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生きる意味が必要か?笠原周吾

ノリで生きて友達や恋人に恵まれてそれなりにノリで生きてきたって人もいるかもしれない。
僕も35歳まではフラフラして遊ぶようにニートして特に疑問もなく生きてきた、ただ父親が何亡くなったり、僕も持病が発覚したりその上生活保護で毎日泣いてる。
別に僕は人生を本質的に舐めてきたわけじゃなかったと思う。ただ最初社会入れないとどうしようもないからゲームしたりしてきた。また持病なかったらヘラヘラナマポ最高って言って人生に意味はないとヘラヘラしてたと思う。ただ孤独で意味なさすぎたら体動かないとかただ死に怯えるなどになる場合がある。だからノリで生きて死ぬまで何とかなったのならそれはそれでいいと思うけど孤独生活保護取り柄なし不安障害とかなったきたら何か考えないといけない感じになってきた。
多分人生に意味はないと思うけど走るべき道がないと歩けなくなる。まあ取り柄のない生活保護者だからつんではいるけど。僕が仮にプロ野球選手ならチームを優勝に導くとやりがいとあって明確に元気に生きれた。
必ず終わるたびそれぞれの目標を探すのか?
わからない結果的にある人はあると言うことかもしれない。医者になって人の命救うといっても頭良くないと無理だ。家族を作るといっても相手がいなければ無理だ。
何も取り柄がない人はただ死に怯える生活保護しゃにならざるえないかもしれない。ただやはり不安だけあってやることないのはただ怯えた生活になる。まあやりたい仕事につけた人ラッキーだなと思うくらいで40から目標と言ったところでないか😆まぁ一応僕は生きれるまで生きます。

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