散歩の物語その5

ショーウインドウ


「何年になる?」
「何がですか?」

「ここにこうしていることが何年?」

「そうですねぇ・・・そうは言っても僕たちに時間の概念なんて無いですよ」
「でも時間はわかるだろう?朝になって夜になって、また朝になって。それが何回続いた?」

「いやいや、それこそわかりませんよ。おおよそですけど・・・25年ぐらいですかね」
「25年?そんなにか!?」

「そう、そんなにです。人間の年齢では何歳ですか?」
「あのなぁ、俺が『犬』だからって『人間の年齢にしたら』なんてそんなジョーク面白くないぞ。俺はぬいぐるみだからな。それにしてもまさかなぁ25年もここにこうしていることになるなんて思いもしなかったなぁ」

「ですねぇ。あの頃はよかったなぁ」
「だなぁ」

「覚えてます?あの通りの右の」
「あぁ、孝雄坊ちゃん?」
「そう、孝雄坊ちゃん。いつも母親に連れられて、僕らのことを見てくれましたねぇ。手なんか振ってくれたりして」

「そうそう、母親がほぼ毎日買い物に来てくれてたな。いつも決まって牛乳と食パンを買っていってた」
「よく見てますね」

「見てるさ、よく見えていたよ」
「そうですよねぇ」

「坊ちゃんが少し大きくなったぐらいの頃、この裏の通りを少し行った所にスーパーマーケットやらデパートやらが出来て、こんな小さな商店はたちまち立ち行かなくなってしまって、俺たちもそのまま忘れられてしまったな」

「ですね、坊ちゃんを最後に見かけたのはもう大きくなって高校の制服を着てましたね」
「あぁ、俺たちのことなんて見向きもせずに行ってしまったよ」

「それはそれで構わないんですけどね、人間というのはそういうものだし。ただ、やっぱりねぇ」
「だなぁ」
「寂しいっすよね」

「ちょっと、あんた達うるさいのよ」

「は?いいじゃねえかそんなに大声では喋ってないぞ」
「そうですよマダム、そんなに遠い所にいるんだから構いやしないでしょ」

「構うのよ。あんた達が辛気臭いことばかり話してるからね」
「だって、25年ですよ。マダム」
「そんなことは知りません」

「知らないって言ったってあんただって日に焼けて白かった所が黄色くなってんだよ」
「まぁ何よ!私が老けたっていうの?」

「しょうがないっすよ。それだけ僕たち長い人生を歩んできたんですよ」
「ほぼこのショーウィンドウの中だけだけどな」

「また身も蓋も無いことを。ここにいたってこの窓からいろいろな人生経験を見てきたじゃ無いですか」

「あら、あんた良いこと言うわね確かにそうよ。豚のくせに」
「ちょっと、マダム、それは失礼というものでしょ。僕が豚の置物だからってこんなこと考えられないような豚じゃないんですよ。僕はロマンチストなんです」

「はいはい、そんなロマンチストはどんな事を覚えているのよ」

「そうですねぇ。例えば、この前の通りって右に行くと駅があるらしいじゃないですか?それを知っているとね僕は夕暮れ時、母親と子どもが傘をさして歩いていて、母親の手にはもう一本傘を持っていて、ここを通り過ぎて少し経った時に帰り道は三人になっている。これは凄く人生を感じることができましたよ」

「なるほど、確かに、それはいい人生の時間だな」
「そうね。私たちには迎えられない人生・・・」

「それに僕は奥さんにはとても大切にされてきましたよ」
「それなら俺だって」
「私だってそう。奥さんは私たちがここにきた頃から。お店が賑わってた頃から毎朝、埃を取りに来てくれて、『おはよう』って声を掛けてくれたっけ」

「そうですよ。僕なんてお店の方まで行ったことがありますから」
「そうだった。お前、羨ましかった」

「なんか、ちゃんと感情を言葉にして。可愛いっすね」
「は?うるせーよ」

「はいはい、ごめんなさい」
「何だよ、その上から目線」

「そんなことはないですよ。ただ、兄貴分だったのに、嫉妬してたなんて、可愛いじゃないですか」
「だから、うるさいって!」

「あのね、犬に豚。私は今、ご主人と奥さんの事を思い出してるんだから、そんなバカみたいな話やめなさいよ」

「ご主人はだいぶ前に亡くなられて、、、」
「ええ、そう、奥さんそれで塞ぎ込んじゃって」

「そうですね、そこぐらいからですよね?」
「ああ、店を閉めた後も毎朝俺たちの所まで来てくれて埃を払って『おはよう』と言ってくれていたのに、来なくなってしまったもんな」

「それ以来、私たちはひっそりと、外を見ながらガラス一枚向こうの私たちには掛けられない声を聞いて、登る朝日と落ちる夕日をを何度も見たのよ」

「僕たちの人生って何なんですかね」
「知るかよ。知るか、そんな事」

「ちゃんと意味はあるわよ、私たちはちゃんとご主人と奥さんに元気をあげてきたじゃない」

「僕たちが『貰って来た』じゃなくてですか?」
「そうね、それも人生だと思うわ。きっと人生って何かを誰かに与えるだけじゃないと思うの。貰うことだってれっきとした人生よ」

「貰うことも人生か・・・」
「そう、あら?ちょっと何か声がしない?」
「え?あ、言われてみればそうですね」
「なんだなんだ。珍しい。奥の部屋から声がするのは」


『この部屋の荷物はどうする?』
『うん、全部捨てればいいよ。何も形見で持っていくものはないよ』
『はいはい、ならここのものは全部処分と』


「処分?捨てるってことですか?」
「おう。。。なんで捨てるんだ?」
「『形見』って言ってたわよね」
「『形見?』って何すか?」
「そりゃ、死んだ人が持っていた物を生きてる人が分けて持っていくってことだろ」
「死んだって誰がですか?」
「『誰』って・・・誰だ?」
「そんなの知らないわよ」

『ばあちゃんが死んで四十九日か。ようやく落ち着いたと思ったらこんな家の整理が残っていたなんて。まぁ病院で死ぬまでろくに見舞いにも行かないで、何も話を聞かなかった俺たちも悪いけどさ』
『施設に入ってからもほぼ会うことがなかったものね』
『だってさ、言い訳じゃないけど、婆さん『来るな』って言うし、入院だってずっと渋ってたし、しょうがないじゃないか』
『まぁね』
『何だよ。その含みのある言い方』
『ちゃんとおばあさんと会ってればよかったのに』
『だって、苦手だったんだよ。いつもこの家に来ると、やれ『勉強はしてるか』とか、やれ『行儀が悪い』とか、そんな風にいつも怒られてたからさ、じいちゃんが生きてる頃はさ、まだじいちゃんが優しかったからよかったけど。じいちゃんが死んでからはあんまり行かなくなってしまったんだよな』
『そう。あなたの事ちゃんと気にかけていたのにね入院したのも、きっと弱いところを見せて心配させたくなかったのよ』
『うん、そうだな。今ならほんとわかるから、もうこの話は終わろ』
『わかったわ』
『ありがとう』

『あれ、もしかして、『望』か?』
『えっ?あ、はい、うん?』

『忘れちゃった?まぁ無理もないか、最後にあったのはまだ子どもの頃だったし』

『あ!孝雄兄ちゃん?』
『そう!思い出したか!』

『孝雄兄ちゃん。久しぶり』
『おう、久しぶり、もしかしてそちらの方は?』

『あ、はい、妻です』
『はじめまして、『峰』と言います』

『初めまして、『孝雄』と言います。『望』とは小さい頃に仲良かったんですよ』
『そうだったんですね』

『ところで、望は何やってんだ?』
『うん、実はばあちゃんが亡くなって』

『うそ!?そうなのか!?俺は街の方に出てたからこっちに帰ることがなかなかなくて、久しぶりに里帰りしたところだったんだ。知らなかった。すまんな』

『いやいや、謝らないでよ。仕方がないんだから』
『整理してるのか?』
『うん、』
『手伝うよ』
『いや、悪いよ』
『おばあさんにはお世話になったんだ。小さい頃、よく買い物しに来て、その度に飴を貰ってた。多分売り物だっただろうに』
『そうだったんですか。なら、お願いできますか』
『おう、任せとけ』

「私たちが知らない奥さんの事が知れたわね」
「そうですね。望さんにとっては怖い人」
「孝雄坊ちゃんにとっては優しい人」
「俺たちにとっては、、、、大切な人だ」
「ですね。奥さんのいろいろな面が知れて良かったです」
「おう」
「そうね」

『ここは?』
『あぁ表のショーウインドウに飾ってある人形たちがそこから取り出せるんですよ』
『あぁあの、犬や豚や女の子の人形の?』
『そうそう』

『開けてみたけど、何だか日に褪せてしまってるし、埃っぽいな。どうする?』
『うーん、この犬のぬいぐるみは俺が小さい時泣いてると爺さんが持って来てくれたっけ?遊んだ思い出がある』

『なら、形見分けで持っていく?』
『いや、もう色褪せてるし、もう役割は全うしたでしょ。処分で』
『ん、わかった』

「ありがとう、25年俺たちはここにいていろいろな物を見て来た。いや、ここから見える外の世界しか知らなかった。それはそれで幸せだったのか。最後に奥さんの事を知れて良かった。俺も主人に連れられて部屋に入った事があった。それも思い出した。ここにこうして長い事いることも無駄じゃなかったと思う。だってこうも俺は幸せな気持ちになっているのだから、ありがとう。俺たちに優しくしてくれて。ありがとう。さようなら」

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