散歩の物語その8

『故障中』

何してんだろう?

 心の中で私はつぶやいた。放課後、帰宅途中。いつもと違う道を帰りたいと思い、川沿いの道を歩いている時だった。
 目の前には同じ学年、違うクラスの男の子が立っていた。私とは面識は無いけれど、お互いに顔は知っているだろうと思う。

 そんな人が私が歩こうとしている前に立っている。しかも川の方にある『何か』を凝視して。

 ちょっと怖いな。

そう思って私はその道を避けて別のルートを通って帰った。

 次の日。私は昨日の光景が頭から離れずにいた。あれは一体何だったんだろう。そんな事を思いながら2組のクラスを横切り、理科室に移動していた。

 理科室までの渡り廊下、私の目の先には昨日の光景の中にいた男子の姿がはっきりと見えた。

「ちょっと!綾香。どうしたの?立ち止まって」
「え?あ。ごめん、どうしたんだろうね。私」

「ちょっとしっかりしてよ。何?」
「へ?私、何って?なんか私見てた?」

「もう、しっかりしてよ」
そう言って私を叱ってくれるのは同じクラスの親友、湖美だ。

「ごめん、湖美」
「うん、いいよ」

「ねえ?あのさ、あの人って名前、なんていうか知ってる?」
私は思い切って頭から離れない光景の中にいた彼の名前を聞いた。

「うん?誰々?」
「あそこに座ってる男子」
「・・・あぁえっと誰だっけ・・・うーん・・・ちょっと待って。ねぇかずちゃん!」

そう言って湖美は2組の友達を呼んだ。湖美はバレーボール部で学年全体に顔が効く。私みたいに特定の人としか仲良くなれない人は本当に頭が下がる。

「綾香、慎吾くんって言うみたいだよ」
「そうなんだ」

「何?あぁ言うのがタイプ?間、取り持とうか?」
「いやいや、そう言うことではないので、大丈夫」

湖美は時としてお節介だ。

「そう?ならいいや」
しかしながら詮索はしない。湖美の良い所だ。

『慎吾くん』か。・・・だからなんだよ?

独り言を心の中で言ってみて私はチャイムが鳴り始めた廊下を走って理科室へ向かった。

 帰り道。何故だろうか。全く私にも理解が出来ないのだけれど。川沿いの道を通って下校していた。

そして昨日と同じように同じような場所で同じであろう物を凝視している男子がいた。昨日と違うのは彼が『慎吾くん』と言う名前であることだけ。
 私は彼が凝視してる視線の先が気になり、彼のすぐ後ろの道を通ってみた。彼とすれ違う時に彼が凝視している物を見てやろうと思ったからだ。

 もう少し、もう少しですれ違う。しかし何故こんなにも緊張しなければならないのか。

 すれ違った。

 確かにすれ違った。

 そして彼の後から彼が見ているであろう物を見た。見たのだが。
 
 全く、何を見ているのか分からなかった。

「あの先に何がある?」それが私の感想だった。
全く何なのかわからない。私は不完全燃焼の気持ちを抱えながら帰宅した。

 次の日。私は湖美に川に何かいるのかと聞いた。

「はい?川?川って?あそこの川?」
「うん、そうそう」

「いや、何もいないでしょ?ヤマタノオロチでもいるのかってこと?」
「は?山田のおろし?」
「あ、うん、何でもない」

湖美は時々よくわからない例えを言う。

「ところで何であの川のことを聞くの?」
「いやね、それがね、昨日の慎吾くんだっけ?彼がね、下校時間にね。じっと川の方を見てるんだ」

「は?何だそりゃ?」
「何だかそれが妙に気になって」

「ふーん。なら聞きに行く?」
「聞きに行くって彼に?」

「いや、私が綾香と違って人見知りではないからってそんな無節操なことはしないよ」

『無節操』ってどう言う意味?とは思ったが私は

「だよね」
と答えておいた。

「昨日、名前を尋ねたかずちゃんにそれとなく聞いてみよう」
なるほど、そう言う事か。

 かずちゃんに聞いた話はこうだった。

「確かに『慎吾くん』って掴みどころがないと言うか。帰宅部だし、誰かと連んだりしてないし、でも人気がない訳じゃない。話してみると面白いし、受け答えはしっかりしてるし、頭もよかったはずだよ。成績はクラスの中でも上の方だし、顔も滅茶苦茶イケメンってほどじゃないけど整ってるし、身嗜みもちゃんとしてるし」

そんな話がでた。彼のことがわかったようで、全くわからない話だったが、同じクラスの人でもそこまでのことしかわからないのは彼が、あまり人と関わろうとしてないからであろう。

それは私もそうだ。学校で話す人は湖美ぐらいだ。

「何だか、『慎吾くん』って綾香に似てるのかな?」
「そう?いや違うでしょ」
私は図星をつかれたような。それを認めたくないようなそんな気がした。
「・・・そうだね、綾香とは違うよ」

湖美に気を遣われてしまった。

「・・・だって『慎吾くん』は頭いいって言うし」
「は?ちょっと私が馬鹿だって?」

「え?違うの?」
「・・・はい、私はお馬鹿です」

そんなやりとりに私たちは笑い合った。湖美には感謝している。

 放課後。また私は川沿いの道を通った。今日も彼がいるかもしれない。私はどうすればいいのだろうか。このまますれ違って彼の見ている物が判別できたとして『だから何?』って状況だ。この好奇心はどこまでいけば正解なのだろうか?

 昨日、一昨日と同じ場所。そこに彼はいなかった。どこを探しても彼はいなかった。何故?

「いなかった?って噂の彼?」
「うん、昨日はいなかった」

「毎日行ってるの」
「そうなるね」

「私も一緒に行こうか?それで今日いたら声かけて」
「いや、湖美は大会も近いんだし、いいよ大丈夫」

「そう?なんていうか、頑張ってね」
「うん、頑張る。・・・うーん、何を?」
「確かに・・・」
今日はいるだろうか?放課後が待ち遠しい。

今日は『慎吾くん』がいた。私は意を決した。

「あの!いつもここで何か見てますよね!?」
『慎吾くん』に話しかけてみた。

「え?あ、うん、そうだけど」

彼は困ったような表情をしていた。私は構わなかった。

「ずっと気になってて、何を見ているんですか?」
彼はますます困ったような表情になってしまった。

「うん、えっとね、そこに立ってる街灯」

「街灯?」
おうむ返しのように言ってしまった。

「うん、街灯」

何故?その一言が頭を巡る。

私と彼は顔を見合わせて固まった。

「・・・・」
「・・・・」

「あ、えっと、街灯に貼ってあるでしょ?」
そう彼は言って指をさした。その先を目で追う。

『故障中』

そう赤い字で書かれた貼り紙が貼ってある。

「故障中?」
またおうむ返しのように口に出てしまった。

「うん、そう故障中」

「・・・えっと、それが何?」
私はまたも思わず口に出してしまった。

「そうだよね、確かに、『それが何?』だ」
そう彼もおうむ返しのように言って笑った。

「あのね、『故障中』っていつまで『故障中』なのかな?って」

「え。修理されるまで見てるってこと?」
「そうなるね」

「修理されたの?」
「ううん。だからまだこの貼り紙が貼ってある」

そうか!私はなんて馬鹿なことを言ったんだろう。

「でもさ、いつかは修理をしてくれる人が来るんでしょ?」
「そうだろうけど。でもいつになるかなんてわからないよ?」

「そうだね」

「・・・」
「・・・」
私たちの中に沈黙が横たわる。

「ずっと見てるの?」
「そうだね、ここ最近はいつも。学校が終わればここにいる」

変わった人だ。純粋にそう思う。

「どうして見てるの?」
「うん、そうだな。確かに僕が見ていると『この街灯は修理が必要なんだな』って思って業者の人が来てくれるかもしれないでしょ?」

「この外灯が直って欲しいってこと?」
「うーんどうかな。僕は日が暮れるまではここにいて眺めているけれど、日が暮れたとしてもここの街灯が灯らないことで何か不便に感じる人がいるようには思えないんだよね」

「そうなの?」
「うん、多分」

「ならそんなところの修理なんて後回しじゃない?」

「そうに違いないね。でもさ、ここにこの街灯が点ってくれないと困る人がいるかもしれないよね?それにさ、この街灯だってここに置かれて街灯としているのに灯ることが出来ないなんて可愛そうじゃない?」

『かわいそう?』
その意味が理解できなかった。

「・・・いや、でもさっき自分でこの街灯が灯らなくても不便に思う人はいないって言ったじゃない?」

「うん、確かに、そうだね。でもそれが100点の答えではないよ。この街灯が『修理中』のままでも誰も困らないのかもしれない。多分それは正解なんだと思うよ。だけど、もしかしたら、ただ1人でもこの街灯が灯らないと困る事があるなら、これは直さなくてならない故障だと思うよ」

「そうなのかな?・・・」

「僕はそう思うな。貴方の気持ちもわかるけどね」
「あ、私『朝倉綾香』って言います」

「ごめんなさい、自己紹介まだでしたね。僕は『谷川慎吾』って言います」

「谷川くん。でいいですか?」

「あ、もう何でもいいですよ。谷川くんでも慎吾でも、街灯男でも」
「じゃあ街灯男で」

「それはちょっと傷つくなぁ・・・」

本気で落ち込んでいる谷川くんに笑ってしまった。

「うそうそ。谷川くんで」
「そうしてくれるとありがたいよ。僕のほうは『朝倉さん』でいいかな?」
「うん、それでいいよ」
確かに谷川くんは掴みどころのない人だ。

次の日も私は谷川くんが凝視している『故障中』の街灯を一緒に凝視していた。

「それがさ、湖美、あ、私の友達がさ『山田のおろし』っていうの?それがこの川にいるのかって真面目に聞いてきて、何だかおかしくて」

「『山田のおろし』?川?・・・あぁヤマタノオロチのこと?」
「え?わかるの?」

「有名だよ。大昔から伝わる物語に出てくる。8つの頭と尻尾を持つ怪獣みたいなやつ。それを退治した話だよ。その舞台が斐伊川って川」

「そうなのか!そんな話があったなんて。谷川くんはすごいね。物知りだ。私は馬鹿だから全くそんなの知らない」

「そうなの?でも『山田のおろし』なんて面白い発想だよ」
「そうかなぁ」

「そうだよ。朝倉さんは決して頭が悪い訳じゃないよ。きっと興味の範囲が幅広くないだけでしっかりとしてる」

「本当?」

「そうだよ、だってそうじゃないとこんなところにいて『故障中』を見てないでしょ?朝倉さんもこの『故障中』がどうなるか知りたいからここに来ているんでしょ?」

確かにそうなのだが、私は『故障中』よりも谷川慎吾くんの方が気になる。

「谷川くん、もしね、もし、この街灯が直ったり、撤去?されたりしたら谷川くんはどうするの?」

「そうだなぁ、考えてもなかったけど、『あ、そうなんだ』って思いながら家に帰るんじゃないかな」
「なんていうか、ドライだね」

「どうしようもないって事はあるからね」
「うん、それはわかる」

谷川くんといると静かにそっと私の中に新しい知識が増えていく気がする。

「谷川くんと一緒にいると何だかほっとする」
「そうなの?」

「うん、なんていうのかな。谷川くん他の男子とは違って落ち着いてる大人だし、しっかりしてるし安心できる」

「そういうもんかな」
谷川くんはそういうと黙ってしまった。

「ごめん、今日はもう帰るね」
「え?どうしたの?」

「うん、用事があるんだ。それじゃあ」

「うん、また明日」
谷川くんはそれには返さずに行ってしまった。

 翌日から谷川くんは街灯を見に来なくなった。教室に行ってみても上手いこと躱されてしまう。

「何かあったの?」
「うーん。何でだろう。ただ谷川くんといるとほっとするって言っただけだよ」

「それが問題なんじゃ」
「え?そうなの?」

「それしかないならそれだろう。多分谷川くんにとってはそんな風に思われるのがちょっと違ったんじゃない?」

「そうなのか。私、馬鹿だからさ、相手との距離感がわからない」
「そうかな、ちゃんとできてると思うけど、谷川くんが特別なんじゃない?」
「うん。」

「まぁ男なんていくらでもいるさ、次いこ次」

「ほんと湖実はさっぱりしてる」
「でしょ。それが私の長所」
「だね」

そう言って慰めてもらった。嬉しかったけど、やっぱり引っかかる。

その日以来、谷川くんはいなくなったが、代わりに私が『故障中』の街灯の前にいることにした。

何も起こらない放課後。何回も。それからどれくらいの日にちが経ったのだろう。

「オーライ。オーライ」

野太い男性の大声と機械の大きな音がした。私は嫌な予感がした。音のする場所まで走る。音はいつも私が見ているところで鳴っていた。

「あ。」

予感は当たった。『修理中』と書かれた街灯が撤去されている。

「撤去しちゃうんですか!」
私は思わず叫んでしまった。

「は?え?そうだけど」
工事の人はそう答えた。

「何故ですか!?」
私は答えが欲しくて聞いていた。

「何故、その街灯を撤去しないといけないんですか!もしかしたその街灯の明かりが必要な人がいるかもしれないんですよ!」
私は泣きそうになりながら必死に叫んでいた。

「そうは言われてもなぁ・・・すみません。うちらも市から依頼されて作業してるからうちらに言われてもどうすることも出来ないんだよ」

そうだ、確かにそうだ。それはそうだ。

「私が困ります・・・」

「え?それは本当に申し訳ない。でもこれ、灯り点いてなかっただろう。だいぶ前から」

「・・・・」

私には何もその先を喋る気力がなかった。立ち去った。

「どうして?どうして見に来なくなったの!!」
私はどうしても、どうしても怒りが収められずに谷川くんのクラスで谷川くんの目の前に立っていた。

「撤去されちゃったよ。あの街灯。もう見られないよ」
谷川くんは黙っていた。腹が立った。

「そんな気まぐれで。あんな事言って私の事を馬鹿にして!面白がってたんだ」

「・・・ごめん、これじゃ、ちゃんと話できないし、みんな見てるし。向こうに行こう」

「・・・」
私は何も言わずに谷川くんについて行った。

「見に行かなくなったのはごめん」
「うん」

「何と言うか、あの街灯のことそんなに大切に思ってくれてたなんて思いもしなくて」

「私にとっては大切な物だし、場所だったよ」

「うん、ごめん」

「何で、見に来なくなったの?」

「それは。あの街灯ではなくても良かった。実は他にも故障中の街灯はあって、全部は知らないけど、僕にとってはどれでもいいと言うか、あそこが特別ではないし、そもそも街灯がどうなるかなんて正直どっちでもいいし、そう言う話は前にしたよね」

「そうだけど、そうだけど・・・」

確かにそうだ。谷川くんは撤去されても『そうか』と言いながら新しい興味のあることに向かっていく話をしていた。

「それでもさ、私には特別だったんだよ。前に谷川くんが話してくれたよね。もしかしたらあの街灯は誰の役にも立たない街灯かもしれないけどただ1人だけでも必要としてくれるならそれは必要なものだって、もう私には必要な街灯になっていたんだよ。私と谷川くんを結びつけるものとして」

谷川くんは驚いていた。

「ごめん、そうだったんだ。そうだったのか。朝倉さんにとってはあの街灯がそう言うものになっていたのか、気づかなくてごめんなさい」

「ううん、いいんです。私もごめんなさい。自分の気持ちばかり優先して怒ってしまって」

「難しいね、人の気持ちも距離も僕はよく間違ってしまうよ」

谷川くんは私と似ている。とてつもなく不器用なんだ。

「そうだね、私もよく間違えます」
そう言って私は微笑してみた。自虐的な笑顔。彼は笑い返してくれた。

「うん、そうだ、仲直りの印に、あの場所からもうちょっと行ったところに『故障中』の街灯あるんだけど、どう?一緒に見にいく?」

私はちょっとの驚きと、少しの失望。笑える。全くこの人は、何だろうか出会ってそこまで同じ時間を過ごした訳ではないのにこんなにも納得した気持ちになるなんて。

「いや、普通にバナナジュース飲みたいです」
「え?・・・そうか、そうだよね・・・じゃあ学校終わったら行きませんか?」

「お店知ってます?」
「いや、知らないです」

「だと思った」
「ごめんなさい」

「まぁ私も知らないけど」
「え?」

「湖美に聞くから、放課後に」
「うん、わかった、放課後に」

私たちの関係は修理できたのだろうか。まだ、私にはわからない。

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