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「そもそも君は何者なんだ?」「そんなこと考えるのは無駄なのか?」心に浮かんできた言葉(015)

こんにちは「てると大吉」です。
タイトルの上の雲、何かに見えるのですが・・・。どうでしょう。
心理テスト(ロールシャッハ・テスト)ではありませんが・・・。

さて、自分と対話していると、もう一人の僕が問いかけてきます。
「そもそも君は何者なんだ」と。

タマネギの 皮むき続け わかること
どこにもあらず ほんとの自分
     

※ 何か悔しいことを体験したとき、本当の自分はこんなものではないと思いたくて、タマネギの皮をむくように、涙を流しながら本当の自分を探しても、そんなものはどこにもないのだろう。

てる 若き日の短歌(たぶんこんな感じの歌を作ったような・・・。)

高校生の頃です。
「君たちは思わないか。どうして僕はここにいるのだろうと。ここは本当に僕のいる場所なのだろうかと。」ある先生が話をされた。

ずいぶんと昔の話だ。どんな文脈での話だったのかは忘れてしまった。
が、その時思った。「そもそも僕は何者なのか」と。そして「本当の自分なんているのだろうか。どこにもいないのでは。」と。

今、歳月を経てあのころの問いに対して感じていること。
僕は「この限りある命を生きている」ということ。
「他者との関わりの中で、いまここに僕はいる」ということ。
そして「どう生きるかは僕が選ぶんだ」ということ。

これがもう若者ではない僕の現在地での思いだ。
この現在地まで歩めたのだから「考えることは無駄」ではないと思う。

「自分探し」という言葉をキャッチコピーなどでよく目にしたのは1990年代のような気がするが、どうだろう。単にそのころから若い人たちと関わってきたからだろうか。『ぼくを探しに』というロングセラーの絵本(作・絵 シルヴァスタイン 訳 倉橋由美子 出版社 講談社)を話の中で紹介したことを思い出す。

時に若い人たちの「自分探し」を否定的に捉える人たちの言説も目にする。
確かに、現実逃避としての自分探しや、誰かに答え求めることは成長につながらない。だけど「自分は何をすればいいのだ。どう生きればいいのだ。」と自分を探すことは自然なことで、その真剣な気持ちは嘘ではないと僕は思う。

彼女ら彼らは、感じているのだろう。不完全な自分というものを。
そして他者との関わりのなかにこそ自分がいるということも。
その気づきを大切に、次の一歩を踏み出してほしいと思う。

ここにいる 不確かだけど この僕は
明日を想い この道進む

どう生きる ひとりごちたる 雨の夜に
見つけた気のする 不確かな道


※ 若い人の真剣な思いを、どれだけ受け止めてきただろうと振り返ったときに浮かんできた言葉。前を向いて感じる不確かなこと。そこには光もあると感じている。 

てる この記事を書きながら作った短歌 

いささか冗長な、支離滅裂な記事となってしまいましたが、僕らしい気もします。自分との対話から見つけたのはこんな僕でした。まだまだ修業も修行も足りませんね。

今日も読んでいただきありがとうございます。どうぞ良い一日を。

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