ぽん太の東海道五十三次歩き旅(35)三雲→草津宿
こんにちは。ぽん太です。東海道歩き旅も残すところ、滋賀県三雲から京都三条大橋までの約50kmとなりました。横浜からの交通費もばかにならないので、2023年10月に一気に攻めることとしました。まさにラストスパートです。
旅日記
2022年1月からスタートした東海道歩き旅もいよいよ最後の旅だ。少し寂しさを感じながら、2023年10月11日、早朝新幹線に乗り、前回の終着地JR三雲駅には10時過ぎに到着。
少し歩くと大沙川隧道が現れる。滋賀県には珍しくない天井川で、川の下を道路がくぐっているのだ。平時は川には水はなく、雨が降った時などには流れるみたいだ。ここからの近江平野の眺めは素晴らしい。近江富士(三上山)も見渡せる。
近江の東海道沿いには、ところどころ休憩所が整備されており、旅人にとってはありがたい。今日は早立ちであったので、11:20に針公民館横の休憩所でお弁当タイム(11:20-11:40)。今朝新横浜駅で買った駅弁を食べる。
食後突如にわか雨に降られるが、20分くらいで止む。だから天気予報が晴れでも雨具は必需品なのだ。12:20、51番目の宿場石部宿小島本陣跡に到着。石部宿も古民家がたくさん残っており、趣きがある。途中和菓子屋さんで、名物石部太鼓(最中)などを調達。小休止時に食べよう。
石部宿を抜けると、雄大な近江富士が出迎えてくれる。田んぼもいよいよ収穫時だ。秋を実感する。
14時、地蔵堂で小休止。さきほど買った和菓子を食べる。疲れたときは甘いものが一番。
栗東市六地蔵に入ると、「ぜさい」という屋号の薬屋さん(旧和中散本舗)の古い建物が残されている。この辺も屋号を掲げた家がたくさんある。
そして久しぶりに松の木に出くわす。「肩かえの松」というようで、人足等がこの松の木の下で休憩の後、荷物を担う肩をかえたというのが言い伝えのようだ。
またこの辺りの古民家の外塀には七福神の恵比寿さんの鬼瓦などがあり珍しいので見入ってしまう。福を呼び込む縁起かつぎなのであろうか。
14:50 JR手原駅に到着。今日はここまでの予定であったが、まだまだ歩けそうなので、少し休憩して今日宿泊する草津まで行くことに。手原は東経136度の子午線が通っている町で、JR手原駅にはモニュメントもある。「子午線」は、子の方角(北)から午の方角(南)に伸びる線を指しており、日本では明石市の東経135度子午線が有名であるが、ここは明石よりさらに1度東の位置にある。
また稲荷神社の横に突然、手のひらのベンチが現れる。手孕(てはらみ)ベンチというようで、解説によれば、歌舞伎『源平布引滝』に、平家からの追撃から「子ども(後の木曽義仲)を守るため、産んだのは手だけだと偽り助けた。」とあり、手原の地名の由来にもなっているようだ。この話に乗じて子供を守るためのベンチということのようだ。
手原には、他にも醬油屋や呉服屋、麹屋などの古い建物が残されており、なかなか見どころがたくさんある隠れた名所だ。
15時過ぎ目川に入る。ここは田楽発祥の地のようで、元伊勢屋というお店が田楽を始めたとある。広重の絵(石部宿)はここを描いている。また目川の特産品は瓢箪だったようで、瓢箪展示場があるが、残念ながら本日はお休みであった。近くには、膳所城の大手門を移設したお店(ほっこり庵)がある。
そして16時過ぎ、草津宿に入る。入って驚いたのは、天井川の草津川が大きく移動になり、旧草津川の河川敷が大きな公園(de愛ひろば)に変わっていることだ。草津は近年京都や大阪の通勤圏になり大きな町になってきていることから、さすがに洪水を起こすわけにはいかなくなり、川をも動かせたということであろうか。
de愛ひろばを少しブラブラ歩いて、17時前に本日の宿に到着。今日は本当は昔の職場仲間と再会する約束をしていたのだが、急病でかなわず、やむなくコンビニ弁当で済ますことに。
今日は見どころがもりだくさんで、なかなか充実した一日であった。滋賀県には隠れたる名所がいっぱいあるじゃないですか!
記録
総歩数:32,386歩
実際に歩いた距離:19.4km
訪れた宿場:石部宿・草津宿
宿泊:ホテル21(草津)
本日の行程
広重の絵
石部宿
草津宿
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