 花火大会。森山と高野と橋本と合流して五人で会場に向かった。

それぞれの親がいる中、俺たち五人は打ち上がる花火を見ていた。

 俺の横には山下奈緒。森山と高野と橋本は三人少し前で見ている。浴衣姿の山下奈緒はとても綺麗だった。
 でも俺は待ち合わせ場所で見た時に声が掛けられなかった。一言も、恥ずかしさと緊張といつもと違う喧騒さに押された。

 花火が上がるその度に拍手が起きて、山下奈緒を見る。山下奈緒は綺麗な物を見る表情で天を仰ぎ光と音の演出を楽しんでいた。綺麗だと思った。
 山下奈緒が俺の『誇らしく思う綺麗な物』を『綺麗な物を見る目』で見てくれている。山下奈緒を可愛いと思った。

その瞬間だった。

 不意に山下が前につんのめった。「またか」と一瞬にしてあの駐車場での事を思い出したが、それは後ろから山下奈緒が人に押されてのことだった。

必死に俺は手を伸ばし山下奈緒の手を握る。転倒してしまう前に俺は山下奈緒の手を力一杯引き寄せて転ぶのを阻止した。

「あ、ぶねー」
「びっくりした。内海くん、ありがとう」

「いや、大丈夫?」
「うん。大丈夫」

そう言ったきり山下奈緒は僕を見たまま固まってしまった。俺もそのまま固まってしまった。

「あ、ごめん」
言葉を発したのは僕だった。いつまでも握っていた手を離す。

「ううん、こちらこそごめん」
「いいよ。山下が無事なら」
「うん」
また沈黙が横たえる。大きな花火の音が聞こえた。

 花火大会から数日。いつものように五人での遊びは続いていたが、あの日以来俺はどこか気持ちがふわふわしていて、何だかいつも叫んでしまいたい衝動に駆られることが多くなった。

 夜。喉が渇き冷蔵庫にお茶を飲みに降りた時だった。

「奈緒ちゃん。うちの亮太と仲良くなって良かったって思うよ」
「うん、亮太は奈緒ちゃんと友達になってくれてるみたいだね」
父さんと母さんだ。俺と山下奈緒との話をしている。

「でもねぇ奈緒ちゃんそんな様子なんて見せてないじゃない。元気になったんじゃないの?」

「それならいいけど、今も薬で何とか発作を抑えているらしい」
薬?発作?何のことだ?

「ひどいよね、あんなちゃんとした子が病気なんて」
「うん、だけどこればかりはどうしようもないよ」

病気?そんな事は誰からも聞いてない。親からも山下奈緒の親からも、もちろん山下奈緒からも。

うちの親はそのことについて知っている。何だか無性に腹が立って、いても立ってもいられず。居間に繋がる扉を開けた。

「どういうこと?山下が病気って」
「亮太聞いていたのか?」
「うん」
「亮太、何でもないのよ。亮太には関係がないの」

「ちょっと待ってよ。『関係ない』って何だよ。山下の事なんだろ?俺は山下の友達なんだ。何で俺だけが知らないことがあるんだよ!何で父さんと母さんだけが知ってるんだよ。山下と仲良くしろって言ったのはそっちだろ。なのに何でそっちが知ってることを教えてくれないんだよ。そんなのずるいよ!」

俺は一思いに言った。2人は真剣な顔になった。怒られるのかと思った。

「わかった。亮太の気持ちは痛いほど今ので伝わった。だからそこに座りなさい」
父さんがそう言ってくれた。俺は促されるまま座った。

「これから話すことはそれを知ることで亮太を深く傷つけることになってしまうかもしれない。亮太は思い悩むかもしれない。それに、この話は向こうの両親、そして本人の奈緒ちゃんからも亮太達には『伝えないでくれ』って頼まれている事なんだ。この意味はちゃんと理解してくれるな?」

「うん、知りたい。大丈夫」
本当はすごく、
不安だった。

「奈緒ちゃんはね、病気なんだ。血液の病気。生まれてから何度も手術をしたけれど治らなかった。少しずつ良くなっては来ていたそうだけどね、それでもね今年の春。『持って後一年だと思います』とお医者さんに言われたそうだ。治療してそれを伸ばすことが出来るかもしれないけれど、望みは薄いそうだ」

「何で?何で?だって望みは薄くてもゼロじゃないんでしょ?」
「あぁそうだ」
「なら治療すればいいじゃないか。」

「治療は副作用。病気を治す見返りにすごく辛い痛みを伴うんだ。奈緒ちゃんの両親はその激しい痛みを奈緒ちゃんに与えたくはないって。だから最後の一年だと思って、色んなところに連れて行こう。そう考えたんだそうだ。そのことに奈緒ちゃんも賛成して、夏は山下さんの故郷のここに帰って来て、まだ薬を飲んでいれば元気でいられる間に故郷の自然に触れさせてあげたいって。そのことを母さんから教えてもらって、『亮太にその案内を任せよう』って父さん思って、だから奈緒ちゃんと一緒に遊んでくれるように頼んだんだ。こんな事、黙っててごめんな。お前は優しい子だからきっと病気の事を伝えると無理をさせないように、元気でいられるようにって加減してしまっていただろう?山下さんの両親も奈緒ちゃんもそれは望んでいなかったんだよ」

俺は何も言うことが出来なかった。みんながそう思って、そうしたいと望んだ事なんだと思うと何も言えなかった。だけど腹が立つ。

「なんで、そうなんだよ!わかんねーよ!助かるんなら助けろよ。それが一番いいんだろ!」

「そうだけどな、奈緒ちゃんは選んだんだよ。それはもう父さん達がどうこう言う事は出来ないよ」
「そんなの、そんなのってないよ」
俺は、自分の部屋に閉じこもった。その夜は眠ることができなかった。

 まだ気持ちが落ち着かない。落ち着かない。このなんだかわからない気分を俺はどうすればいいんだろう。

 どうすればいいのかわからないまま僕は山下奈緒と出会ってしまった。

「どうしたの?内海くん、今日は全然喋らないね」
「え、いや、そんなことないよ」
気まずい雰囲気だったが、すぐに後の3人も来てくれたのでなんとかなった。

「内海、体調でも悪いのか?」
「体調!?・・・あぁ俺の事か、いや、体調は大丈夫」

「でもやっぱりなんか変だぞ、亮太何かあるんなら言えよ」
「うん、、、いや、ごめん言えない」
「何だよ」
「ごめん」

俺は山下奈緒の方を見た。山下奈緒はいつもと変わらず優しい顔で俺を見ていた。俺の何かが弾け飛んだ気がした。

「山下。何でそんなんなんだよ」
「え?どうしたの内海くん」

「山下は何でそんなに俺の事を心配する表情が出来るんだよ。自分の方が大変なんだろ!」
「え、」
「何?ちょっとどういうこと?」
高野が不思議そうに聞いてきた。山下は黙ったままだった。それが癇に障った。

「山下は病気なんだよ。もう助からないんだってさ。でも助かる方法はあるんだろ?なのにそれをしないのは何でだよ?何で助かる方法が少しでもあるのにそれをしないんだよ」

俺は昨日から思っていたことを全て吐き出していた。全員が黙る。構わない。しばらくし、山下奈緒が話し始めた。

「ごめん、みんな黙っててごめん。確かに内海くんの言ったように私は病気。朝から薬を飲まないと私は倒れてしまう。ずっとそうだった、だから私の中では当たり前で、それでも治る事は無くて段々と悪くなる一方で、だからお父さんに『お父さんの故郷を最後に見たい』って。『過ごしてみたい』って言った。お父さん達はこっちには大きい病院が車を使わないと行けないから、もしもの事があったら良くないって言ってたけど、私は『それでも行きたい。最後なんだからいいでしょ』って、『学校の休みの間はこっちに行きたい』ってわがままを言ったんだ。そしたら納得してれて、内海くんの事はそこで聞いた。お父さんの幼馴染に同い年の子どもがいて、『その子は優しい子だから何かあっても助けてくれるだろう』って言ってた。内海くん、そんな大役を任せてごめんね。誰にも言わないでって口止めしたのは病気のことを知って私に対して気を遣われるのが嫌だったから、みんなといつものように遊びたかった。だから『黙ってて』って言ったの・・・」

みんなの顔は見えなかったけど、困っているのがわかった。

「わかった。わかったから奈緒ちゃんは私たちと夏休み終わるまで一緒に遊んでいようよ」
高野が必死に言う。

「そうだよ、病気なんてさ、きっと大丈夫だよ」
そう森山は言った。

橋本も続いた。
「うん、だから一緒に遊ぼう」

俺は何も言えない。言う気はない。
「ごめん」
これしか言えない。俺は走って家に帰った。

 夏休み最後の日が来た。明日から二学期が始まる。憂鬱だ。

あの日から山下奈緒とは会っていない。会えなかった。高野たちはあれからも遊んでいるらしい、母さんが教えてくれた。もう俺には関係がない。そう、俺にはもう関係が無いんだ。

「亮太、宿題は終わったの?」
「うん、終わったよ」
「あら、今年は偉いのね」
「うん、まぁね。。。」

夏休みの真ん中ごろ、山下奈緒との話の中で宿題を全然終えていない事を話してしまい。次の日から遊びに行く前の1時間。みっちり宿題をしていた。だから今年は終わるのが早かった。

「明日からの学校、早く準備しちゃいなさいよ」
「わかっているよ」

本当、親っていうやつはうるさい。わかっている。だからほっといて欲しんだ。

山下奈緒との事は病気の事を話してもらった後から向こうからは聞いてこなくなった。

俺がいつもと違うことには気づいているはずだ。そう言う親だから。
だけれどそのことについて話をすることは無かった。多分親同士での話し合いもあったのだろう。きっと俺の親は山下奈緒の親に謝ったんだろう。そんな事も俺は知らない。雨上がりの早朝のような霧が重苦しく重なった心でいた。

それでもきっと2学期が始まれば忘れる。山下奈緒のことなんて1ヶ月も経たない思い出なんだ。すぐに忘れてしまえる。そう、忘れられる。

 玄関の引き戸が大きな音で閉まった。その音に驚いて眠りに落ちかけていた頭が一気に覚めた。「なんだ?」そう独り言を言っているとけたたましい音を立てながら俺の部屋に近づく足音。身を竦めて次の瞬間開く扉を凝視した。

「何やってんだ?亮太!」
声の主、この一連の音の主は父さんだった。

「なんだ、父さんか」
「なんだじゃない!お前何やってんだ?なんでまだここに居る?」

「なんでって、ちょっと眠たくなったから横になってた。あ、ちゃんと宿題は終わらせたから」

「そんなことを聞いてるんじゃない。お前だってわかってるんだろう?」

父さんが俺の事を『お前』って呼ぶときは本気で怒っている。俺も父さんの言ってることはわかっていた。怒られて当然だ。

「だって、しょうがないよ。もう俺には会う資格ないし」

「なんでそう思うんだ?」

「だって、何も声を掛けてあげられなかったし、それ以前に、『秘密にしたい』って山下奈緒の気持ちを踏みにじったし・・・だからもう会えないじゃないか!」

父さんは少し黙って俺の方を見た。

「そうか、そんな気持ちだったんだな。父さん、嬉しいよ、そう言うふうに思える人間に育ってくれて・・・ただ、違う。そうじゃない。奈緒ちゃんがお前のこと悪く思っているはずないだろう。奈緒ちゃんが病気の事、黙っていないといけなかった理由。それのせいで騙すような気分になってしまっていたってこと、亮太は考えなければいけない」

「山下奈緒は俺にばらしてもらえて良かった?」

「そう言うこともちゃんと会って話さなくちゃいけないんじゃないか?」

俺は頭ではどうすればいいのかを考えていたが、心は言葉を発した。

「うん、今から行ってくる」
「よし、車で行くぞ、それでも間に合うかどうかわからないけど」
俺は父さんの車に乗せられ山下奈緒の家まで行った。

 高野や森山、橋本が山下奈緒との別れを惜しむように話をしているところに俺たちは到着した。

「内海くん」
山下奈緒は俺を認める。

「うん」
「来てくれたんだ。ありがとう」
「うん」
なんで『うん』しか言えないんだ。俺。

「もう、会ってくれないんじゃないかって思ってた」

「うん、、、あ、いや違くて、そうじゃなくて」

「うん、そんなことはわかってるよ」

「うん、ごめん」

「うん、、、今年の夏は今まで生きて来た中で一番楽しかったな。内海くん、覚えてる?初めてみんなで遊んだ日、ザリガニ釣りをして」

「うん、ザリガニ見るの初めてで全然触れなくて、キャーキャー悲鳴あげてた」

「うん、そう、悔しくて、頑張って触れるようになったんだ」
「そうだったんだ」

「花火綺麗だった。あの時私が倒れそうになった時、助けてくれてありがとう」
「え、あ、うん、、、」

「照れないでよ」
「照れてないよ!」

そう言って2人で笑い合った。

「なんだか、とても懐かしい、凄く楽しい思い出は『思い出』になるのが早いね。まだ私の腕の中にある記憶だと思っていたのに、もう思い出になってる」

「うん、、、、あの、山下?」
「何?」

「、、、、ごめん、山下の病気のことみんなにばらしてしまって」

「え?いや!謝らないでよ、謝らないといけないのは私の方、黙っててごめんなさい」

「うん」

「うん」

少しの沈黙。

「東京帰っても頑張れよ」

「そっちも、私がいなくてもちゃんと宿題しなさいよ」

「うるさいなぁわかってるって」

もう一度沈黙。

「じゃぁ行くね」
「うん」

「それじゃぁ」
「バイバイ」

山下奈緒は振り返り、高野と少し話をして抱き合った後車に乗り込んだ。車のエンジンがスタートして動き出す。

少しずつ前に走り始めた。高野は泣いている。森山と橋本は高野を慰めている。車が少しずつ遠ざかっていく。遠ざかっていく。

俺は走っていた。遠ざかっていく山下奈緒に伝えたいことを伝えたくて。

 車は止まった。山下奈緒は車から降りる。俺の方を見ていた。

「俺、忘れるから!すぐに絶対忘れるから!だから俺のこと。俺たちのことは気にするな!だから山下は俺たちとの思い出は思い出さずに病気を治せ!俺、忘れて待ってるから!来年まで待ってるから!だから来年もう一度思い出を作りに来い!その時にまた会おう!それまで俺!忘れてるから!」

山下奈緒はしばらく黙っていた。遠くにいたからよくわからなかったけど手を顔に持って行き、目を隠し、それから両手を口に持って行きメガホンのようにしていく仕草が見えた。

「内海くん!全然意味わかんない!なんで忘れんのに待ってるの?全然意味わかんない!・・:待ってて!来年。忘れてて私のこと。私も忘れるから、そして来年お父さんに連れて来てもらうから!だから私のこと忘れてて!」

「わかった!」

山下奈緒は大きく頷き大きく手を振る、彼女の笑顔ははっきりと見えた。俺は手を振り返した。大きく手を振り返した。

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